折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

コレクター

2007-04-27 | 音楽
この所、黄昏時になると我が家のスピーカーからジャズの音楽が流れない日はない。
と言うのは、先般実家で弟に会った際、彼のオリジナル編集によるジャズのCDコレクションを借り受けたからである。

                     
                          弟から借り受けた「手作り」のジャズのCD

その数30枚、曲目322曲、延べ演奏時間26時間に及ぶ一大コレクションである。

毎日1枚聴いても30日、1ヶ月はかかる勘定になる。

彼は、このコレクションのために都内5区の図書館に登録カードを作り、インターネットの検索機能をフルに活用して、聴きたいCDを借りまくったとのことである。

『図書館によって、えらく差があるんだけど音楽が分かる人がいる図書館は、さすがによく揃えられていて、時々<レア物>などに出会って、思わず興奮したこともあったよ。』

とは弟の弁である。

『もう、最近はすっかりこのコレクション作りに入れ込んじゃって、他の事は目に入らないみたい。』(彼のかみさん)

何はともあれ、若かりし頃の自分の楽しみを取り戻して、コレクション作りにのめり込み、一人『愉悦』の世界に浸っている彼の姿が目に浮かぶようだ。

まさに、『凝り性』の弟の面目躍如と言った所である。

先日、将棋を指した次兄(4月4日付ブログ『久々の兄弟対局』)は、これまた古くからの『本』のコレクターであり、先日訪問した時も部屋のいたるところに本箱が鎮座ましましていて、何百冊と言う小説類が見事なばかりに整理・整頓されていて、本に囲まれて生活している風情であった。

こうも当家に『コレクター』、『凝り性』が多いのは、誰のDNA?


彼が情熱を注いで編集した労作である、早く聴いて返却しなければと思い、3月、4月はひたすらジャズを聴く「月間」とし、ジャズ以外の音楽を聴くことを封印することにした次第である。

とは言うものの、ジャズに関してはそれこそ超有名な曲しか知らない小生にとって、初めて聴くジャズの曲を全曲通しで聴く作業は、かなりしんどいものがある。

そこで、今回は音量をいつもよりぐっと絞って『バックグランド・ミュージック』的にジャズを流し、印象的なフレーズに出会ったら、その曲をチェックしておいて後ほど改めてその曲だけを聴き直すことにした。そうすることで、思いのほか気楽にリラックスしてジャズを聴くことが出来るようになった。
そして、聴いた日とCDのタイトルと印象的だった曲目を毎日手帳に書き込んでいる。
3月21日に最初の1枚を聴いてから今日で22枚聴いた。
毎日、毎日繰り返しジャズを聴きながら、たまたま知っている曲に出会うと、「あっ、この曲どこかで聴いたことがある。」と何となくほっとし、その曲に改めて親しみを感じたりしている。

そんな時は、その昔、高校時代の親友のH君がいみじくも言った言葉を思い出す。

『俺、音楽、特にクラシックは全然わからんけど、要は、音楽って<慣れ>と違うんかいな。最初はわからなくても、何回も、何回も繰り返し聴いているうちに慣れてくる、親しみが出てくる、それを<好きになった・わかった>と言うのと違うかいな?』

その時は、

『そんな単純なものじゃあないぜよ』

といっぱしの講釈を垂れた記憶があるが、今の心境はH君の言ではないが、確かに

『慣れは、親しみへの第一歩、親しみは好きになることへの一里塚』

であると思えるようになってきた。


ジャズだけを毎日聴き始めて約1ヶ月、ここまで言わば『ジャズ漬け』の日々を送って来て、<それではジャズが好きになりましたか、ジャズがわかるようになりましたか>と問われれば、今の段階ではとても好きになったとも、わかったとも言い難いが、少なくともジャズと言う音楽に少しは慣れたと言うことは、言えると思う。

そして、慣れ、親しめる段階に至るには、それ相応の『我慢』と『根気』が必要と言うことを、今回ジャズを毎日聴いて身にしみて実感した次第である。


5月には、おふくろの誕生会で兄弟が集合することになっている。
その時までには、全部聴き終わって返却したいと思っている。

あと8枚、ゴールは目前。ラスト・スパートである。

『向上心』の源

2007-04-23 | 家族・母・兄弟
ある日、実家に行くと、おふくろが待ちかねたように自分の部屋から、いそいそと例の『塗り絵』を持ってきて、皆に披露した。

小生が昨年のクリスマスにプレゼント(1月7日付ブログ『91歳のチャレンジ』)してから、熱心に色を塗っているのは、電話で聞いて知っていたが(1月22付ブログ『途中経過』)、その成果を見せてもらうのは今日が初めてである。

                   
                         おばあちゃんの作品

『スゴイね、おばあちゃん。きれいだよ』  (小生)

『頑張ったわね、おばあちゃん、これに筆で色を塗っていくと、もっと良くなるわよ、楽しみね。』 (妻)

『よくここまでやったね、感心しちゃうよ。』 (弟)

等々、皆に口々にほめられ、励まされておふくろは嬉しそうである。

『後3枚残ってるんだけど、細かくて大変なんだよ。肩がこっちゃうよ。』
とおふくろ。

『無理しなさんな。』
と長兄に釘を刺される。

長兄曰く
『おばあちゃんは、知っての通り<気位>が高いので、もし、痴呆症にでもなって、みんなの前に情けない姿をさらすのは耐えられないの一念で、それこそ健康には細心の注意を払っているし、健康に良いことは一生懸命やってるんだよ。その努力たるや、たいしたもんだぜ。』



『2匹目のどじょう』をねらって、今回は小生が目下チャレンジ中の『えんぴつで脳を鍛える小倉百人一首』をプレゼントする。

『おまえ、これどうやってやるんだ。』

『ただえんぴつで<なぞり書き>すればいいんだよ。』

『できるかねえ、この頃はえんぴつなど持ったこともないし、第一手が震えちゃって、なぞれないんじゃないかい。』

『大丈夫だよ、うまく書くのが目的でなく、線からはみ出さないように注意を集中することが<脳>に効果があるんだそうだから、ゆっくりと書けばいいんだよ。』
『おれは、<1日1首>を目標に毎日30分ぐらいかけてやってるけど、おばあちゃんもそうしたら。とにかく、無理をしたらダメだよ。』

『できるかどうか、わかんないけど、せっかくだからやってみるよ。』


同時に、おふくろが前々から見たがっていたテレビドラマ「華麗なる一族」を録画したビデオを手渡した。

『見たかったんだけど、放送する時間が遅いので見られなかったんだ。ありがとうよ。』


そのうち、
『ビデオ見せてもらったよ、とても良かったよ。涙が止まらなかったよ。』
という電話がかかってくるに違いない。

『狂気』と『正気』

2007-04-19 | 映画・テレビ
映画は子供の頃から大好きである。
しかし、映画だったら何でも言いと言う訳ではない。

映画は、見て① 『楽しい・面白い』ものでなければならず、また、その映像が十分に② 『美しく』なければならず、さらに見た者に③ 『感動』を与えてくれるものでなければならないと思う。
その代表例が、その昔見た『砂の器』であり、『ベン・ハー』であり、最近見た映画では、『武士の一分』である。


さて、大分前になるが『硫黄島からの手紙』を見た。

この映画を見に行くに際して、自分自身の中で葛藤があった。
第一に戦争映画は余り好きでないこと、第二にどう考えても前記の3要素を満たしているとは、思えなかったからである。それでも、敢えて見に行ったのは、「話題の映画」だからという好奇心からであった。

この映画を見ての感想は、人によってそれぞれであろうが、小生はこの映画の中で描かれる『狂気』と『正気』のコントラストが強く印象に残った。


その一

巡察中の特高の上官と部下が、国旗が掲揚されていない家を見つけて、女・子供だけの家族を叱責する。その物言いに怯えてほえる犬。腹いせと見せしめに上官は、部下に犬を殺してこいと命令する。若い部下は、家族が見守る中、犬を殺すに忍びなく、拳銃だけ発射して、殺してきましたと復命する。そして、次の瞬間、犬の鳴き声。激怒し、容赦なく犬を撃ち殺す上官の非情な『狂気』。犬の飼い主の前では、どうしても殺すことができなかった部下の『正気』
かくて、犬を助けようとしたこの若い特高は、最前線の地「硫黄島」へと送られるのである


その二

『捕虜となるよりは、自決せよ』という戦陣訓を『狂信的』に信奉する上官が、指揮官の『自決してはならない』という命令を平然と無視して、兵士に自決を強要する、まさに吐き気を催す『狂気』。(手榴弾で次々と自決する場面は、余りにも凄惨で見るに忍びない。隣で見ていたご婦人が面を伏せ、カンカチで口を覆っているのを何回も目撃した。)そして、自決せずに戻ってきた若い兵士を罵倒した挙句、成敗しようと軍刀を振りかざす中尉の『狂気』の顔、それを制止する指揮官の毅然とした態度に宿る『正気』。


その三

負傷し、捕虜となったアメリカの青年兵を優しく看取った日本軍の中佐。
その中佐は、アメリカの青年兵が憧れていたロサンゼルス・オリンピック馬術競技の「金メダリスト」であった。そして、翌日死んだこの青年の死に顔には、尊敬する「金メダリスト」に看取られて死んでいくことの安堵感が漂っていた。そこには、戦場であることを一瞬忘れさせる『正気』の世界があった。
一方、硫黄島送りになった若い特高は、生きて未来に希望を繋ごうと決意し、自決を拒否し投降の道を選ぶ。
しかし、投降した捕虜の見張りを負かされた若いアメリカの兵士が、見張りが面倒だから、煩わしいからと単にそれだけの理由で投降してきた特高の青年を射殺してしまうと言う、まさに戦場ならではの『狂気』。(日本の場合、主義・信条が『狂気』を発する源になっているのに対し、アメリカの場合『狂気』ですら「身勝手」という個人的理由から出ているという対比を面白いと感じた。)
捕虜として受け入れられ、これで生きていけると安堵した矢先、一転して銃口を向けられ、訳もわからず驚愕の表情を浮かべて死んでいった若者の顔は、同じ捕虜の死であってもアメリカ兵の平穏な死に顔と余りにも対照的である。

映画を見終わって、本映画が描く『狂気』の世界に『怖気』をふるうと同時に、この『狂気』を産み出した得体の知れない『化け物』に対し、激しい怒りと強い憤りを禁じえなかった。


今年91歳を迎える母には、先の戦争で「戦死」した弟がいる。
まだ遠くまで旅行することができたずっと以前、母はもう一人の弟と妹の3人で鹿児島の知覧に慰霊の旅に行った。

その時、母の胸に去来したものは何だったろう。
こと戦争に関して、母は黙して多くを語らない。
戦争を体験した人にとって、その受けた「傷」は決して癒えることはないのだろう。

はつらつ

2007-04-15 | 音楽
                 
                     Kさん宅のオーディオ・ルーム


昨年暮れのあの衝撃的なフルトヴェングラーの<ステレオ>盤『田園』との出会いから4ヶ月。

今年最初の『オーディオ談笑会』の例会である。

先ずは、ビールで乾杯して早速、それぞれが近況報告。

Mさんは、1月と3月にマレーシアにそれぞれ10日間滞在し、ゴルフ三昧の日々を過ごして来たとのこと。Kさんに「現地人で十分通用するよ。」と冷やかされるほど、真っ黒に日焼けして、元気はつらつである。体力的にも、また、ゴルフのスコアの方も大分自信がついたので、来年は1月に2週間以上の長期滞在を計画して、ゴルフをはじめ、大いに遊ぶのだと今から張り切っている。(血圧が少々高いMさんにとって、日本の冬の季節を暑いマレーシアで過ごすのは、体調管理上も好都合なのだそうだ。)

一方、Kさんは相変わらず、朝4時起床、5時からの散歩を欠かさずに続け、最近は週2回、近くにある木工教室に通って木工技術を習得中とのこと。この夏にリスニング・ルームのリフォームに取り組むのだと張り切っている。
『頭の中は、<夢空間>でいっぱいです。』と尋常ならざる意気込みである。

さて、この日各人が持ち寄った試聴のためのメニューは、以下のとおり。

Mさん

夏川りみ   『風の道』

『オペラ座の怪人・ハイライト』(オリジナル・ロンドンキャスト盤)

(以上は、今回のマレーシア旅行で購入したCD)

セリーヌ・ディオン   『A New Day 』 (ラスベガス・ライブ盤)

(以前、カナダに行った時に購入したCD)

小生

弟が独自に編集したジャズのCD

Kさん

秋川雅史  『千の風になって』


「セリーヌ・ディオンは、日本では映画『タイタニック』の主題歌で有名になって名前が売れ出したけど、俺、このCDを買ったのは彼女が有名になるずっと前のことで、このCDを娘に見せたら、『お父さん、進んでる!!』って褒められたんよ。」

「いや、実はね、昔、俺、イギリスでこのミュージカルを観る機会があったんよ。だけど、その時案内してくれた人が、Mさん『オペラ座の怪人』を英語で理解するのはちょっと難しいと思うので、もっとやさしいのにしたらと言われて、違うのを観てしまったんよ。今思えば、何とも残念至極、あの時観ておけばよかったよ。」

いずれも、聴き終わってからのMさんのコメントであるが、セリーヌ・ディオンもオペラ座の怪人もライブ盤とあって、Kさんのオーディオ装置が十二分に威力を発揮し、雰囲気をよく伝えてくれていた。

「いやあ、『オペラ座の怪人』初めて聴いたけど、じつにいいねえ!!。わたしゃ、クラシック中心でミュージカルはほとんど聴く機会がなかったんだけど、こうしてそれぞれ違うジャンルの音楽を聴けるってのが、談笑会のいいところだね」とKさん。
まさに、同感である。

「ミュージカルやオペラには、『音』だけでなく『映像』も欲しくなるよねとMさん。
「そうだね」とKさん。そこから、しばし、プロジェクターの話に花が咲く。

「このヘレン・メリルの録音1954年となってるね、モノラルなんだろうけど、すごく雰囲気が出ているね。」とMさん。

「Kさん、いつか、このCDを編集した俺の弟にこの装置で彼のお気に入りのジャズを聴かせてあげたいけど、いいかね。」と小生。
「それ、グッド・アイデア、都合をつけて是非連れて来てあげてよ。」とKさん。


今日もまた、Kさんの音響装置を十二分に堪能した一時であったが、次回開催時にKさんが習得した木工技術を駆使して改造したリスニング・ルームがどう変わり、それによって『音』がどう変化するのか興味深いと同時に大いに楽しみである。


<当日の曲目>

夏川りみ
① 会いたくて ② 愛(あな)よ愛(あな)よ ③ 時 ④ 夏河~シアホー

セリーヌ・ディオン
① ネイチャー・ボーイ ② イッツ・オール・カミング・バック・トウ・ミー・ナウ ③ アイ・ドローヴ・オール・ナイト ④ マイハート・ウイル・ゴー・オン ⑤ ホアット・ワンダフル・ワールド 


ヘレン・メリル with クリフォード・ブラウン
① ユード・ビー・ソー・ナイス・カム・ホーム・トウ ② ホアッツ・ニュー ③ 恋に恋して ④ イエスタディズ

オペラ座の怪人・ハイライト
① オーヴァチュア ② シンク・オブ・ミー ③ エンジェル・オブ・ミュージック ④ ザ・ミラー ⑤ オペラ座の怪人 ⑥ プリマドンナ ⑦ オール・アイ・アスック・オブ・ユー(リプライズ) ⑧ マスカレード ⑨ もう一度姿を現して
⑩ ポイント・オブ・ノー・リターン

秋川雅史
千の風になって

素晴らしき出会い

2007-04-11 | 友達・仲間
先日、静岡県Y市へ大学時代のサークル仲間4人とお花見を兼ねて本場の『ミナミマグロ』を食べに行って来た。

その時期、桜はまだ見頃にはなっていなかったが、ホテルで食した『ミナミマグロ』の味は、格別であった。

しかし、このミナミマグロに勝るとも劣らぬ『ご馳走』は、気の合った仲間同士が延々と繰り広げた『清談』ではなかったろうか。

時の過ぎるのも忘れて、7時に始まった宴会を皮切りに、深夜1時半頃まで、まるで物に憑かれたように話に熱中する姿は学生時代を髣髴とさせ、つかの間の時間一同を『青春時代』へと連れ戻してくれたのであった。

そもそも、この旅の発端は昨年の暮れ同じメンバーが集まって飲んでいる席で、H君から次回の集まりは、自分の地元のY市で本場の『ミナミマグロ』を食べながらやろうという提案によるものであった。そして、その席上彼から自分の「甥」と結婚することになっているベトナムの女性が、静岡でベトナム料理の店をやっていて、日本のことを勉強しているのでぜひ会って、色々と参考になる話しをして欲しいと言う話があったので、旅行の二日目に昼食を兼ねて彼女の経営する店を訪問する。

食事をしながら、主として日本とベトナムの文化論を中心に、それぞれ一家言を有する我々の仲間が自説を開陳し、それに彼女が打てば響くように反応し、そんなやりとりがとどまることなく続き、次第に共鳴、共感の輪が広がって行ったのであった。

H君が、会ってもらえばわかるよ、話してみればもっとよくわかるよと力説していたが、まさにその通りで、小柄で愛くるしく、優しい表情と美しい日本語と日本人以上に日本人の心を解する知的な受け答え(同行のO君、T君の感想)そして、瞬時に回る頭の回転の速さに一同すっかり魅了され、H君が自慢するのもむべなるかなと納得した次第である。
話の中で、彼女もブログを書いているというので、URLを交換し、帰宅後、早速彼女のブログを開いて見た。

ブログも、会話に負けず劣らず正確な美しい日本語で書かれていて、内容も実に素晴らしい。

ここでは、新婚生活を始めるためアパートに引っ越した後に書かれた、『家』と題するブログが特に印象的だったので、その一部を掲載させていただく。


『家』

(中略)

ところで、主人は『毎日朝から夜まで店に居て、アパートはただ寝る所だからこだわらなくてもいい』と言っていますが、私にとってはそれほどつらいことはないです。

たとえ毎日そこにいる時間がわずかであっても、家は最もくつろげる場所、最も食事を美味しく出来る場所、最も会話が出来る場所、最も本音を言える場所・・・・でなければならないと思います。ですから、家を大切にしたい、いくら粗末なアパートでもそこでちゃんと生活が出来るよう物を揃えたい。いつでも料理を作れるように台所をきれいに整理したい、好きな物を飾りたい、そして、何より夫婦の会話をいっぱいしたい。するつもりで頑張ります。


そうなのだ、ちょっと前まで日本の多くの家庭でも、こう言う考え方が暮らしの中に確かに存在していたのだ。

そして、このように人を、そして家庭を思いやる心があれば、今の世の中に横行している『子殺し』、『親殺し』、『熟年離婚』と言った現象など起こりえない話なのである。


今の日本人が失ってしまったもの、失いつつある人間として本来持つべき考え方をベトナムの女性がしっかりと自分のものとして持っていて、実践して行こうとしている姿に新鮮な驚きと感動を覚えると共に、これからの彼女の人生に心からのエールを送りたいと思った。