折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

つかの間の家族団欒

2008-04-27 | 家族・母・兄弟


この4月神戸に転勤になったばかりの息子が、3泊4日の研修が東京であり、その間我が家に泊まった。


新しい土地での生活のこと、新しい職場のこと、孫たちの新しい学校のこと等々聞きたかった最新情報が直接聞けて、まさにグッド・タイミングの出張であった。


息子が家に来る時は、大抵の場合子供たちやお嫁さんが一緒であり、今回のように余人を交えず親子3人で話すなんてことは、そうそうあるわけではない。

何か、久しぶりに独身時代の息子が帰って来て、家でくつろいでいるような、そんな錯覚さえ覚えてしまう光景であった。

帰ってきた最初の日は、柄にもなくテンションが上がり、昼間はかみさんと一緒に夕食の食材を買いにスーパー行ったり、夜は好物のスキヤキを食べながら、ついついワインを過ごし、二人の孫たちの新しい学校での様子など取り止めのない話しをしているうちに、いつの間にか時間がたって久しぶりに夜更かしをしてしまった。


2日目は、たまたま我が家の近くの友達の所に遊びに来ていた娘が夕方から合流、その夜は本当に久しぶりに親子4人で一家団欒の一時を過ごした。

おそらく、こんなゆったりとした落ち着いた雰囲気の中での語らいの時は、何時また巡ってくるかわからない。
それこそ、つかの間の家族団らんの一時であった。

そう思うと、最近気に入っていてよく聴いている竹内まりやの『人生の扉』と言う曲のフレーズの一部が自然と浮かんできた。


信じられない速さで  時は過ぎ去ると   知ってしまったら

どんな小さなことも   覚えていたいと   心が言ったよ

(竹内まりや 『人生の扉』より抜粋)



この歌詞ではないが、この日の親子4人での一家団欒のシーンは、小さな幸せだが、忘れずに心の中に覚えておきたい、記憶にとどめておきたい、そんなセンチメンタルな気分であった。

一方、かみさんはと言えば『たまにだからいいんだよね』と、おいしいものを食べさせようと腕によりをかけて料理した割には、クールな反応である。

かみさんは、小生のように単純でなく、したたかで中々素直に本音を見せない。

そんな両親の思いを知ってか、知らずか、息子は独身時代にタイムスリップしたかのように伸び伸びと実家でくつろぎ、3日間おふくろの『手料理』を心ゆくまで堪能し、満足して神戸に帰って行った。

写真が主役VOL10 屋根に巣食ったものの正体は?!

2008-04-23 | 写真が主役シリーズ

屋根の瓦をはずすと驚いたことにそこには『キノコ』がびっしりと根を張っていた


『一体、何よこれ!!』

業者が撮影した現場写真を見て絶句した。

写真には、しっかりと根を張った『キノコ』の一群が写っているではないか。


『3年ぐらい前でしたっけ、屋根の葺き替え工事をされたのは?』と業者。

『そうだよ、まだ、3年ぐらいしか経ってないのに雨漏りがするから変だな、と思って来てもらったのよ』

『いやあ、わたしも長いことこの仕事をやってますが、こんなことは初めてですね』

『これ、キノコだよね。何でこんな所にキノコが出るのよ』

『わたしにも、はっきりとは言えませんが、多分屋根の葺き替え工事に使った材木にキノコの菌がくっついていて、雨や太陽の光などで育って、大きくなり、防水シートを突き破って雨漏りの原因となったんだと思うんですが・・・・』


いつもであれば、こんな所にまで『命』の根をはやして、と『生きとし生けるもの』の生命力に感動する所だが、今回ばかりは『雨漏り』の直接的な原因になっているだけに、そんなことは言っていられない。

今度ばかりは、小生の目にそのキノコの姿は、屋根に住みついたまがまがしい『怪物』?のように見えた。

取あえず、応急処置を施して、これから抜本策を考えて提案したいと言って業者は帰っていったが、これから先のことを考えると、小生も業者も頭が痛い。

それにしても、世には摩訶不思議なことが起こるものである。


『キノコ』が生えていた現場の全景

秩父の『自然』と『友がき』に力をもらい・・・~秩父札所めぐりの1日

2008-04-19 | 日常生活
晴れ渡った春の一日、秩父札所めぐりに行って来た。
小生にとっては、この日は秩父34ヶ所札所めぐりの第1回目となる記念すべき1日となった。


<きっかけ>

きっかけは、3月に開催された小・中学校のクラス会の席上、幼なじみのKくんが、『おれ、4月以降は会社を完全リタイア、今度こそ暇ができるので、また秩父の札所めぐりに行こうかと思ってるんだけど、どうする、一緒に行くかい?』という誘いの一言であった。

『行く、行く、ぜひ連れてってよ』

予てから、外に出かける機会を増やそうと思っていた矢先だったので、それこそ『渡りに船』とばかりに応諾する。

かくして、夏の酷暑の頃を除いて毎月1回、年末ごろまでかけて34箇所をのんびりと回ろうという話しが、あっという間にまとまったのであった。


     
     札所1番 四萬部寺(しまぶじ)山門から本堂をのぞむ

<スタート>


札所1番 四萬部寺へは10時半ごろに到着。

秩父巡礼の出発点とあって平日だと言うのに参拝者が次々に訪れている。
やはり、中・高年者の姿が多い。

何分初めての経験であり、少々緊張する。

山門で一礼し、境内にある手水鉢で口と手を清め、本堂で合掌する。

いよいよ、34ヶ所札所めぐりがスタートするのだと思いを新たにする。

リュックを背負うと、何だか子供の頃の遠足を思い出すような気分になった。


       
       高校時代の恩師が書いたガイドブック『秩父観音巡礼』


<御仏のお導き!?>

参拝をすませ、早速、巡礼に必要な納経、用具等を求めて場所を移動する。

納経帳を購入し、さて、何か良いガイドブックはないものかと物色していると、何とそこに高校時代の恩師である平幡良雄先生が書いたガイドブックがあるではないか。
思わず、『あっ、平幡先生だ』とつぶやくと、それを聞いた相棒のKくんが、『平幡さんを知ってるの』と怪訝な顔で聞いてきた。

『知ってるもなんのって、おれに書道の目を開かせてくれた高校時代の恩師だよ』
『そうなん、おれ、だいぶ前に平幡さんの満願寺にお参りに行ったことがあるぜ。巡礼の世界では有名な人だぜ』

『高校卒業以来、年賀状のやり取りだけは毎年欠かさずにしてるんだ。先生からは、銚子の方にぜひ遊びに来て、といつも添え書きがあるんだけど、まだ一度も行ってないんだ』
『そうなんだ、それはぜひ行かなきゃね。それにしても、世の中広いようで狭いもんだね』

『これって、ひょっとしたら御仏のお導きかね』

というわけで、先生が書いた『秩父観音巡礼』というガイドブックを購入する。


<秩父の自然と友がきに助けられ>


        
        札所2番の真福寺の近くでは、さくらの花とももの花が目を
        なごませてくれる。


        
        札所2番から3番の常泉寺に向かう途中、横瀬川のせせらぎの音と
        あざやかな木々の緑が疲れをいやしてくれる。


今回は第1回目ということで、札所1番から札所5番まで約12キロ余、歩数にして約2万歩の距離を5時間ほどかけて歩いた。

途中かなりきつい上りもあって、決して楽なものとは言えないが、それを補って余りあるのが、秩父の自然の美しさと、歩きながら交わした気心知れた『幼なじみ』とのくったくのない会話であった。

特に、この年齢になっても心を許せる『友がき』がいるということは、何とうれしいことであり、何と幸せなことだろう、そのことを改めて実感し、感謝した1日であった。


        
        お寺によって、実に個性的な筆遣いが見られる納経帳


<個性を競い合う>

初めての経験で全てが新鮮であったが、特に参拝を終えて納経所で納経帳に納経朱印をしてもらう際、それぞれの寺によって納経帳に墨書する筆遣いが実に個性的であり、それを目の当たりにすることができたのは眼福であった。これからもそれぞれの寺ごとにその個性ある筆遣いを見ることができると思うと興味津々であり、おおいに楽しみだ。

『夢』と『挫折』

2008-04-15 | 家族・母・兄弟
これまで何回かにわたり、
リタイア後、一つの区切りとなる5年が過ぎたこと、
この間、日がな一日『趣味三昧』の生活をしてきたこと、
しかし、5年もたつとこのような生活パターンがそろそろ『マンネリ化』しつつあること、
そして、それぞれの趣味においても何らかの『気分転換』が必要になってきていること、
等々について書いてきた。

今回はその締めくくりとして、おやじがリタイアした時の忘れえぬ思い出について書いてみたい。

おやじは、師範学校を出て長い間、地元の小学校の教師をしていた。

そのおやじが、60歳でリタイアしてまもなくの頃、家族みんなを集めてこう宣言した。

『これからは、家の周りにある竹やぶを掘り起こして『生簀』を作り、そこで鯉やフナの養殖をするから』

みんなおやじは、リタイア後は『悠々自適』、『晴耕雨読』の生活を送るものとばかり思っていただけに、余りにも唐突な話しに家族全員、あっけにとられてしばし、声も出ない。

しかし、その沈黙もほんのつかの間であった。
真っ先に長兄が、『お人好し』で『世渡り下手』のおやじが『事業』などやってどうするのよ、うまくいくはずがないと、ものすごい剣幕で反対し、それに歩調を合わせておふくろも強く反対した。

次兄も、『それは、おやじさん、どうかな』と反対の意思を示し、小生も次兄に同調した。

まさに、総すかんを食らって、おやじがリタイア後に描いていた『魚の養殖』という『夢』は、家族から一顧だにされることなく葬り去られてしまったのである。

あの時、自分の提案が一蹴され、怒りで青ざめ、震え、そして、かっくりと肩を落としたおやじの姿が目に焼きついている。

『夢』をあきらめたおやじのその後の生活は、みんなが望んでいた『晴耕雨読』の生活であった。


今から、40年ほど前の話である。

今思えば、同じ反対するにしても、せめて、おやじがどんな青写真を描いていたのか、その『夢』の話にもっと耳を傾けてあげても良かったのでは、と大いなる悔いが残る。

しかし、おやじがリタイアした時は、みんな血気盛んで人の話をよく聞いたり、人の気持ちを思いやる、そんな余裕を持ち合わせないほど、若かったのだ。(長兄33歳、次兄30歳、小生27歳、弟18歳。)


自分がリタイアした今、自分なりに思うことは、リタイア時、特にこれと言った『夢』も『勇気』も持ち合わせず、さっさと『晴耕雨読』の生活を決め込んでしまった小生に比べ、リタイア後は誰しもが『悠々自適』な生活を選ぶだろうと思われていたあのおやじが、たとえ『挫折』したとしても、みんなから期待されていたその生活を選ばず、『養殖』という全く未知な事業にあえてチャレンジしようという『夢』を持っていたことに対して、その心意気に、改めて敬意を表さずにはいられない、という思いである。

気分転換は『ゴルゴ』と『カムイ』

2008-04-11 | 読書
『気分転換』のきっかけについて、前回は『音楽』について書いた。

今回の気分転換のきっかけは、『読書』についてである。


浅田次郎の『蒼穹の昴(全4巻)』、『中原の虹(全4巻)』の大作を余りにも熱中して読んだ反動なのだろうか、その後なにを読んでも面白くなく、すぐに飽きてしまう。また、読んでいていらいらや歯がゆさが募ってくる、そんな状態がしばらく続いた。

これはちょっと気分転換が必要だな、と思っていた矢先、ある日の新聞に載っていた

リーダーズ・チョイス/さいとう・たかをセレクション/各界著名人セレクションBESTofゴルゴ13という広告を見つけた。



リーダーズ・チョイス/さいとう・たかをセレクション/各界著名人セレクションBESTof
ゴルゴ13の3冊。
ゴルゴ13の全エピソードから、名作を13本厳選して1冊にしたコンセプトは魅力十分。
3冊とも、1000ページを大きく越えるボリュームを最後まで一気に読み進める満足感は
この上ない。



あの『ゴルゴ』がこんな魅力的な形で装いも新たに発売になったのか、とある種の感慨を覚えながら、その広告に見入った。


そして、その瞬間、気分転換に、しばらくの間活字の世界を離れて、久しぶりに劇画の世界に遊んで見ようと思いついた。

 
劇画は小説と並んで小生の読書に欠かせないジャンルである。

劇画の世界との出会いは、今を遡ること40数年前、月刊漫画雑誌『ガロ』に掲載されていた白土三平の『カムイ伝』に始まる。



青春時代の記念碑的劇画・『カムイ伝』愛蔵版(全4巻)


一目で魅せられ、こんな世界があることを始めて知った。
そして、『カムイ伝』第一部が完結する1971年までの5年間、その発売日を今か今かと待ちわび、毎月欠かすことなく『ガロ』を購入し続ける熱烈な愛読者となった。(友達に貸したりして、散逸してしまい手元に残っていないのが、今となってはものすごく悔やまれる。)

あの頃は、『カムイ』を始め、白土三平が描く『劇画』の世界にのめり込んでいた時代であった。

そして、『ゴルゴ』との出会いは『カムイ伝』第二部がビッグ・コミックに掲載された1988年5月であった。

こちらの方も、たちまち好きになったが、読む順番は『カムイ伝』が先で、『ゴルゴ』は二番目であった。
この順番は、カムイ伝第二部が終了する2000年4月までの12年間変わることがなかった。


3冊まとめてネットで取り寄せ、先ず、各界の著名人13人が選んだ13作品が一堂に会した『各界著名人セレクションBESTofゴルゴ13』から読み始めたが、実に面白い。
乾いた大地が水を吸い込むように、ぐいぐいストーリーに引き込まれ、本当に久しぶりに劇画の世界を心ゆくまで堪能した。


読む順番が今回は『ゴルゴ』が先になったが、『BESTofゴルゴ13』シリーズ3冊を読み終わったなら、引き続いて『カムイ伝』を久々にじっくりと読み返して見ようと思っている。

そして『活字』の世界から、『劇画』の世界にシフトすることで、ちょっぴり行き詰っている『読書』の気分転換を図ることができればと願っている。