折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

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読書ノート「心に残ったフレーズ」VOL3~ 堺屋太一著 「豊臣秀長(ある補佐役の生涯)」(PHP)から

2015-09-06 | 読書
人間、どの道を選ぶにしろ大いなる成功を収めるには運がよくなければならない。だが、幸運を得るためには努力と実力と忍耐が不可欠だ。成功者の幸運は、運を逃がさぬ絶え間ない努力と、運に乗って飛躍できるだけの実力と、運が来るまでの苦難に耐える忍耐との成果なのだ。

世に、努力もし、実力もあり、忍耐もしたのに、ついぞ運に恵まれずに人生を終えた不幸な人も数多い。しかし、努力と実力と忍耐を欠いて幸運だけで大成功した人物は見当らない。
(堺屋太一著 「豊臣秀長(下)」46ページ)

昨年の4月、読んだ本の中で「これは」という「心に残った」フレーズを書きとめて、ブログに残そうと読書ノート「心に残ったフレーズ」というコーナーを意気込んで設けたものの、昨年は2回、今年に至ってはまだ1回も掲載していない。

その原因は「根気」がなくなって、面白くなるまで我慢できずに途中で放り出してしまうことが増え、読書量も激減し、つれて「心に残る」フレーズに出会う機会も少なくなっているということに尽きる。

そこで、昔読んで良かったという記憶がある本を読みなおすことにし、本箱から埃を払って取り出したのが堺屋太一著 「豊臣秀長(ある補佐役の生涯)」(PHP)だった。

上記フレーズを読んで、小生の37年間の会社生活の中で、入社以来15年間にわたりお仕えした立志伝中の創業者高山萬司さんの人となりを重ね合わせた次第である。

堺屋太一著 「豊臣秀長(ある補佐役の生涯)」(PHP)


豊臣秀吉の三歳違いの弟・秀長は史上類を見ない膨張を続けるその組織のなかで、経歴からいっても実績からいっても、万人が認めるナンバー2でありながら、自らの働きを誇ることなく、常に脇役に徹したまれにみる有能な補佐役であった。激動の戦国時代にあって天下人にのし上がる秀吉を支えた男の生涯を描いた異色の歴史長篇。
(「BOOK」データベースより)

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読書ノート「心に残ったフレーズ」VOL2~ 藤沢周平著 「三屋清左衛門残日録」(文芸春秋社)から

2014-10-09 | 読書
つと清左衛門は路地に引き返した。胸が波打っていた。清左衛門は後ろを振りむかずに、いそいでその場をはなれた。胸が波打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。
― そうか、平八。
いよいよ歩く練習をはじめたか、と清左衛門は思った。
人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめた、すべてのものに感謝をささげて生を終ればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。(「早春の光」の章より)


今後のことを考えると、新しい本は買わずに図書館で借りるようにしている。
ただし、予約順番待ちで借りるまで時間がかかるのが難点である。

その間は、家にある読み終わった本を読んで待つことにしている。

今は、藤沢周平の本をとっかえひっかえ読んでいる。
藤沢作品の中でも「三屋清左衛門残日録」は繰り返し読んだ作品の一つであるが、久しぶりに読み返してみて新たな感慨を覚えた。

冒頭に掲げた文章は、この物語の最終章の最後のくだりである。

中風で倒れ、無気力になりがちな日々を過ごす幼なじみの平八を、見舞いに訪ねる清左衛門が、途中で必死にリハビリに励む友の姿を目の当たりにした心境が秀逸な筆致で描かれている。

このフレーズには、老いとは、そして生きるとは、という問いかけを我々一人ひとりに突き付けるとともに、改めて藤沢さんの生と死への潔さと覚悟の程が凝縮されている感銘した次第である。


藤沢周平著「三屋清左衛門残日録」(文芸春秋社)

三屋清左衛門は、用人として仕えた先代藩主の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出て、国元で隠居生活に入った。
隠居の日々は暇になるかと思われたが、実際には友人の町奉行が抱える事件や、知人やかつての同僚が絡む事件の解決に奔走することになる。さらには、藩を二分する政争にも巻き込まれていく。
世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。老いゆく日々の命のかがやきを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説。
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読書ノート「心に残ったフレーズ」VOL1~ あさのあつこ著 「たまゆら」(新潮社)から

2014-04-19 | 読書
以前はよく本を読み、その感想を本ブログにも度々掲載した。

しかし、このところ読書量がガクンと減っている。
しかも、読んだそばから内容を忘れて行く。

読んだ当初は、いい言葉だと強く印象に残っていても、読み終わる頃になるともう思い出せないことも。
余りにも忘れ方が速いので、少々心配になって来ている。

そこで、「これは」という「心に残った」フレーズを書きとめて、ブログに残すことにした。

第1回目は、あさのあつこさんが書いた小説「たまゆら」の一節である。

これを選んだのには理由がある。
もう大分前になるが6歳年上の長兄が、ある時

「自分の経験では、歳を感じるときは、突然に来るんだよ。ある歳までは全然なんともなかったのが、その歳を境にそうはいかなくなるんだ」

という趣旨の話をしたことがある。

その時は、そんなもんかと聞き流したが、歳を重ね、この本のこのフレーズに出会って、長兄が言っていたことはこういうことだったのか、と卒然と理解した次第である。


人の歳の寄り方は雪に似ている。
徐々に、知らぬ間に歳を重ねていくのではなく、あるとき、突然にどかりと積るのだ。後はしばらく静まり、またどかりとくる。どかりどかりの間の静息がしだいに短く、細切れになっていく。

雪はいつか融けるけれど、人の齢は融けない。どかりと降り積もるだけだ。
命の屋台骨が耐えきれなくなって、折れ砕けるまで、積る。

誰も降ろしてはくれないし、降ろしてもらっても困るだろう。(あさのあつこ著 「たまゆら」(新潮社)から)




【あさのあつこ著 「たまゆら」】(新潮社)

人の世と山との境界に、夫の伊久男とひっそり暮らす老女、日名子。雪の朝、その家を十八歳の真帆子が訪れた。愛する少年が、人を殺めて山に消えたのだという。彼を探す真帆子に付き添い、老夫婦は恐ろしい山に分け入ることに。日名子もまた、爛れるほどの愛が引き起こしたある罪を、そこに隠していたのだ―。山という異界で交錯する二つの愛を見つめた物語。
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主人公に亡き創業者を重ね合わせる~百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」(上・下)

2013-05-25 | 読書
本屋大賞を受賞した百田尚樹著「海賊と呼ばれた男」(上・下)を息子と共に読んだ。

その感想を息子との会話風にしてまとめて見た。

   
「海賊と呼ばれた男」(上下)百田尚樹著(講談社)


― 読み終ってしまうのがもったいないと思えるほど、読み応えのある本だったね。

― そう言う本には、中々お目にかかれないもんだが、出会えた時の喜びは格別で、読書の醍醐味これに尽きる、といった感じだよね。

― オレが火付け役になって、今、オレんとこの部署ではちょっとした「海賊」ブームなんだ。

― 上下2巻742ページのボリュームだけど、読み始めたらノン・ストップだね。

― ノン・フィクションと言うのが凄いし、説得力もあるよね。

― 読んでいて、唸らせられる所が何回も出てくる。

― 作家の「才能」には、つくずく敬服するよね。

― 明治、大正、昭和という激動の時代にあって、一貫して権力、権威にあがらい、立ち向かっていった主人公の「生きざま」は、すさましいね。

― そういえば、おやじさんのところの会社の創業者も「立志伝中」の人だったと聞いたけど。

― そうなんだ、読んでいてこの本の主人公と会社の創業者とがオーバーラップするような場面が何回もあったよ。

― たとえばどんなところ。

― この本の下巻の最後の方に会社を去っていく専務の武知甲太郎と店主の国岡との会話があるよね、

鐡造は椅子から立ち上がると、武知に近寄り、その手を握った。

「武知よ―」鐡造は言った。「お前ほどの男はいなかった」
武知は全身が喜びで震えた。
「店主、私は今、最高の餞別をいただきました」
武知は鐡造の手を握り返しながら、自分は世界一の幸せ者だと思った。(海賊とよばれた男(下)336ページ~337ページ)

オレが勤めた会社の創業者も全く同じで、従業員は創業者に「よくやった」と声をかけてもらい、「ほめられる」のを生きがいにして仕事に励んでいたものだよ。「あの社長のためなら火の中、水の中も辞さず」という野武士のような、猛者たちがいっぱいいた。だから、当社は業界の中で抜きんでた会社になれた。

― おやじさんもそう言う経験をしたことあるの。

― いっぱいあったよ、お仕えしたのは昭和41年から56年までの15年間だったが、この15年は自分にとっては何ものにも代えがたい貴重な財産であり、誇りであると自負している。あの15年間は、会社員生活の中で燦然と輝いていた15年と言えるかもね。

― おやじさんは、素晴らしーリーダーに巡り合えてよかったね。

― この本を読むと、リーダーとは何か、リーダー像として見習うべき点が多々あると思うよ。

― それと人間の「出会い」の大切さ、素晴らしさを思い知らされるね。

― この小説を読む上で、この「出会い」と言う言葉は、一つの「キーワード」だと思うよ。

― 作者の百田尚樹さんがコメントで次のように言っているよね。

私は「この男を書きたい!」と心から思いました。いや――書かねばならない!この素晴らしい男を一人でも多くの日本人に知ってもらいたい!それが作家としての使命だ。
気が付けば、取り憑かれたようにワープロに向かっていました。小説家になって六年、執筆しながらこれほどの充実感を覚えたことはありません。
この作品は「小説」という形を取っていますが、登場人物はすべて実在しました。そしてここに描かれた出来事は本当にあったことです。この奇跡のような英雄たちの物語が、一人でも多くの日本人に届くことを心から願っています、と。

このコメントのように、老若男女を問わず多くの人に読んでほしいが、経営者の人たちにもぜひ読んでほしい本だね。

― 今年これまで読んだ本の中で間違いなくベストワンの本だね。

― 勇気、元気、やる気の「三気」をもらえる本だね。


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歴史上の「超有名人」を描く難しさ・・・・葉室 麟著「春風伝」

2013-03-14 | 読書
最近、読書の量がめっきり落ちてきている。

一つは、「根気」がややなくなってきていること、もう一つは、本は図書館で借りて読むことにしているため、その順番待ちが長く、この間空白ができてしまうこと等が要因と言えるだろう。

今、最も多くリクエストしているのが、葉室 麟さんの新刊本であるが、予約者が多くて中々順番が回って来ない。(今も2冊順番待ち)

そんな中、最新作「春風伝」は何としても早く読みたいの一心で、新聞に広告が載ったその日の朝一番に申し込んだこともあり、予約待ち順番1位で、数日後にはもう順番がきて読むことができたのは幸運であった。

葉室 麟著「春風伝」(新潮社)


幕末、坂本龍馬と人気を二分した長州の高杉晋作の生涯を扱った作品であり、著者自身が「この小説は今の私の集大成です」と断言するほどの自信作ということで、大いに期待して読んだのだが・・・・・・。

これまで読んだ葉室作品は、読み始めるとグイグイと引き込まれて一気呵成に読んでしまうという「吸引力」があったが、本作品はどうもイマイチそういう「のめりこみ」ができず、しばしば一息入れるてしまうことが多かった。

どうもその原因は、高杉晋作という実在した人物を取り上げたことにありそうに思われる。

これまでは、名もない藩の名もない武士の話を、自家薬籠中のものとして描いてきた葉室さんだが、これまでと違って歴史上実在した人物では、中々そうもいかず自ずと制約もあるだろう。

と言って、歴史的事実に偏ってしまうと小説というよりは、歴史教科書になってしまう。

この辺りの書き分けが、悩ましいところなのではなかろうか。

この観点から見れば、本作品は必ずしもうまくいったとは言い難く、これまでの葉室さん「らしさ」が余りでていない、というのが小生の印象である。

本作品のある読者レビュアーが、

いつもの葉室さんの繊細な表現が消え、ありきたりの高杉晋作伝ができあがったという感じがします。思いがけない出来事や心に深くしみ込んでくるような場面があるわけでもなく、幕末の歴史を淡々とレクチャーされているような気分になりました。

と書いていていたが、小生も全く同感であり、歴史上の有名人を主人公にした物語を書くことのむずかしさ、悩ましさ、大変さを再認識させられたような気がした次第である。
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