折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

【3字体(楷書・行書・草書)千字文】を書く 第16回

2011-05-30 | 書道

お手本 大貫思水「新版四体千字文」(日本書学館)


【読み方】

せいせい じょういつ      しんどう しんぴ

しゅしん しまん        ちくぶつ いい

けんじ がそう         こうしゃく じび


【意味】

人の性質が落ち着いて静かなことは、その情もおのずから安らかである。心の落ち着いた時は、その感情も自然に安らかになる。これに反して、心の動揺する時は、その行いも軽率となり、したがって精神も疲労し、是非善悪の判断を失うものである。

人道の真を明らかにして身の本分を守るならば、意志は円満にして不十分だということはない。事物の変遷をみて、それに惑い動くものは、意志も常に移り変って定まらず、とうてい物事を為し遂げることは出来ない。

堅く正しく操を守り、この美徳を身につけて離さないならば、自然と世に知られ人にも尊敬される。それゆえ、自然によい官爵も備わり、欲しくなくとも富貴もその身にまとわりつくものである。

あたかも即席「ハープ」入門教室~松岡みやびハープ演奏会

2011-05-29 | 音楽
梅雨に入りし、雨がそぼ降る中、KくんのほかにY子ちゃんも加わって3人で恒例になっているコンサートに出かけて来た。

Kくんとは2日前に雲取山に登ったばかりで、

『どうだい体調は』、『まだ足腰が痛むよ』

が挨拶代わりであった。

今回のコンサートは、ハープのソロ演奏会。

午後の一時、ハープが奏でる癒しの音楽を堪能した。

以下は、聴き終わった後、Y子ちゃんを交えた3人の感想である。

             当日、会場では公演後サイン会が行われた。


― 楽器は湿気に弱いので、今日のような雨の日は鳴りが悪い、しかも、会場の音響効果も良くない、さらにハープの弦が切れるアクシデントが重なるなど、演奏者の松岡さんにとっては今日は厄日だった?

― まさか弦が切れるとはね。だけど、アンコールの曲だったのが、不幸中の幸いだった。

― 3回目だと演奏者の松岡さんが言っていたけど、独奏会で弦が切れるなんて本当に珍しいんじゃないかな。

― ハープの音には、セラピー効果があるって松岡さんが言ってたけど、わたしも聴いていて大いに癒されたわよ。 ゴッドファーザーのテーマ曲をはじめとする映画音楽のメドレーなんかすごくよかったわ。

― ミニハープで弾いた『津軽海峡冬景色』なんか新鮮に聴こえた。

― 『ひき潮』なんかは、まさにハープにぴったりだね。

― そうだね、ハープで聴くとどの曲も『癒し』になっちゃうよね。

― ハープという地味な楽器の演奏会というのでどうかなと思っていたんだけど、中々楽しい演奏会だった。

― ハープの独奏会なんて余りないだけに、実際に聴いて見て『目から鱗』で、ハープという楽器を知る良い機会になった。

― そうだね、演奏会後半のプログラムは、まるで即席『ハープ入門』教室みたいだった。

― ホントだね、ハープにも「ミニハープ」、「アイリッシュハープ」、「グランドハープ」の3種類があるなんて全然知らなかったし、ペダルが6つもあるなんて初めて知ったもんね。

― プログラムの前半はハープという楽器の音色を楽しんでもらう、後半はハープという楽器の啓蒙活動と自己PRという内容だった。

― ヴァイオリンやピアノに比べたらハープはやはり地味だから、一般の人に理解、関心をもってもらうのも大変なんだろうね。




【松岡みやび コンサート】

ハープ演奏:松岡みやび

曲目:

1・アメージンググレース 2・ひき潮 3・ジャズ・バンド 4・月の光 5・マイ・シネマ・メドレー2011 6・カノン

休憩

7・ミニハープ紹介(演奏曲目「浜辺の歌」、「津軽海峡冬景色」)
8・アイリッシュハープ紹介(演奏曲目「グリーンスリーブス」、「ロンドンデリーの歌」)
9・輝き(作曲・松岡みやび)

『ロートル組』には、きつかった1泊2日の山歩き~『雲取山』山歩き

2011-05-27 | 友達・仲間

【雲取山】(2,017m)
 
雲取山は、奥多摩と奥秩父の二つの山域の境界に位置し、東京都の最高峰・最西端にある。
妙法が岳、白岩山とともに三峰山の三山の一つで、日本百名山の一つに選ばれている。

写真は、このルート最大の難所『前白岩の肩』に到る急勾配の上りを青息吐息で登る仲間たち。



幼なじみのKくん、Mくん、Hちゃんといういつものメンバーと1泊2日で雲取山に行って来た。以下は、そのリポート。

■ 当日歩いた雲取山(2,017m)登山ルート ■

三峰山駐車場 ― 一ノ鳥居 ― 地蔵峠 ― 霧藻ヶ峰 ― お清平 ― 白岩小屋 ― 白岩山 ― 大ダワ ― 雲取山荘 ― 雲取山山頂 



『雲取山に行くってホントかよ、大丈夫かい?』40数年前の若かりし頃に登った時のきつかった印象がまだ残っているらしく、心配顔のHちゃん。

『これが雲取山に登れるラストチャンスのような予感がしたので、敢えて今回チャレンジすることにしたんだ』

これまた40数年前に登った経験があると言うリーダーのKくんの前口上。

二人の経験者ともにロートル組にとって「きつい」山歩きになるのでは、という予感めいたものが働いていたようだが、まさにその予感は的中、60歳代最後半の4人組にはきつく、苦しい7時間半の山歩きとなった。

以下、辛い、苦しい、山歩きの最中に仲間たちがため息交じりにもらした、つぶやき、グチの類を拾い集めて見た。

先ずは、グチの類

『この歳では、平地を10キロ歩くのですら大変なのに山を10キロも歩くなんて・・・・・・。
年寄りには、山の10キロはえらくこたえるよ』

『そう、そう、同じ100mを歩くにも、平地の100mと山の100メートルでは雲泥の差だよ』

『登ろうと言う気持ちはあるんだが、足が前に進まない、情けないね』

(白岩山頂上を目前にして)『白岩山ならぬ、「白旗」山だよ』

続いて、人生論の類

(ようやくコースの半分を過ぎた所で)『これから先は、1歩進めば1歩ゴールに近づく、そう言うプラス思考でいかないと山歩きはできないぜ』

『山歩きも人生も似たり寄ったり。苦あれば楽あり、楽あれば苦ありだ』

『どんなに苦しくても、過ぎてしまえばあの時は良かったと振り返るのが人間』


以上は往路でのコメントで悲観的、やや開き直り的な傾向なきにしもあらずだが、以下は2日目のコメント。
下りが中心ということもあって、楽観的な気分が色濃く出ている内容となっている。

『足を前に出していれば、どんどんと距離が少なくなっていく。登りは地獄、下りは天国だ』

『何時も下りの時思うんだが、これだけの上りを登って来たなんて信じられない思い、たいしたもんだと自分を誉めてあげたいよ』



今回の雲取山の山歩き、『「今回の機会を逃すともう雲取山には登れない」という思いがあった』といみじくもKくんが言ったように、泊りがけでの2日連続、往復21キロの山歩きは、これまでのいつもの山歩きに比べ格段にきつく、体力の衰えを自覚させられることになった次第である。
また、歩き終ってKくんの『これがラストチャンス』という思いつめた気持ちもちょっとわかったような気がした。

そして、きっと後になって『どんなに苦しくても、過ぎてしまえばあの時は良かったと振り返るのが人間』というメンバーの一人がつぶやいた言葉を身に沁みてわかる日が来るのだろうとも思った次第である。


 
今回の雲取山は全長10キロと距離も長く、直登りの険しい難所(左)もあって、みなちょっとバテ気味、途中で休憩(右)する回数もいつもより多めであった。

 
白岩山から雲取山に向かう道の左右には、巨岩、奇岩、朽ち果てた大木があちこちに見られ、まさに原生林といった趣(左)。そかと思えば、ブナの新緑の緑色とミツバツツジのピンク色のコントラストが目に鮮やか(右)と様々な山の風景を堪能することができた。

 
純然たる山小屋に泊まるのは、今回が初体験。この雲取山荘は、山小屋というよりはペンションというイメージであった。部屋で一息つく仲間たち(左)。消灯9時、疲れていても中々眠りにつけないみんなであった。食堂での朝飯風景(右)。頼むと昼食の弁当も作ってもらえる。1泊2食付き、弁当付きで8,500円。

 
2日目の朝。4時起床、ご来光を拝む(AM4:30)(左)ちょっと雲がかかっていて、完璧とは言えないまでも、まずまずのご来光を拝むことができた。雲取山(2017m)頂上(右)。ガスがかかってしまい、360度の大パノラマの景色は残念ながら見ることができなかった。特に、霊峰富士を拝めなかったのは、至極残念。

 
今回の山歩きで出っくわしたもの。登山道からは、日陰になった場所で、時々、残雪を見ることができた(左)。白岩小屋辺りで見かけた野生のシカ(右)。人間になれているらしく、逃げないで、立ち止まってじっと我々の方を見ていた。Mくんが餌を投げると近寄って来て匂いをかいでいた。

時は流れ、季節は巡る~気が付けば、周囲で進む『高齢化』現象

2011-05-24 | 雑感
   今年も目を楽しませてくれるお隣の庭に咲くバラの花


昨夜から降り続いていた雨が上がった昼下がり。

外に出て見ると太陽の光をいっぱいに浴びて、お隣の庭に咲くバラの花の色が目に鮮やかに映った。

いつもこの時期になるとお隣の奥さんが丹精込めて育てているバラが一斉に花を開く。

その咲きっぷりは、それは、それは見事の一言に尽きる風情である。

このバラ、お隣がいつ頃から栽培するようになったのか全く憶えていないのだが、この数年は咲くのを心待ちにしている。


この地に住んで三十年余、この間、お隣さんとはずっと一緒である。

住み始めた頃は、みんな若くて、家々や路地からは子どもたちの声がいつもあちこちで聞こえていたものだが、あっという間に時が流れ、気が付けば、多くの世帯が夫婦二人だけの生活となり、子どもたちが走り回る姿や、子どもたちの立ち騒ぐ声が絶えてから久しい。(時々、それぞれの家の孫たちが遊びに来ることはあるが・・・)

これまでは『高齢化社会』という話を耳にしても、自分のことは棚に上げて、どこか他人事のように思っていたが、考えてみれば、お隣のご主人は最長老の70歳代、他にも70歳代の人が何人もいるし、小生を含め60歳代後半の人も多く、また、ご近所に20歳以下の若者は全く見当たらない。今や自分が住む最も身近なこの一角ですら、ご多分にもれず高齢化現象が顕著なのだと思い到り、苦笑いを禁じ得なかった次第である。

そんな中、最近この一角に若者夫婦が住み始め、小学生の男の子やその友達たちが自転車に乗ったり、野球をしたりと元気に路地で遊ぶ姿を目にするようになった。

そんな情景を見ていると、やはり、子どもは活力の源だと改めて思い到った次第である。

【3字体(楷書・行書・草書)千字文】を書く 第15回

2011-05-23 | 書道
 お手本  大貫思水「新版 四体千字文」(日本書学館)

【読み方】

こうゆう とうぶん      せつま しんき

じんじ いんそく       ぞうじ ふつり

せつぎ れんたい       てんぱい ひき


【意味】

常に交わる友は、その分に応じて意気投合するものを選ぶべきである。

そして共に切るが如く磨くが如くに文芸を研ぎはげみ、たがいに言行をいましめ正して、その過失をすくうべきである。

人は常に他をいつくしみ、あわれんで、情が深く他の難儀を見れば、いたみ慰めて助けるべきである。寸時も仁義隠惻の心からはなれてはならない。

意志がかたく正直であって、つかの間も節義廉退の心を欠いてはならない。