折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

読書ノート「心に残ったフレーズ」VOL1~ あさのあつこ著 「たまゆら」(新潮社)から

2014-04-19 | 読書
以前はよく本を読み、その感想を本ブログにも度々掲載した。

しかし、このところ読書量がガクンと減っている。
しかも、読んだそばから内容を忘れて行く。

読んだ当初は、いい言葉だと強く印象に残っていても、読み終わる頃になるともう思い出せないことも。
余りにも忘れ方が速いので、少々心配になって来ている。

そこで、「これは」という「心に残った」フレーズを書きとめて、ブログに残すことにした。

第1回目は、あさのあつこさんが書いた小説「たまゆら」の一節である。

これを選んだのには理由がある。
もう大分前になるが6歳年上の長兄が、ある時

「自分の経験では、歳を感じるときは、突然に来るんだよ。ある歳までは全然なんともなかったのが、その歳を境にそうはいかなくなるんだ」

という趣旨の話をしたことがある。

その時は、そんなもんかと聞き流したが、歳を重ね、この本のこのフレーズに出会って、長兄が言っていたことはこういうことだったのか、と卒然と理解した次第である。


人の歳の寄り方は雪に似ている。
徐々に、知らぬ間に歳を重ねていくのではなく、あるとき、突然にどかりと積るのだ。後はしばらく静まり、またどかりとくる。どかりどかりの間の静息がしだいに短く、細切れになっていく。

雪はいつか融けるけれど、人の齢は融けない。どかりと降り積もるだけだ。
命の屋台骨が耐えきれなくなって、折れ砕けるまで、積る。

誰も降ろしてはくれないし、降ろしてもらっても困るだろう。(あさのあつこ著 「たまゆら」(新潮社)から)




【あさのあつこ著 「たまゆら」】(新潮社)

人の世と山との境界に、夫の伊久男とひっそり暮らす老女、日名子。雪の朝、その家を十八歳の真帆子が訪れた。愛する少年が、人を殺めて山に消えたのだという。彼を探す真帆子に付き添い、老夫婦は恐ろしい山に分け入ることに。日名子もまた、爛れるほどの愛が引き起こしたある罪を、そこに隠していたのだ―。山という異界で交錯する二つの愛を見つめた物語。

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