折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「天声人語」の『書き写し』始めました

2011-07-30 | 日常生活

            『天声人語』書き写しが静かなブームになっていることを伝える新聞記事(7月26日朝日新聞)

今週初めの新聞に

朝日新聞1面のコラム「天声人語」を専用のノートに貼って書き写す―。このノートが静かなブームです。(中略)
国語力アップ、進学・就職対策、社員教育、老後の「頭の体操」に役立つと、学校で、家庭で、世代を超えて広がっています。この夏休み、書き写しを始めてみませんか。


と言う見出しの特集記事があり、『小・中学校』、『高校・企業』、『家庭』といった分野で、その活用ぶりをそれぞれの角度から取り上げていて、楽しい読み物として面白く読んだ次第。

老後の『頭の体操』に役立つと言うことでは、これまでも、『百人一首』や『漢詩』の書き写しにチャレンジして来たが、この所、この手のことは何もやっていないので、近くの新聞販売店に手配すると、今在庫切れで、入荷には1週間ほどかかるとのこと。

そして、本日ようやく物が届いたので、即、書き写しにトライして見た。

 
書き写し第1回目は603字書き写すのに35分を要した。これからの目標は、制限時間15分。(左)、4月末に売り出したところ20万冊超のヒットとなった天声人語書き写しノート。A4判3冊セットで630円。1冊で1カ月分が書き写せる(右)

『天声人語』は解説によると『天に声あり人をして語らしむ』という意味とのことで、1904年に大阪朝日新聞で始まり、100年以上続く名物コラムとのこと。

文章は603字で構成されているとのことで、早速時間を測って書いて見た。

新聞記事によると、6月からこの書き写しを始めた某中学校では、制限時間を15分と設定するも、初めは1回書き写すに1時間かかったそうだが、今では数人が時間内に書き終えているとのこと。

小生は、最初と言うことでちょっと慎重になり過ぎて35分かかってしまった。
中学生に負けてはならじ、訓練して小生も15分で書き終えるようになりたいものである。

百人一首や漢詩は書き終ってしまうとそれまでだが、天声人語は毎日掲載されるので、エンドレスである。

はて、さて、熱しやすく、冷めやすい小生のこと、いつまで続くことやら・・・・・。

濃霧・にわか雨・雷にたたられる~谷川岳登山

2011-07-28 | 友達・仲間

いつもの山歩きでは、ほとんど人に会わないが、さすがは高名な谷川岳、この日は大勢の登山客が列をなして我々を追い越して行った。
追い越されることはあっても、追い越すことはないマイペースの我がパーティーである。


幼なじみたちとの久しぶりの山歩き。
今回は、谷川岳。

色々あるコースの中で天神尾根を「トマの耳」まで往復する初級者向けのコース。

この時期の谷川岳は、霧やにわか雨が予想され、特に雷が危険なので、小生も他の仲間たちも出かける前から『無理しないでね』とかみさんたちから固く念を押されてきているので、その心構えで登る。

先ずは、ロープウェイを利用して天神平まで行き、そこから歩き始める。

登り始めは木道が整備されていて、歩きやすかったが、それも束の間、後は大小様々な岩がゴロゴロしていたり、ガレ場ありとほとんど直登りのコースに悪戦苦闘。

いつもだったら、辺りの景色がその苦しさを紛らしてくれるのだが、この日は予想通り朝から天候不順で、しょっちゅうガスが湧いて来て、視界を遮り、しかも、蒸し暑いときているからたまらない。
歩いては休み、歩いては休みを繰り返すうちに、通常であれば2時間半で楽に登れる所を3時間もかかってしまった。

しかも、頂上に着くや否や雨がぽつぽつと落ちてきたと思ったら、見る間に本降りの様相に。
大急ぎでおにぎりを飲み込み、早々と下山へ。

雨はにわか雨で、激しく降ったり、止んだりを繰り返し、下山半分ぐらいな所でとうとう心配していた雷が遠くで鳴り出すと、その音が見る見る近づいてくる。

山での雷は初体験。
すぐ近くで雷鳴が聞こえるので、恐怖を感じる。

下山のスピードを上げる。

しかし、岩は雨で滑りやすく、土には水が溜まり始め、もう登山を楽しむ余裕などどこにもなく、ひたすら、ひたすら麓を目指す。

何とかロープウエイの駅にたどり着いた途端、猛烈な雨と雷が。

胆をつぶすほどの勢いで、これが山の雨と雷かと実感すると同時に、一足早く下山できた幸運を皆で感謝した。

そして、この影響でロープウエイは運転中止、1時間も足止めを食うことに。

それにしても、何とも、悪コンディションに祟られた今回の谷川岳登山であった。

 
歩き始めの頃は、木道が整備されていてルンルン気分で歩いていた(左)が、それも最初のうち、後は岩がゴロゴロした直登りの道(右)が続き、ルンルン気分も吹っ飛ぶことに

この日は、朝から天候が不安定で、後から後から雲が湧いて絶えず視界不良、尾根からの景色が見られなかったのは残念であった。

 
「天狗の留まり場」で休憩、それまでは湿度が高く蒸し暑かったが、ここは涼風が吹きあげてきて別世界の感。『生き返る思いだね』と言ったHちゃんの言葉には実感がこもっていた。(左)谷川岳の頂上「トマの耳」にようやく辿りついて、みな、満面に笑み。(右)
 
濃い霧が立ち込めた谷川岳の頂上「トマの耳」から「肩の小屋」を望む。(左)雷雨のため1時間足止めを食い、ようやく運転を再開したロープウエイの中から見た外の景色は霧が立ち込めて視界は全く不能(右)


【3字体(楷書・行書・草書)千字文】を書く 第24回

2011-07-25 | 書道
       お手本 大貫思水「新版四体千字文」(日本書学館)


【読み方】

かと めっかく       せんど かいめい

かじゅん やくほう     かんへい はんけい

きせん はぼく       よいぐん さいせい


【意味】

晉の献公は、虞の国を征しようとして途を虢の国にかり、虞を伐って帰るとき、虢をも滅ぼし、献公の子・文王は践土に諸侯らを会し、相一致して周の天子を敬い、朝貢することを盟った。

漢の蕭何は高祖が天下を定めた時、秦の苛法を除いて、法を三章に約し国は大いに治まった。これより前、韓非子は秦の相の時、種々の苛酷な法令をしいたため政治は衰え、人民ははなはだ疲弊し、遂に漢に亡ぼされた

秦の将軍であった白起、王箭、趙の将軍であった廉頗、李牧の四人は軍略に長じ、用兵に最も精通しており、世にすぐれた名将であった。

孫のKちゃん、初体験!~盆踊りで食べた『綿菓子』の味

2011-07-24 | 家族・母・兄弟
孫のKちゃんが通う幼稚園が夏休みと言うことで、Kちゃんをはじめママさん、弟のNちゃんの母子3人が我が家に泊りがけで遊びに来ている。

昨夜は、丁度町内会の盆踊りの日。

何時もは出かけたことなどないのだが、今年は孫たちが来ているので、早々と夕食を済ませてみんなで盆踊りを見に出かけた。

 
30分も並んでようやくゲットした綿菓子を抱いてにっこりポーズのKちゃん(左)、ようやく順番が回って来て、綿菓子を作るおじさんの様子を興味津々見つめるKちゃん(右)

会場には、子どもたちが大勢集まっていて、その多くが『綿菓子』を買おうと長い列が。

Kちゃん、まだ、綿菓子を食べたことがないというので、我々もその長い列に加わる。

約30分も並んだ末、ようやくゲット。
帰りの道々、みんなで綿菓子をちぎって食べた。

初体験のKちゃんも、大人がやっているのを見て、自分でも、ちぎっては食べ、ちぎっては食べ『おいしい!』を連発。

生後8カ月の弟のNちゃんも、ほんの一かけらおすそ分けをしてもらって満足そうである。

我々大人たちも

『何十年ぶりかしら』

と言いながら、懐かしい味をかみしめ、久しぶりに童心に還った思いであった。

久々に読書の楽しさ面白さを満喫~加藤 廣著『求天記』

2011-07-21 | 読書
昨日のこと。

台風と言うことで、外歩きもままならないと思い、雨風が強くならないうちに読む本を探しておこうと久しぶりに図書館に行き、物色中に見つけたのが加藤 廣が書いた『求天記―宮本武蔵正伝』。

デビュー作『信長の棺』から始まり『秀吉の枷(かせ)』『明智左馬助の恋』と続く「本能寺三部作」で、読者を『あっ』と言わしめ、戦国史に新境地を開いた作家・加藤 廣。

この作家は、宮本昌孝、海道龍一郎と並んで小生が最も好きな時代劇作家の一人である。

その加藤 廣が今度はあの剣聖と謳われる「宮本武蔵の生涯」に挑んだのだ。

歴史上の一場面にあっと驚く新たな光をあて、一気に読ませるのはこの著者の真骨頂。いかなる武蔵像を立ち上げたのか、期待して読んだが、まさにその期待に違わず486ページと言う大作であったが、借りてきたその日のうちに一気に読み終えてしまった。

                   加藤 廣著『求天記―宮本武蔵正伝』(新潮社)


その構成だが、第1部「武人武蔵」、第2部「武将武蔵」と言う章立てで、第1部ではおなじみの佐々木小次郎との巌流島の決闘を、第2部で今まで等閑視されてきた武蔵の後半生をクローズアップしている。

佐々木小次郎との決闘のからくりは、いかにもこの著者らしい新解釈が施されていて、その考察力には大変興味をそそられたが、本書の見どころ、読みどころは

「これまでの武蔵像は、忽然(こつぜん)と現れ、忽然と消えていくイメージだったでしょう? 巌流島の後の話はあまり書かれてこなかった。でも彼は実際に生き、生活した。何を考え、なぜ、どこへ行ったのか、史料という限定の範囲で想像し、書き上げました」

と著者が述懐しているように、戦が終わり、三十歳を超え、保身の時代へと移り変わる世に「無用の長物と化した自分」を意識し、虚(むな)しさを抱え込む剣の天才が、迷い、悩み、あがきながらも、新たな可能性を求めて彷徨する姿を細川忠利、水野勝成、真田信繁(幸村)と言った武将や紹琨、愚堂といった高僧との出会いを通して、この作家らしい、大胆な想像を交えながらいきいきと描きだした後半生にあると言えるだろう。



午前10時半に読み始めて午後11時半まで、一心不乱に読みふけり、読了。

この所の暑さで全くと言っていいほど遠ざかっていた読書だが、台風のお陰で一念発起、久々に読書の楽しさ面白さを満喫、充実した気分を味わった次第である。