折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

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ブログの通信簿~年齢・23歳・性別・女性と判定され苦笑い

2008-07-29 | ブログ
現在投稿しているブログから『ブログ通信簿を作って見ませんか』というお知らせがあった。

『通信簿』、何とも懐かしい言葉である。


振り返って見れば、子供の頃の通信簿が自分に点数をつけられた最初であった。

長じて社会人になると『通信簿』に代わって『考課』で点数をつけられることになる。

言ってみれば、これまでの人生は、『通信簿』に始まり、いつも点数をつけられてきた生活でもあった。

そして今、『考課』という通信簿をつけられる生活にピリオドを打ち、通信簿の世界からもリタイアできたわけであるが、それとて面と向かって通信簿をつけられなくなったというだけで、これからも夫として、父親としてそして一人の社会人として様々な形で通信簿はついて回ることになる。

こう見てくると、人間生きている限り通信簿から逃れられない定めなのだとつくずくそう思う。

         
         小生のブログの通信簿

閑話休題

さて、ブログの通信簿に話を戻すと、お知らせには次のように書かれていた。

ブログ通信簿は、あなたのブログを分析し、通信簿を作成するサービスです。
最新記事10件から技術的な解析を行い、判定結果を表示します。


2年間もブログを続けて来ると、自分のブログが第三者の目にどう写り、どう評価されているのか正直気になる。

そこで折角の機会でもあるし、軽い気持ちで応募した。

結果は、貼付した写真のとおりであり、小生にとって何よりの激励であると受け取っている。

ただ、一つだけ大いに意外だったのはブログの『性別』と『年齢』の箇所。
それによると小生のブログは23歳の女性が書いていることになるらしい。

『通信簿の見方』という解説によれば、
ブログ性別とブログ年齢は、ブログに書かれた内容や言葉遣いなどから自動的に推定されます。例えば、実際には20代の方でも、40代がよく話題にする内容を書いていると40代と判定されます。また、言葉遣いが女性っぽいと女性となります。 実際のブログ作者のプロフィールを示すものではありません、と書かれている。


ブログに書かれた内容や言葉遣いなどから自動的に推定されるとあるが、若い女性とは最も遠い距離にいる存在だけに、自分の書いた文章のどこが23歳の女性という判定の対象になったのか全く思い当たる節がなく、狐につままれたような気分で、苦笑いを禁じえなかった。

それと同時に、『自動的に推定』とあるのは曲者だな、これからはその内容については、鵜呑みにしてはいけない、一応疑ってかかる必要があるな、ということを身をもって学習した次第である。
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写真が主役VOL15 午前5時15分の風景

2008-07-26 | 写真が主役シリーズ

『釣り人』、『散歩する人』、『通り過ぎる電車』この3者が重なった瞬間がシャッター・チャンス


午前5時起床。

早朝にもかかわらず、昨夜の熱帯夜の名残で空気は熱を帯びて、じっとりと澱んでいる。

家々の雨戸は、未だ閉まったまま、道路を行き交う車の姿もマバラで、歩いている人の姿は見えない。

この時間、街はまだ目覚めていない。

そんな中、すっかり目覚め、生き生きと活動を始めている場所がある。

住民の散歩コースとなっている黒目川沿いの一角である。


愛犬パールとの朝の散歩コースとなっているこの場所に着いたのは5時10分。

もうこの時間、川の両側の遊歩道は朝の散策をする人たちが行き交っている。


遊歩道は、涼しいうちに散歩しようとする人たちが行き交っている

一人で歩いている人、仲間たちと楽しそうに散歩を楽しんでいる人、ランニングで汗を流す人、ベンチに座って新聞や本を読む人、勿論、小生のように愛犬を連れている人もいる。

川べりでは、釣り糸をたれている釣り人の姿も見える。

また、川沿いには市が提供している家庭菜園が一面に広がっていて、ナス、トウモロコシ、キュウリ、トマトなどの野菜が丁度収穫期を迎えて、たわわに実っている。そんな家庭菜園のあちこちに収穫に余念のない人たちの姿が遠くに望まれる。


家庭菜園には、野菜を収穫している人たちがあちこちで見られる


きっと、このとれたての野菜が朝の食卓に並ぶのだろうな、さぞかし新鮮でおいしいだろうなと想像し、ちょっと羨ましくなった。


午前5時15分。

しばらく歩くと、川に架かっている東武東上線の高架を望む場所にさしかかる。

その場所にたまたま釣り糸をたれている人がいた。
そして、対岸を散歩する人の姿も。

そんな風景を見て、この『釣り人』、『散歩する人』という二つの要素に『陸橋を通り過ぎる電車』という要素が構図的にうまく収まれば一つの絵になるなと瞬間的に思った。


確定要素は、釣り人だけ。
散歩する人、電車は不確定要素である。

カメラを構えて、『釣り人』に『散歩する人』、『通り過ぎる電車』が重なる瞬間をひたすら待つ。

待つこと暫し、ようやくにして3者が重なる瞬間がきて、撮った写真が本日の主役である。


午前6時。
散歩を切り上げて、帰路に。

もうこの頃になると、車が行きかい、駅に向かう通勤の人たちの姿がちらほらと見られ、街は完全に目覚め、慌しく活動を始めた。


梅雨が明けてから毎日午前5時に起きて愛犬と散歩している。

散歩から戻って浴びる『熱いシャワー』と寝不足を補う『午睡』が早起きに対する何よりの『ご褒美』である。
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写真が主役VOL14 『276文字』の世界

2008-07-23 | 写真が主役シリーズ

7月17日から7月22日まで武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーで開かれた平成20年
度書道教室の作品展に出品した『般若心経』の写経の一部(字が細かすぎて全部をカメラに
納め切れなかった)



『先生、出品作品の差し替え、まだ間に合います?』
『間に合うわよ、でもどうしたの?』

『できれば、般若心経の写経にしたいんですけど・・・。』
『いいんじゃない、Kさんに以前写経を書いてみたらと勧めたことがあったわよね、その時はあんまり乗り気でなかったみたいだったけど、どういう心境の変化かしら』


そこで、幼なじみに誘われて秩父34箇所札所めぐりをしている最中であること、
最初は物見遊山の気分でいたが、訪れたお寺の本堂の仏様の前で幼なじみが般若心経を熱心に唱えていることに刺激を受けたこと、
その時、先生の『写経を書いて見たら』と言う言葉を思い出したこと、
そして、実際に書いて見たら先生がおっしゃったように、自分の好みに合っていると感じたこと
などを説明した。

『前にも、この教室の生徒さんで般若心経の写経を作品として出した人がいたわよ。Kさんも頑張って、チャレンジして見て』

と先生に励まされて書いたのが、本日の主役である般若心経の写経である。

             
             余りにも字が小さいため、展示会場では全く目立たなかった



約2時間。
般若心経276文字を一画たりともゆるがせにせず書くには、相応の集中力と忍耐力が求められる。
それだけに、上手い、下手は別にして、書き終わった後の充実感はひとしおである。


思えば、札所めぐりをしていて『書いてみよう』と思い立ったのも何かの『縁(えにし)』。
この『縁』を大切にして、これからも折にふれて写経を続けていきたいと思っている。
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『当意即妙』、『軽妙洒脱』の応接

2008-07-20 | 日常生活
小生が通っている書道教室の仲間の中に長い間二人して自営業を営んでいるAさんご夫妻がいる。

小生よりも1年遅れてご夫妻で書道を始め、楷書、行書と精進を重ね、今では<かな>文字にもチャレンジしている。

大変練習熱心で、いつの間にか自然と決まってしまった感のある指定席に二人並んで『切磋琢磨』している『おしどり夫妻』である。


われわれサラリーマンは、リタイアすれば遅かれ早かれ、否応なく日常生活の大半をかみさんと顔をつき合わせて過ごす『未知なる生活パターン』に入ることを余儀なくされる。(もっとも、小生の場合は目下かみさんが勤めているので、その状況は先延ばしになっているが・・・・・。)

『四六時中』顔を付き合わせる生活の中で、お互いどう『折り合い』をつけるか、これから先、ずっとついて回ることだけに、なおざりにできないことの一つと言えよう。

そういう観点から見ると、仕事でもいつも一緒、その上、趣味も一緒、即ち『四六時中』一緒というお二人の生活ぶりは、小生には実に興味深く、かねてからお二人に『ノウ・ハウ』と言うか『本音』と言うか、そのあたりをお聞きしたいと思っていた。

そこで、先日ストレートに『四六時中いつも一緒で、お互い<うっとうしい>、<わずらわしい>と感じることはないですか』と聞いてみた。

ご主人

『Kさん、われわれは自営業だから、そんな肩肘張ったようなこと言ってたら、とてもやってられませんよ』

と、いともあっさりと受け流されてしまった。(言われて見れば、まさにそのとおり。)

一方、奥様には

『仕事も、趣味も頼りがいのあるだんな様で・・・』

と、これまた巧妙に切り返されてしまった。(ごちそうさまです。)

さすがは、長い時間二人で人生の苦楽を共にして来たお二人、まるで申し合わせたようにぴったりと息の合った応対に『当意即妙』、『軽妙洒脱』とはこういうことを言うのだなと感じ入った次第である。
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幸せのおすそ分け~戻って来た、ナナちゃん

2008-07-17 | 日常生活
先週末のこと。

お隣の家に車が停まり、息子さん夫婦、お子さんそして犬のナナちゃんが相次いで降りて来た。

ナナちゃんを里帰りに連れて来たんだな、とかみさんと顔を見合わせた。

我が家の愛犬のパールがその気配を聞きつけて、隣の和室にすっ飛んで行って、網戸になっている窓から外を見て、盛んに尻尾を大きく左右に振っている。

そして、夕方。
息子さん夫婦とお子さんは、再び車で帰って行った。

『あら、ナナちゃん、乗っていなかったわね、里帰りで少しこっちにいるのかしら』
『きっと、そうなんじゃない』

(お隣の飼い犬のナナちゃんが、息子さん夫妻に引き取られていった経緯については、6月22日付けブログ『愛犬のいない散歩』で書いた)

そして、翌日から朝、晩これまでのようにナナちゃんを連れて散歩に行くお隣のご主人の姿があった。

『この間、奥さんが言ってたんだけど、お隣の息子さんご夫婦、二人ともお勤めでしょう。ナナちゃんは、1日中留守番で寂しがってた、というから、そんなこともあって、ひょっとしたらまた、お隣で面倒見ることになったのかしら』とかみさん。

『ナナちゃんのためにも、お隣のご夫妻のためにも、良かったのでは』と小生。

そんな会話をした翌日、パールを連れて散歩に行く途中でナナちゃんを連れて散歩から戻って来たお隣のご主人とばったり出会った。



孫のSくんが描いたパールとナナちゃん(右)


『ナナちゃん、戻ってきたの。良かったね』とナナちゃんに声をかけると、『パール、お前さん元気だな』とお隣のご主人がニコニコしてパールの頭を撫でてくれた。

その笑顔は、幸せがいっぱい溢れていて、こちらまで幸せのおすそ分けをいただいたような気持ちになった。

この上なく気分の良い1日のスタートであった。
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