折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『整理・整頓』と『武道』精神

2007-10-26 | 教育
                

写真は、小生たち『居合道・抜刀道』サークルが練習の場としてお借りしている某学校の武道場の更衣室である。

この更衣室が小生のブログに登場するのは、今回で4回目である。

1回目は5月21日『取り止めのない独り言』と言う表題で、目を覆いたくなるほど更衣室が散らかっていて、およそ『剣道』に精進している生徒たちが、こんなことでいいのかと問題を提起した。

2回目はそれからしばらく経った6月9日『大人の目配り』と言う表題で、今度は目を疑うほどに更衣室が整理整頓されていて、この間に一体何があったのだと、一同喧々諤々その原因を推測し合ったこと、そして、このような状況が何時まで続くか『賭け』たところ、『続かないだろう』という悲観論が圧倒的だったことを紹介した。
そして、事実その通りになってしまい、『やっぱりね』、『元の木阿弥ね』、と、一同がっかりしたのである。

3回目はそれから約2ヵ月半経った8月27日『部活教育』と言う表題で、小生たちの居合の先生方に、その学校の剣道部の部活担当の先生から、『今度、剣道部の部活を担当することになったが、剣道については全くの素人なので何かアドバイスを』と請われて、『先ず、部室の整理・整頓を指導されたら』とアドバイスしたこと。そして、その後、部室がきれいに整理・整頓されるようになったことを紹介した。

そして今回が4回目である。
実は、部室がきれいに整理・整頓されていたのはブログに紹介してからわずか数週間ほどで、今ではまた目を覆いたくなるような惨状を呈している有様なのである。もっとも、時々きれいになっているのを見ると、多分その時は部活の先生が巡回に来て注意したのだと想像される。

小生を始めサークルの皆が新米先生の意気込み、リーダーシップに期待したのだが、多分、先生は現場を見て、『ほら、汚れていてきたないでしょう、皆できれいにしなさい』と指示しているのだろうが、こう言うだけで本当の指導になっているのだろうか。
確かに汚れている事実を指摘し、きれいにさせることは真っ先にしなければならないことであるが、それだけでなく、なぜ、整理・整頓が必要なのかを剣道の目指す精神との関わりで正しく、懇切丁寧に説明し、生徒を納得させ、従わせることが求められていると思うのだが、惜しむらくは、剣道に全く素人の先生には、それを伝えるすべがないのではないだろうか。

多分、このままでは、『注意されれば、その時だけは仕方なくやるが、言われなければやらない』と言う『いたちごっこ』がこれからもきっと続いていくに違いない。


折りしも、中学校の体育で武道を必修化する方針が決まった。
2011年度から実施予定らしいが、小生も武道を学ぶ一人として基本的には賛成であるが、一つ懸念がある。
それは、指導に当たる先生方で武道の文化、精神の本質を本当に理解している人が果たしてどれくらいいるだろうかということである。
この中学校の例一つをとってみても、はなはだ疑問を感じざるを得ないのである。

勿論、『それは、お宅の中学校だけの話しで、他ではそんなことはない、あなたの杞憂ですよ』と言い切れるのであればそれに越したことはないのだが・・・・・。


『部活』教育

2007-08-27 | 教育
今、多くの学校が地域社会への貢献の一環として、学校の施設の一部を一般の人に無料で開放しているようだ。
我々居合・抜刀サークルも、このお陰で毎週月曜日と金曜日の2回、夜の7時から9時までの2時間、某中学校の武道場を使わせてもらって稽古をしている。

学校側としては、それがどの程度利用され、どれだけ役に立っているか、社会貢献の成果を把握すべく、毎年1回学校の施設を利用している、それぞれのサークルの主催者を集めて、活動状況の報告を聴取したり、学校側、各サークル側双方の要望等を話し合う懇談の場を設けている。

今年もその会合が開かれ、当サークルからは例年通り居合道七段と六段の二人の先生が出席し、活動状況を報告した。

そして、その会合の終了後、中学校の剣道部の部活担当の女の先生から両先生に折り入って相談があったと言う。

その相談とは、

自分は今度、初めて剣道部の部活を担当することになったが、剣道については全くの素人で何もわからない。不安で、自信がないのだが、お二人の先生方は、武道の経験が豊富で一家言お持ちのことと思うので、この際、部員を指導していく上での心構えについてアドバイスをいただけないかと。

相談を受けた両先生は、その女の先生にこうお話されたそうである。

先生、剣道に素人であることを心配されることなんて、ちっともありませんよ。技は教えられなくても、他に教えることはいっぱいあります。部室の整理・整頓、防具の手入れ、道場の清掃もその一つですが、本校においては、どれをとっても大変失礼ながら、なおざりにされている、見過ごされている、もっとはっきり言えばまったくできていない。
武道の目指すところは『人間形成』の場です。例えば、剣道は<礼に始まり、礼に終わる>と教えていますが、およそ武道を志すものにとって、こんな基本的なこともできていないということは、とても恥ずかしいことです。

ですから、先ずは第一にこの点を改めるよう生徒を指導されたらどうでしょうか。これは、剣道が出来る出来ないに関係なく、すぐにやれることです。
悪いところははっきりと指摘して、直させ、身につくまで根気よく教え込む。それが人を教え、育てるということ、即ち、教育と言うものではないですか、と。

道理で、このところ部室がやけにきれいになっていると思ったが、そんなことがあったのかと納得する。
そして、武道の『人間形成』と学校教育とは、こういうところで繋がるものなのだと両先生の話しをお聞きして、思いを新たにした。

『あの女の先生、今のところやる気十分のようですね。以前も、ちょっとの間きれいになったことがあったが、お茶を濁す程度にやってたもんだから直ぐに元の木阿弥になっちゃったけど、今度は徹底的にきれいにしているみたいだから』『そうですね、<渡りに船>とはこういうことを言うんですかね、お陰できれいな場所で着替えが出来て気分がいい』と両先生が笑いながら話しているのを横目で見ながら、新米部活担当の女の先生これから先も頑張ってよ、と心からエールを送りたいと思った次第である。   

『ゆでがえる』現象

2007-07-12 | 教育
久しぶりに埃をかぶったままになっている本の整理をしようと思い立ち、ハタキをかけたり、本棚を雑巾で拭いていると、片隅から古ぼけて変色している封筒が出てきた。

「何だろう」と中身を取り出してみると、数十年前、会社で管理職になった時に受講した研修会のテキストだった。

「ええっ!こんなものが良く残ってたもんだ」と懐かしく、思わずページを繰って行くと、あるページに朱色でアンダーラインが引いてあった。

そこには、『ゆでがえる現象』と言う言葉が、大きな活字で書かれていて、次のような解説がつけられていた。


<ゆでがえる現象とは?>

カエルを熱いお湯に入れると、ビックリして飛び跳ねて命が救われる。しかし、水の状態から入れてその水がだんだん熱くなっていくと、カエルはその変化に気付けず、やがて命を落としてしまう。

おかしいなあ?と思っていることも日常化してしまうと、その問題に気付けず、やがて悲惨な結末を迎える・・・・・という意味。

大企業や大きな組織に発生しやすい現象。

そして、小生の直筆で

なれ合い、もたれ合い体質 → 事なかれ主義体質 → 無責任体質 → 組織の緩慢な『死』 → 管理者は組織の『ゆでがえる現象』と『活性化』に留意のこと。

というメモ書きがある。


そして、改めて思った。

最近、『消えた年金問題』、『官製談合問題』、『天下り問題』、『政治とカネをめぐる問題』等、様々な不祥事が相次いで起こっているが、これらもつきつめてみれば、この『ゆでがえる現象』が背景にあるのではないかと。

『ゆでがえる現象』は、数十年前の問題であると同時に、まさに現在進行形の問題なのであると。

しかも、より心配なのは、数十年前に比べて『ゆでがえる現象』の症状は明らかに進んで、既に『危険水域』に限りなく近づいていると思われる点である。

『社会保険庁』、『緑資源機構』と言う二つの組織が、解体=『組織の死』を余儀なくされたのは、まさにその証左である。

そして、手をこまねいていたら、第二、第三の『社会保険庁』、『緑資源機構』が次々に出てくるだろう。

今、喫緊の課題は、この『危険水域』から脱出するための、具体的な処方箋である。



折りしも、今日は参議院選挙の『公示日』である。

今度の選挙は、この『ゆでがえる現象』に有効な処方箋を示せる人物・政党に投票しようと思っている。

大人の目配り

2007-06-09 | 教育
         
写真(左)5月21日時点では足の踏み場のないほどに散らかっていた部室。
写真(右)きれいに整理整頓されていた部室


『ええっ!どうしちゃったの?』

『何があったんだ?』

『信じられない!!』

『ウソだろう!!』

居合いの練習日、三々五々集まって来たメンバーたちが異口同音、驚きの声を上げた。
無理もない、つい先日までは足の踏み場もないほど散らかし放題だった武道場の部室(5月21日付けブログ『取り止めのない独り言』)がきれいに整理整頓されているのである。

ある事情通のメンバーの一人が解説してくれた。

『校長が替わったろう。今までの学校のあり方を見直しているんだってさ。<整理整頓>もその一環じゃない』と。

『なるほど、そういうことか』

『上に立つ者が、ちゃんとリーダーシップを取れば改善ができると言うことか』

『でもね、最初はいやいややると思うけど、それがどこまで続くかね』

『そのためには、最初が肝心だよ、<習慣化>するぐらい徹底的にやらないとね』

きれいに整理整頓された部室を見て、日頃、散らかし放題の状況に憤懣やるかたなかったメンバーたちも気分を良くしたようで口も滑らかだ。

何はともあれ、清潔に整理整頓されている光景を見るのは、清々しく気分が良いものだ。この状況がこれからも続くことを切に祈りたい。

これに関連があるような話が、先日読んだ新聞に掲載されていた。西武への『裏金』問題、『特待生』問題で揺れに揺れた専大北上高校野球部の監督の話である。少し長くなるが引用させてもらうと、

生乾きの洗濯物、脱ぎっぱなしの靴・・・・。屋内に汗のにおいが充満していた。昨年3月、専大北上高(岩手県北上市)の野球部寮を訪れた堀田一彦(51)はあぜんとした。教員らが交代で宿直していたが、管理人はいなかった。
『大人の目配りがない』。翌月、監督になった堀田は生活習慣を改めることから始めた。(中略)監督就任直後の練習で生徒を相手に投げ、打ち取った後に『野球だけでは成長しない』と説いた。『ネクタイが緩んでいる』、『ひじをついて食事をするな』。マナーの悪い選手はレギュラー級でも練習からはずした。
信念があった。大学卒業後は社会人でプレーし、専大の監督も務めた。見てきた中で生活態度の悪い選手は大成しなかった。『野球は個人が好き勝手にプレーしては成り立たない。それは言葉でなく、普段の生活の中で身につけるもの』(以下略)
(6月6日付朝日新聞「フェアの精神~高校野球考」より引用)


これまで、この学校の武道場の整理整頓ができていなかったのは、一義的には生徒に非があるが、根本原因は生徒を指導すべき大人たちの『目配り』が不足していたからではないだろうか。

その点、今回、曲がりなりにも整理整頓が行われるようになったのが、巷間言われているような(真相は定かではないが)校長先生が交代したことに伴う管理方針の変化なのであれば、その姿勢は大いに歓迎したい。

『で、どう、このまま続くと思う。賭けてみる。』

と例の情報通のメンバー

みんなの予想は、『続かない』と言う悲観的な見方が圧倒的であった。

『君たちは、全然信用されていない、頑張れ生徒諸君!!』

取り止めのない『独り言』

2007-05-21 | 教育
                   
                  足の踏み場もないほどに散らかっている部室内


『相変わらず、ひどいもんだね。』

『足の踏み場もないじゃない。』

『我々が、毎回のように掃除してやってんのに、ここの子供たちったら全然気がつかないのかね。』

『先生も先生だね、生徒に整理整頓をちゃんと指導してるのかね。』

『職員室の先生方の机の上だって、随分と乱雑だもんね。整理整頓しろ、と強く言うのはちょっと気が引けるのと違う?』

居合・抜刀の稽古が始まる前のことである。

午後7時前になると三々五々メンバーが集まってくるが、真っ先に話題に上るのが練習で使わせてもらっている学校の剣道場の散らかし放題になっている部室の状況を嘆き、憤る言葉であり、冒頭の会話がメンバーの言わば挨拶代わりになってから久しい。

今回も一向に改まる気配のない状況に苛立ちを募らせているメンバーの声を横で聞きながら、小生もいつしかこの問題について、取り止めのない思いの中に引き込まれていった。
以下は小生の独り言、モノローグである。


だけど、いやしくも武道を志す者にとって、道場をきれいに掃き清め、自分達が稽古着に着替える場所の整理整頓に努めるのは、初歩中の初歩でしょうよ。こう言う基本的なことも部活の先生は教えないのかね。

試合での礼儀作法については、教えるんだろうけど、防具の手入れ、整理整頓についてはどうなのかね。でも、この有様を見れば、およそ見当がつくじゃん。

どうして教えないのかね、その辺が全然理解できないね。

教える方も、教わる方も、面倒くさいからと違う?

そんな横着な!!

そう思うだろう、だけど現実にはある程度の努力、忍耐、不自由さを伴う『義務』の履行を指導するってのは、容易なことではないんじゃない。

確かに後片付けとか整理整頓とかは結構面倒だものね。できればやりたくない、誰かにやって欲しいと思ってるのが多いという訳か。

今の世の中、権利は人一倍主張するが義務の方は疎まれ、軽んじられていると言うことと大いに関係があるのと違うかね。

これには多分幼児期の『しつけ』も関係があるんだろうね。『しつけ』には、努力と忍耐が必要であり、手間、暇がかかるからね。

最近の『大らかに、伸び伸びと育てる』と言う教育方針には大いに賛成だけど、その美名の下、基本的な『しつけ』までがないがしろにされて、『放任=手抜き』が行われているということはないかね。

正直言って、子供の給食費を払えるのに払わないと言う親に育てられた子供は一体どうなるのか、他人事ながらはなはだ心配だね。

大人の世界=価値観が、ダイレクトに子供の投影されるというからね。小さな子供の前で、大人が平然と赤信号を無視して道路を横断している。大人が平気で約束事を反故にしている。学校に『道徳』の授業をと言う前に大人のモラルが先ずは問われなければ・・・・。

ある現役の先生がこんなことを言っているのを聞いたことがあるんだ。それはね、『この子の親の顔を見てみたい』と言う言葉は、ちょっと前までは、先生方を手こずらせるどうしようもない『ワル』の親は、一体どんな親なんだと言う意味合いに使われていたが、今は、こんなに『素直な良い子』に育てた親ってどんな親なんだと言う180度違う意味に使われているんだって。

へえ!ほんとかね。

話を元に戻すと、『整理整頓』なんて言葉は、今や『死語』になっちゃったのかね。

整理整頓と言う言葉が『死語』になっちゃったかどうかはともかくとして、『死語』の増加は『モラルの低下』と相関関係があるんじゃないかな。

『Kさん、何ぼんやりしてんのよ、練習始めるよ。』

と言う声に「はっ」と我に返る。

さあ、雑念を振り払って、『稽古、稽古』