折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

プレゼントへの思い

2007-02-26 | 家族・母・兄弟

64歳の誕生日を幸せな気持ちで迎えられことに感謝


『じいじ、おたんじょう日おめでとう』

受話器から孫の元気な声が飛び込んできた。

『ああ、Kくん、ありがとう。元気』

しばらく二人の孫と話した後で息子が電話に出た。

『誕生日おめでとう、品物届いた?』

『ありがとう、昼ごろに届いたよ』

『もう、使った?』

『明日、Wちゃん夫婦が来ると言うので、その時に使おうと思ってるんだ。(Wとは娘のこと)

『我が家の喫茶店のマスターには、<豆>を挽いてコーヒーを淹れてもらわなくちゃあ、と思ってプレゼントしたんだけど・・・。今度行ったときは、おいしいコーヒーを頼むね』

小生の誕生日のプレゼントに息子がコーヒー・ミルを送ってきたのである。

どうも、小生のブログ(06・12・02『完全復活』)を見て、我が家では、コーヒーを淹れるのが小生の役割であり、趣味でもあると言う記述を読んで、よ り本格的にコーヒーを楽しむようにとコーヒー・ミルをプレゼントの品物として選んだらしい。(翌日、娘夫妻が来た時に早速使ってみたが、コーヒーの馥郁た る香りが部屋中に広がって、それは、それは本当に喫茶店のマスターになった気分を味わった。)



息子のプレゼント コーヒー・ミル(写真左)
娘のプレゼント 黒皮の手帳とペン(写真右)

翌日、娘夫婦がケーキとプレゼントを持ってやって来た。

プレゼントは、小さな箱に収まっていた。

『何だろう』

と言いながら、包装紙を開いていると娘が、

『ヒント、ブログに関係あり』

『ああ、手帳か』

『ご名答、散歩の時に使ってよ』

出てきたのは、小さいけど高級感のある『黒皮の手帳』と筆記具である。

これまた、小生がブログ(06・12・05『冬の散歩道にて』)で、散歩の最中にインスピレーションが湧くことが多いので、忘れないように、いつも手帳を持参している、と書いたのを読んでのことらしい。

『小さいけど、持ち運びに便利な方がいいでしょう』
『この手帳、<皮>だからね』
『中の用紙は、取り替えられるからね』

とか、売り込みに余念がない。
(兄貴のプレゼントを意識した?)

その日の夜

風呂の浴槽で、大いにリラックスしていると突如、ブログに書くモチーフが浮かび、次々に文章が湧いてきた。

大急ぎで浴槽を飛び出して、もらったばかりの手帳に、一気に書きなぐる。(それが、今日のブログである。)

今年の子供たちからのプレゼントは、まるで申し合わせたように二人揃って小生のブログをヒントに品物を選んでくれたようである。

<二人の気持ちが、期せずして揃った>ということが、小生にとってはどんな高価なものをもらうよりも嬉しかった。その意味で、ことしのプレゼントは、想い出に残る一品となった。

そして、誕生日を幸せな気持ちで迎えられたことに感謝である。


「おれ流』スランプ対処法

2007-02-23 | 趣味

写真上 石飛博光先生のお手本
写真右 最近書いたもの
写真左 1年前に書いたもの


カルチャー・スクールで書道を習い始めて今年で4年目を迎える。

最初の1年は、夢中で書きまくった。

2年目に入ると、書くのが段々楽しくなって、中国の高名な書家の臨書を2時間程度毎日のように書いた。そして、自分でも上手くなっていくのを実感できた。

そして、3年目の昨年、突如スランプに陥った。

それまで、楽に動いていた筆が思ったように動かなくなってしまったのである。何回書いても、思うように行かず、焦って気持ちが乱れた。そして、これをきっかけに全く筆を握る意欲が湧かなくなったのである。

スクールへ行っても楽しくなく、練習に身の入らない日々が続いた。

そこで思ったのは、これまで『がむしゃら』に『根(こん)』を詰め過ぎた咎めが出たのだろう、ここは思い切って『やる気』が湧いてくるまで『休もう』と心に決め、スクールでの練習以外は筆を持つことを一切やめてしまった。

そして4年目を迎えた今年、唐突に目の前が開けた。

ある日のこと、スクールでお手本を見て練習していると、一つの文字が自分の思うとおりに筆が動いて、自分なりに納得のいく字が書けたのをきっかけに、お手本のほかの字もすらすらと書くことが出来たのである。

この時のことを一言で表現するならば、「何か忘れていたものを思い出した感覚」であった。

書き上がった作品を添削してもらうべく、先生の所に持参すると

「あら、Kさん今日の字とってもいいわよ」と褒めてくれた。

スクールに入り立ての頃は、「お上手だわ、前に習ってたんでしょう」
と一再ならず褒められたが、最近はとんとお褒めの言葉に預からなかっただけに嬉しかった。と同時に、自分も自覚し、先生にも褒められたことで、少し自信を回復し、やっと『やる気』が出てきた。

今月になってからは、1年前と同じように午後の1時間、机に座って、また練習を再開した。しかし、今はまだ『足慣らし』の段階だと思っているので、無理を しないよう時間も、書く量も少なめにし、書き上がったものを、スランプの前に書いたものと比較検討することに時間をかけるようにしている。

今回のスランプから得た教訓は、

短期間に結果を求めすぎて『焦った』、『急ぎすぎた』と言う反省と、ともかく時間はそれこそたっぷりとあるのだから、また書けなくなったら『休めばいい さ』と言うくらいの気持ちで、『ゆっくり』、『のんびり』と構えることが、書道に限らず、これからの人生にすべからく必要なのではないかと言うことの二点 である。



今日は64回目の誕生日である。

まだまだ、来し方を振り返る年ではないと強がっている自分と、一方では、せっせとブログで来し方を書きまくっている自分がいることに苦笑を禁じえない。

これからの人生、『自分の世界』をこれまで以上に大切にし、今回のスランプの教訓を参考に、『焦らず』、『ゆっくり』、『のんびり』そして『おおらか』に過ごしていきたいと念願している。

『体育会系』と『文科系』

2007-02-22 | 青春
幾つかの『不覚』を経て、迎えた結婚式。

そこで、最も心に残るスピーチをしてくれたのは、高校時代の親友H君であった。

以前、ブログで高校時代のクラスで悪がきがのさばっていて、学級崩壊寸前であったということを書いた(06・7・28『悪がきも、一瞬』)が、Hもその悪がきの一人であった。ただ、彼が、他の悪がきと違っていたのは、彼は頭が凄く切れ、単に悪ぶって見せているだけだったと言う点である。

そんな彼と、どちらかと言えば「優等生」タイプの小生とが無二の親友となるのだから、人間の相性とは不思議なものである。


披露宴は、小生の会社のスポーツをやっている仲間たちによる、野球や剣道やゴルフの話一色となって、あたかもサークル主催の披露宴の観を呈してしまっていた。

そうした雰囲気の中で、締めのスピーチとして登場したのがH君であった。



やれ剣道だ、やれ野球だ、やれゴルフだと皆さんのスピーチを聞いていると、いつの間にか新郎は『体育会系』の人間になってしまった観があるけど、俺が知っている新郎は『読書家』で、『音楽』を好み、『美しい女性』にこよなく憧れる、それはそれはナイーブなロマンチスト、体育会系でなく典型的な『文科系』の人間だったはずなんです。

こんなエピソードがあります。学生時代に二人で温泉に遊びに行った時のこと、お湯に浸かって寛いでいると、彼がHよ『仇討ち』後の人間の心理って、小説のテーマにならんかね。仇討ち達成直後の高揚感とその後に襲う一種の虚脱感、この辺りを『反体制運動』を『仇討ち』に見立てて、いつか書いて見たいと思ってるんだ。

俺が知っている新郎は、このように熱っぽく自分の思いを語る文学青年なのです。



それまで、体育会系の若者たちのスピーチに、いささか食傷気味だった出席者たちは、彼の新鮮かつ印象的なスピーチに引き込まれるように聞き入っていた。

そして、小生はこの心のこもったスピーチを心の中で「ありがとう」と感謝し、このような素晴らしい人間を友人に持ったことを誇りに思ったのを、今でも良く覚えている。

そのH君とは、2年ほど前に「うなぎ」を一緒に食べた後はご無沙汰である。(うなぎを食べた時に、この披露宴での仇討ちの話が話題となったが、彼曰く、「ああ、覚えてるよ、あの時は司会の人から締めのスピーチなので少し長めにお願いしますと言われたので、あの話をしたんだよ」と)

つい先日、来月に高校時代のクラス会をするという連絡が来た。
H君にも2年ぶりに会うことが出来る。今から、その日が楽しみだ。


これで『白い道』から続けてきた『初恋から結婚』に至る一連のお話は、一応完結である。

そして、『一生の不覚』

2007-02-21 | 青春
初デートでは、思わぬ『不覚』を取ってしまったが、プロポーズも済ませ、最後の難関、ご両親への挨拶というところで、またやってしまった。今度は『一生の不覚』である。

ご挨拶に伺う前、彼女から仕入れた情報によると、義父は大の『酒好き』で、『酒豪』とのこと。

『酒の飲めないやつなんて、男じゃない』が口癖らしい。これには、『下戸』の小生は、正直困惑した。

そこで、『見栄』を張り、『無理』をして、注がれるままに飲んでしまったのがいけなかった。

酒が入ると、『眠くなる』タイプの小生は、短時間に次々と杯を干したため、たちまち『酔いが回り』、猛烈な『眠気』に襲われた。

必死に目を開けていようとするのだが、次第、次第に瞼が重くなってきて、ついに前後不覚、肝心のお願いをする前に、だらしなくも酔いつぶれてしまった。

『はっ』と目を覚ました時は、すでに『深夜』、寝静まっている。

取り返しの付かないことをしてしまったことへの『悔恨』、居ても立ってもいられぬ『焦燥感』、身の置き所がないほどの『恥ずかしさ』、『情けなさ』、『自己嫌悪』に苛まれ、あられもなく狼狽して、布団の中で身を固くして、まんじりともせずに朝を迎えた。

幸い、ご両親の暖かい思いやりで、翌週に改めてお願いに上がり、お許しを頂くことが出来たが、今でも妻の身内では、『一度ならず、二度足を運んだお婿さん』ということで有名になっている。

あれから36年、そして、義父が鬼籍に入られて27年が過ぎた。

今でも、お膳の前にどっかりと座って、にこにこしながら、いつまでも、いつまでもお酒を飲んでいる(「のんべえ」の食事は、それこそ気が遠くなるほどに長いのだ!!)義父の姿を、あの時の『トラウマ』と共に、懐かしく思い出す。

そして、しばし過ぎ去りし時の流れを思う。

最初の『不覚』

2007-02-18 | 青春
学生時代から大の西部劇ファンで、映画と言えば西部劇に決まっていた。

それも、貧乏学生だったから『3本立て』なら最高だった!

その西部劇で、今も思い出すほろ苦い失敗談がある。

初デートの時、映画でも見ようと言うことになって、新宿コマ劇場周辺をうろうろしていると、真っ先に目に入ってきたのが、『誇り高き男』、『胸に輝く星』、『ワーロック」と言う、西部劇ファンには『必見』、『垂涎』『3本立て』の看板であった。


今日が何の日か、何のために映画を見るのか、わかっていながら、つい『ふらふらと誘われる』ように入場してしまっていた。

館内では、小生が一人『楽しんいたとあって、

『西部劇を見たいんなら、これからは一人で来てくれる』

と、『きつ~い一発』を見舞われて、その日のデートはご機嫌を取り結ぶのに四苦八苦、散々な結果となってしまった。

あの日のことは、その後いつまでも尾を引いて、折に触れ、

『始めて一緒に見た映画が、西部劇、しかも、3本立て。全く、デリカシーがないんだから』

と、ちくり、ちくりと攻められると、それこそお手上げ、全くの『無条件降伏』である。


それでも、今でも西部劇は大好きで、NHKの衛星放送で昔の西部劇を放映する時は、必ず録画している。

録画本数も大分たまったので、これから『若かりし、昔』を思い出しながら、一本一本をじっくりと鑑賞しようと思っている。