折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

写真が主役VOL46~叔父さんの『遺作』

2010-07-31 | 写真が主役シリーズ

叔父さんの版画の年賀状は毎年の楽しみであった。
もう、これからはこの年賀状を見ることができないと思うと寂しく、残念である。



尊敬してやまなかった叔父さんが逝った。
87歳、米寿のお祝いを目前にしての死であった。

親い弟を亡くした母の気持ちはいかばかりであろうか。


叔父さんは、小生にとっては親戚の中で、最も頼もしい人、最も頼れる人であり、版画や経師を趣味とするなど、洒脱な、格好いい人であった。

母に持参した小生の書道の駄作を『これは良い』と早速、経師の趣味を生かして立派な軸に仕上げてくれた。

そのうちの1本を母からもらい受けて、今、手元にあるが、この軸も叔父さんの遺作の一つとなってしまった。


 
遺作となった今年の年賀状(左)、立派に仕上げてくれた軸は
形見となってしまった。(右)



また、その年の年賀状は必ず手作りの版画が描かれていた。

今年は、どんなテーマを版画にしてくれるのかと毎年楽しみにしていた。

その版画の年賀状も、もうこれからは見ることがかなわない。

本当に悲しくて、さみしい。

ご冥福を心からお祈りします。


父方の叔父さん、叔母さんはすでに全員亡くなり、母方では叔父さんが亡くなった今、残っているのは叔母さんただ一人となった。

人の世の習いと言え、親い人の黄泉への旅立ちを見送るのは、つらく、切ないものである。


今回の写真が主役は、亡くなられた叔父さんが趣味として楽しまれ、遺作となった版画と軸である。






雨の『番人』3日間~梅干しの天日干し

2010-07-29 | 日常生活
『梅、ベランダに干していきますから、雨にはくれぐれも気をつけて下さいよ』

とかみさん。

かみさんによると、梅の天日干しは、土用の丑の日(今年は7月26日)から3日間行うとのこと。

今年の梅干し作りの作業もいよいよ最終段階である。

その梅干しの天日干しの『番人』を頼まれた小生だが、何せこの所、連日あちこちで雷雨が大暴れ、ニュースになっているだけに『番人』の責任は重大である。

現にこの3日間、午後になるとにわかに真黒い雲が空を覆い、いつ降り出してもおかしくない毎日で、一昨日などはポツリと屋根を打つ雨音に気付いて、慌てて梅干しを取り込んで、ことなきを得た。

このように、番人としては細心の注意を余儀なくされた3日間であり、昨日、何とか天日干しが終了し、一安心、ほっと一息ついている所である。



3日間の天日干しを終了した今年の梅


我が家の台所の床下収納庫には、こうして毎年作った梅干しが年代毎にラベルを張られて『寝かされ』ている。

今年の梅干しも、これらの先輩梅干しとともに収納庫の中で数年間を過ごすことになり、この梅干しが小生たちの口に入るのは、3年先か5年先くらいになることだろう。

そして、その時はほど良く熟成されて、きっとおいしい梅干しとなっているにちがいない。

だが、その時は、梅干しの天日干しに3日間神経を使ったことなど、果たして思い出すだろうか、きっと記憶のかけらすら残っていないかもしれない。


虫の知らせ~歯痛は夏バテのシグナル

2010-07-27 | 日常生活
猛暑。
熱帯夜。
朝5時起床。
睡眠不足。
そして、このところの外出等の過密スケジュール。


とうとう、と言うか、ついに、と言うか、その『つけ』が歯に現れた。
この数日「親知らず」がズキズキと疼く。

『夏バテのシグナル』とピンと来た。


 
かかりつけの歯科医院(左)。探し回った挙句やっと見つけた診察券と今年初めて使用した健康保険証


それにしても、歯の疼きは、何とも鬱うしく、気分が塞ぐ。

行きたくはなかったが、思い腰を上げて、かかり付けの歯医者さんに久しぶりに顔を出す。

以前、歯槽膿漏の予防ということで、先生に言われるとおりにまじめに治療に通っていたのだが、エンドレスの治療に業を煮やして行くのを止めて数年になる。

案の定、治療が終わって、先生曰く。

 危機一髪 と言うところです。このまま放置しておくと、歯が全部無くなってしまうのは時間の問題です。しばらく通って治療しましょう』

総入歯と言うことになったら、時間も費用もかかるが、それ以上に総入歯をした自分の姿を想像すると、何とも情けなく、何ともいただけない。

それにしても、体は正直だ。
夏バテのシグナルと併せて歯のピンチまで知らせてくれた。
まさに、こういうのを『虫の知らせ』と言うのだろう。

ここは、先生の忠告をまじめにきいて、しばらくの間、歯医者さんにせっせと通うことにしよう。




『一長一短』~名曲アルバムコンサート

2010-07-25 | 音楽
連日、猛暑日が続く中、幼なじみのKくんと7月度のクラシックコンサートに行って来た。

今回聴いたのは、ショパンのピアノ曲である。

今年は「ピアノの詩人」ショパンの生誕200年と言うことで、あちこちで、さまざまな趣向を凝らした演奏会が開かれている。

小生たちが聴いた演奏会は、「名曲アルバムコンサート~ショパン情熱の生涯」と題した、ピアノの演奏に映像とナレーションが伴う、いわゆるNHKの『名曲アルバム』を模したスタイルの演奏会であった。


東京オペラシティコンサートホールへと続く長いアプローチ(左)、会場のロビー風景(右) 


以下は、いつものように聴き終わった後の二人の感想である。

『「記念すべきショパン・イヤーに贈る、麗しき名曲の風景、NHK「名曲アルバム」の美しい映像を生演奏に乗せ、ショパンの波乱に満ちた生涯を辿る感動のコンサート」これが今回のコンサートの「目玉」で、今までになかったスタイルのコンサートだったけど、どうだった』

『映像あり、ナレーションあり、生演奏ありで、僕のようなクラシック音楽の初心者にとって、ショパンの人生や音楽を知るのにはもってこいのコンサートだったけど、盛りだくさん過ぎて、気持ちがあちこちに行ってしまい、肝心のピアノ演奏にイマイチ集中できなかった憾みがあるかな』

『確かに、スクリーンに映像が流れれば目はそっちを追うし、テロップが流れるとそれを読もうと意識がそちらに向いてしまうから、それだけ演奏への集中力がそがれるよね』

『そう、そう、その通り。また、ピアニストも一曲弾き終わると舞台の袖に引っ込み、司会者のナレーションが終わると再登場と大忙し。あれでは、ピアニストがちょっと可哀そうに思えた』

『う~ん、あれにもちょっと興をそがれたね』

『主催者としては、ショパン生誕200年ということで、盛りだくさんの趣向を凝らしたつもりなんだろうけど、ピアノの生演奏が名曲コンサートのバックグランドミュージックになってはいけないよね』

『ショパンのピアノ曲をじっくりと聴きたかった人にとっては、ちょっと、いまいちだったかも』

『この種の企画のコンサートには、初めて連れてきてもらったけど、やっぱり「一長一短」があるね』

『でも、猛暑の中、一幅の清涼剤には、なったよね』

『確かに、ここだけは、暑さとは無関係の別世界だった』


名曲アルバムコンサート~ショパン情熱の生涯

・英雄ポロネーズ変イ長調作品53
<映像で綴るショパンの生涯その1~誕生からワルシャワへ>
・マズルカロ短調作品33-4
<映像で綴るショパンの生涯その2~ワルシャワ>
・エチュードホ長調作品10-3『別れの曲』
・エチュードハ短調作品10-12『革命』
・バラード第1番ト短調作品23
<映像で綴るショパンの生涯その3~パリ>
・華麗なるワルツ変イ長調作品34-1
<映像で綴るショパンの生涯その4~マヨルカ島>
・華麗なるワルツ変イ長調作品34-1
<映像で綴るショパンの生涯その5~ノアン>
・ノクターンロ長調作品62-1
<映像で綴るショパンの生涯その6~終焉・パリとワルシャワ>
・幻想即興曲嬰ハ短調作品66

ピアノ  ヒリップ・コパチェフスキ
司会   古藤田京子(元NHKアナウンサー)
演奏会場 東京オペラシティコンサートホール

競作・『千字文』~書道教室の展示会

2010-07-23 | 趣味

競作・千字文 
写真左から順に90歳代の人、小生、(以上2作品は『行書体』)、70歳代、20歳代(以上2作品は『楷書体』)の人が出展した千字文


『今年は千字文を4人も出展して、まるで千字文の競作ね』と小生が通う書道教室のA先生。

『昨年、K(小生)さんが、千字文を出展したでしょう、あれに刺激を受けた人が今年は自分もと思って出展したんだと思うわ』とB先生。

『今年の出展者の中には、90歳を過ぎた人もいらっしゃるのよ』とA先生。

『わたしの教室の子は20代だわよ。他に、70代後半の人もいるわよ』とB先生。

『書体も楷書が二人、行書が二人と変化があって、それぞれみんな力作よね』とA先生。


昨日、猛暑の中、月2回通っているTカルチャースクール書道教室の今年度の作品展示会に行って来た。


出展作品の千字文をバックに先生と記念写真
(武蔵野市立吉祥寺美術館市民ギャラリーにて)


展示会初日とあって、小生の先生を始め、他のクラスの先生方も顔を見せていて、前述のような会話となった次第である。

それにしても、90歳を過ぎて、なお千字文にチャレンジしているとは!!

と、その作品の前に立ち止まって、小生と同じく行書で書かれた千字文にしばし、見入ってしまった。

とても90歳を過ぎているとは思えない力強い筆力、闊達な筆さばきに脱帽であった。

自分で書いて見て良く分かるのだが、常に誤字、脱字に注意を払い、しかも、一字一句、精魂こめて1,000字書くというのは、大変な根気と集中力を必要とする作業であると同時に、いかに気力、体力を要する作業であるかを身をもって知っているだけに、90歳を過ぎても、なお、これら諸々の要素がなお健在であることに驚嘆し、『世の中には頑張っている人がいるんだ』と深い感銘を受け、心から敬意を捧げた次第である。

『Kさんは、昨年は楷書で、今年は行書でそれぞれ千字文を書いたんだから、来年は草書でチャレンジしなければね』とA先生。

『そうよ、90歳を過ぎた人でも、まだ頑張っているんだもの、あなたのようなまだ若い人は、大いに頑張らなければ。来年の草書体での千字文、期待してるわよ』とB先生。

先生方に言われるまでもなく、小生も草書でのチャレンジは考えているのだが、楷書や行書と違って草書となるとちょっと手に負えそうにないなと弱気になっていたが、両先生に『発破』をかけられた今は、ちょっぴりその気になりつつある。

それにつけても、近年になく大いなる刺激を受けた今年の作品展示会であった。