goo blog サービス終了のお知らせ 

空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

何があっても悔いのない人生に

2011年05月12日 19時21分54秒 | 思考試行

東日本大震災が起きて以来、人生観に大きな変化が生じた。どうにも、説明しようがない。地震、津波、そこには、合理的な理屈はつけられない。前世の報い・・・などとは当然言えない。神や仏の、理屈もない。そこには、自然の法則があっただけのことである。

みんなは、それを知っている。そういう自然のなかで生きているのである。そういう条件の中で、生きていくほかないのである。

ところで、日本人の個人の金融資産は、1400兆円あるという。その1%を寄付してくれたら、14兆円になる。テレビで、銀行出身の復興委員のメンバーが言っていた。

生きているこの世で、ある種の奇跡があるとしたら、今のこの時期、ドーンと寄付があって、お金のことでは、なんの問題もなかったというようにはできないだろうかと思う。

ソフトバンクの孫社長は、100億円の寄付とさらに、今後の役員報酬をすべて寄付に当てると言った。彼こそ、偉い。みんな、彼に続くべきである。他にも、多くの寄付が寄せられている。石川遼君は、ゴルフで得る賞金のすべてを寄付することにして、意欲的にゴルフに取り組んでいる。さらに有名選手、アスリートが寄付をしている。

それでも、総計額を見ると、充分ではない。富裕層が案外していないのではないか。高級官僚、元官僚、蓄財して何になるというのか、あの世があるかどうかは、誰にも解らない。それでも、もしあったとしたら、この時期、どういう行動をとったのか、小生が閻魔大王ならば、必ず審査対象にする。

総計で、びっくりするような寄付が集まらなければ、人間社会は、早晩アワレな結末を迎えるしかないだろう。また、それが、ふさわしいと言わねばならない。


アメリカ流の考え方に疑問

2011年05月12日 18時16分08秒 | 思考試行

健康保険制度は、日本にとっても、大分様子が変わってきているとはいえ、病気によって、ホームレスにはならない。特殊な治療をすれば、話は別だが、保険適用の治療をするのなら、上限もあるし、出費はある程度覚悟しなければならないけれども、何とか、生活を守れる範囲には抑えられる。

ところが、アメリカの場合、病気になって、生活を守れる制度を設けようとしても、国民の反発が強い。病気になっても、自分で何とかすべきだという。それで、ホームレスになる人もでてくる。これをなんとかしようと、政治がアクションを起こした際に、保守党および国民サイドの反発の強いこと。デモなどみると、まったく、目を疑う光景であった。

こういう「助け合い」を、認めようとしない国民性というのは、どう考えればいいのだろうか。はたして、同じ人間社会に生きるといっても、これは、別人種である。こんな人達とは、暮らしたくないというのが、正直な感想である。話し合えば、その価値観が変わるだろうか。彼らは、とても頑固そうである。

社会主義、共産主義には、相当のアレルギーがある。助け合いといえば、そのように連想するようだ。何にせよ、あまりに固定的なのは、良くないだろう。もう少し、柔軟に考えることができないものか。


通信の複雑さ

2011年05月12日 14時23分01秒 | 思考試行

簡単だった通信が、本当に難しくなっている。単純に話ができればよかった時代から、今や、インターネットから携帯電話、メールといろいろに広がり、しかも、料金の発生具合が、複雑で、あわせると、結構な金額になる。そして、全部の仕組みが充分理解できているわけではない。

それでも、情報が簡単に入手でき、昔とは違う生活になっているその基本に、通信というのは、今や位置しているのではないだろうか。自分の意見が、発表できたり、人の意見が聞けたり、世論の動向が、ある程度、独自で調べることもできる。マスコミのインチキ具合も、解ったりすることもある。

コメンテーターのインチキぶりや、買収の手口、金にものを言わせて、いろいろ手を打っている連中。今や、バカでなければ、いろんなルートがあるので、人を騙すような手口を、いつまでも続けることは得策ではないといえるだろう。正直に、正しいと思う信念に基づいて、人は行動すべきである。

騙しは、一時期うまくいくようにみえても、それは、結局は失敗する。騙し続けることができないのである。弱者のことなんか、考えていないのに、その振りをしたりすることは、できない。弱肉強食を是認するなら、言葉をかえて、「自由」だとか「規制緩和」だとか、の言い方になる。これが騙しのテクニックなのである。

その中味、効果を、国民の側は知らなければならない。いつのまにか、「自由」のために、兵士になるしか道がないような世の中になってしまうのである。


分母が増えると・・・

2011年05月12日 08時20分04秒 | 思考試行

参加する人が増えれば、その中の一人ひとりの役割は、相対的には、減ずることになる。分母が小さいときは、一人ひとりの役割は、大きく無視することはできない。影響力も強い。

そして、分母の大きい世界で住むことは、個人の力の小ささを思い知らされることとなり、その役割は、本人にとっても不本意なものとなりかねない。重要視されない。とりわけ、有名でなかったり、特殊な事情、能力がない人は、特に。

そこへくると、狭い世界では、一人ひとりの役割は大きく、また、その力は、頼りにされて、本人の生きがいにもつながる。現実に、生きている喜び、辛さも強いものがある。

そこで、憲法9条を考える。戦争ができる国にしたい、という動きは根深くある。歴史は、弱肉強食の連続であり、人間という生き物は、まことに、残酷であり、信じられないほど、残虐の行為もする。こんなものに、信頼など置けないと考えるのは、あたり前のことだともいえる。

ところで、それを貫徹するなら、いつまでも戦争は避けられないことになる。モメゴトの最終決着は、戦争しかない、ということだ。それでは、あまりに知恵がないではないか。というのが、小生の夢の話である。

殺すなら、殺してくれ。私は、殺さない。そして、そんなことをしても、あなたの明日は、あまり良いとはいえないのじゃないですか、お互い、兵士となって、分母の大きい世界に組み込まれて、粗末に命を取り扱われるような、そんな仕組みに乗る必要がどこにあるのか、といいたいのである。

世界をそうしない限りは、キリストであろとモハメッドであろうと、仏陀であろうと、何を信仰しようとも、戦争し続けて、最後は、共に滅びるしかない。そうなる前に、何をするのか、という話である。