自分で偉いと思っている人は、偉そうにする必要があるらしい。資産だったり、学歴だったり、収入であったり、地位だったり、名誉だったり、を持っていて、それを誇らずにはおれない人びとは、それをひけらかさないではおれないようだ。
高級官僚といわれる者は、木端役人など相手にしない。シモジモの国民など、眼中にない。自分達は、特別のコース、入省年次で、区分けされながら、出世コースを歩む。途中で覚えることは、山ほどある。自民党政権時代は、事実上の支配者として、国の方針を決め、主導してきた。
代議士は、彼らに陳情して、政策のオコボレに与ることを使命としてきた。財界と結びつき、有力者は、思い通りに利権にありつき、それを自派の資金源にする。官僚達の大事にするものは、守る。彼らの領分には、近づかない。
官僚達は、自らの省益のために、その権限を拡張すること、最低でも守ることを、至上命題にしてきた。彼らは、お互い偉そうにしてきた。お互い、棲み分けて、偉かったと思えてきた。事実、官僚以外の、みんなは、彼らにヘイコラしてきた。
それなりの仕組みとして、機能してきた。だが、矛盾も起こる。政界にも変化が生じた。弱者切捨ての傾向が、強まるなかで、気分的な不満感がたかまってきた。民主の政権交代につながった。不充分ながら、仕組みに、アナが開きはじめた。
政策変更の軋みが、とりわけ官界につよく表われてきた。すべての抵抗の源泉は、ここにある。しかし、その姿を容易には見せない。政権に協力すると見せかけながら、その足を引っ張る。
芝居は続く。観客たる国民は、自分が主人公だと思える舞台には、まだまだなってはいないが、もっと自分達がつまらないと思う舞台になりそうな雰囲気をただよわせながら。
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