にもかかわらず、日常の感覚としては、日々、似たようなもので、何もないことが、本当に幸せであることを忘れてしまっている。あたりまえのことが、いかに幸せであるか。福島原発のために、家を追われ、飼っていた牛をすて、ペットをすてざるをえない人びとの悲しみは、いかばかりであろうか。
犬が、鎖を放してもらい、車で立ち去る飼い主を、必死で追いかける姿は、涙なくして見られなかった。本当に、残酷な事故である。
これでは、原発を、現状ではとても続けるわけにはいかない。使用済み燃料の後始末もできないようでは、この技術を使うには、まだ早いということだろう。
こうした悲劇が起きた以上は、謙虚に受け入れて、新しいエネルギー計画を立てるしかない。紛争を武力で解決することも同じである。こういう解決の仕方は、けっして最終的な解決とはならない。
アメリカは、もうテロばかり心配しなくてはならない国になった。テロが起こるような原因について、もっと謙虚に考えなくてはならない。その方策はあるはずだし、もし、ないというなら、人類はそもそも、生存することは不可能だろう。滅亡せざるを得ない。