これからどうするか。それが、もっとも大事だろう。マスコミは、海水注入について、菅総理が、言った、言わないの問題をとりあげ、何か致命的なミスを犯したかのような言説をとりあげる。フジテレビは、青山氏の取材をまるまる流している。こんなことでいいのだろうか。新聞記事とも違う時系列の話になっている。
本当か、どうかを確かめるすべもない。一方的な非難の連続である。どうして、そんなに菅さんを非難しなくてはならないのか。おかしい。ヘンテコである。
どこからの、どんな意図があるかは、不明だが、いまのこの時期に騒ぐことではないだろう。問題にすべきことでもない。これから、どうするかが、大事なのである。
それにしても、海水注入なんてことは、専門家にとっても、まったく考えていない状況だったのだろう。菅総理が、「詰めろ」と言ったらしい。それはそうだろう。真水がなくなって、どうすればいいのか、詰めなければ行動できない。
原発は一切事故がない、という前提から、すべては始まっている。安全対策然りである。無人ロボットの開発ができていたにも関わらず、「そんなものいつ使うのか」となり、これを採用しなかったという。
その他の、安全対策の検討も、安全神話から、充分やってこなかったことが、わかっている。「もしも」、何ていえば、原発村ではオミットされたという。学者の世界では、助手以上にはさせない、とかあからさまな、差別的な仕打ちを受けていたという。
そういうことこそ、充分な検討が必要だし、非難されなければならない。問題の本質にせまらず、とにかく、菅さんの引き下ろしに、懸命になっている勢力がいる。ネタ探しに躍起となっている。小沢氏らと気脈を通じているヘンテコグループである。
自民党、東電が進めてきた原発政策。その行き着く先が今の現状である。それを、言わずに、「言った、言わない」問題に固執するさまは、異常といわなくて、何と言うのか。菅さんらは、やるべきことをやらないできた連中の、その尻拭いをさせられているにもかかわらず、そうした不満を言わない。
今は、何をすべきかに、集中しているのである。まことに立派である。
真実はどこなのか、見極めることができるよう、心の芯にある思いやりの心で見つめていきたいと思います。
英語は、高度の考えを編み出すために適した言語である。
英米人の高等教育は、子供には学習が難しい彼らの国語 (英語) 教育である。
我が国には、英米流の高等教育は存在しない。
修業年限を英米と同じにするなどの教育制度の確立だけでは、高度な職業人を育成することは難しい。
我が国では最初から最後まで行われている丸暗記 (rote memory) と受け売り (regurgitation) の修行では、自らを決することが難しい。
これを「教養がない (uneducated)」という。子供のような状態かな、赤子かな。
自らを決することのできない人たちには、論点を定めることができない。
自分の意見を大声で言う、
相手をこき下ろす、
相手がしゃべっている最中に反対意見を言うなど、「議論をすれば、喧嘩になります」という事態が事実になる。
議論と無礼は同等と見なされているのかもしれない。
だから、礼儀正しい日本人は誰も議論をしたがらない。
いつも静かに笑っている。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、もって万世のために太平の世を開かんと欲するのみである。
少しおかしくはありませんか。
自分に必要なものを、自分自ら手に入れるのが大人の態度でしょう。
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