昨日の、朝日新聞朝刊に、若宮氏の主筆就任の記事があった。一面の左に、かなりのスペースをとっている。
首相の退陣を、政治のための、道具としているような意見があったり、民主党内の小沢氏、鳩山氏のこと、仙谷氏と菅氏のこと、など要するに、政界の内幕のこと、正確かどうか解らない、内容の記事が並び、かえす刀で、自民も少し切るといった具合の署名記事が出ていた。
こんな人物が、主筆かいな、というのが感想である。日本の首相は替わりすぎだといわれるなかで、首相を軽く扱うし、どうやら、ものごとの、真実追求というよりも、「ネジマゲ」をやる人だな、という印象もある。
天下国家、世界を語る熱いものがない。この人は、どんな人生を歩んできたのだろうか。主筆というのだから、社内での競争に打ち勝つ実力があり、人望があり、朝日の顔となったのだろうが、それにしては、心を打つような記事を書く人物とは思えない。
新聞というのは、どんな役割があるのだろうか。事実を公平に報道すること、人類が大切にしなければならない、モノをもとめ、あたたかい良心が、底流にあって、生きる喜びを共有することができる、そんな世の中にするための、社会の公器ではないだろうか。
その公器の顔である。こんな記事を書いているようでは、主筆に、ふさわしいとは言えない。精進していただきたいものである。そして、立派な主筆になって、いただきたい。