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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

大越健介キャスターは、なんだ?

2011年04月13日 09時51分15秒 | 思考試行

NHKのニュースウオッチ9のキャスターである大越健介氏は、ときどき菅さんに、「攻撃」を加える。不偏不党でなければおかしい国民から聴視料を取る放送でである。

それも、ピント外れも、甚だしい。自民党よりなのである。その代弁者といってもよい。こんなのが、今、アチコチにいる。

大越健介氏は、記者時代に自民党総理番記者になっている。ははあん、そのときに、自民党とのつながりができたんだなと、類推する。官房機密費は、記者連中にも、まかれている。

その「恩義」に報いているというわけだ。東大では、野球をやっていた。捕手で、学生野球の日本代表にも名を連ねていた。そして、NHK入りである。エリートなのだ。

キャスターが、個人的な意見を何故言えるのか。本人のブログを見ると、取材に基づき、打ち合わせもしており、局の意志もあるかのように言っている。

だが、内容的には、そんなものではない。たとえば、昨日の記者会見をうけてのコメントのなかには、「首相がドンカンであってはならない」などと、あたかも、菅首相がドンカンであると揶揄するような、ヒトコトを入れるのである。

NHKに抗議の電話などないのであろうか。公平をうたう公共放送が、こんなことを許していていいはずがない。ならば、聴視料を取る資格がない。民放へ行って、スポンサーのいうままに、尾っぽを振っていればいいのだ。

 

 


「攻撃」はどこからくるか

2011年04月12日 17時55分48秒 | 思考試行

菅総理の記者会見が、4月12日の今、行なわれている。冒頭の発言を、今、現在している。それを聞きながら、この文章を書いている。

やるべきこと、方向性を、独断的でない調子と内容で話している。にもかかわらず、マスコミおよびエセ学者、ヘンテココメンテーターは、おそらく、何らかのイチャモンをつけるであろう。

言っている内容が、適切であればあるほど、また、弱者の味方であればあるほど、「攻撃」は、激しくなるだろう。彼らは、自らが少数であることを知っている。であれば、デマであるとか、悪口であるとか、こういう方法しかない。国民が真実を知り、事の本質を知ったときに、彼等は、退場しなければならないときを迎えるのである。

したがって、彼らは、この震災のために、正当な協力をしようとはしないだろう。なにかと、政権の邪魔をするに違いない。国民は、事の本質を掴まなければならない。

政権は必至に努力している。小生は、民主党には組みしない。何故なら、平和に関して、明確な方向性を有していないとみていたからである。

だが、今の時期、平和がどうのこうのいう段階以前である。余裕ができれば言い出しかねないけれども。ただ、自民党は違う。彼らは、弱者をコケにしながら、自らの利権をむさぼってきたのである。その反省がなければ、震災の復興に真摯に取り組むことはできない。彼らには、その資格がないといわねばならない。

菅さんの熱弁は、まだ続いている。戦争後の復興と比べて話している。その通りである。彼には真実がある。ここを、国民は見逃してはならない。本質をみなければならない。いま、記者の質問に移った。そこには、熱が見られない。ミスがどうのこうの、不安がどうのこうの、となっている。

本当に、嘆かわしいことである。マスコミは、国民の敵なのである。彼らはエリート意識で生きている。忘れてはならない。庶民ではないのである。


いざという時にどうするのか

2011年04月12日 10時21分40秒 | 思考試行

災害対策は、日頃から準備が必要といわれつつ、なかなかできていない。やはり、ここは、もう一度、生活を見直してみるべきだろう。

それには、想定しなければならない。思考が必要である。自分の生活をどうしていくのか。明確な意識のもとに、設計をし直すことが重要だろう。なるべく、シンプルに、それでありながら、豊かにありたい。

小生の場合は、長年続けてきた放送大学との付き合いが、豊かさの意味では、大きい位置を占めている。新しい知的な刺激を得られることは、力を与えてくれる。また、努力も要する。

それ自身が、生きていくことに関わってくる。今回は、いよいよ哲学にとりかかるが、これが、実に楽しみである。教科書を、ときどき、覗き見ているが、かない手強そうである。それが、またいいのである。

一筋縄ではいかない深みを期待しているのである。それは、一つの科目、テーマだけから得られるとは思えない。多方面かつ深さも必要である。

人間が生存していく上で、何が大事か、小事か、意味を見出すのか、それとも、それは、いらないのか、日常生活のアレコレと同時並行的に、哲学的でもありたい。

 


マスコミ、福岡ナニガシのヤカラ先生のひどさ

2011年04月11日 22時41分12秒 | 思考試行

マスコミの世論誘導。評論家、学者と称するジミンゴマすり、エセ学者の言動が、狂いまくっている。

菅首相を、まるで、犯罪者のような言い方で、こきおろす。これは、ヒドイ。一国の首相を、ここまでクサスのは、異常である。買収され、ジミンに、奉仕する立場を隠そうとしない。

見る限り、大変な状況下で、菅内閣はよくやっている。別に、民主党を支持しているわけではないが、公平に考えて、そう思う。あるいは、菅内閣でないと、できなかったかもしれない。

元はといえば、ジミンの尻拭いをさせられているわけだが、そんなことは言わない。そこも、素晴らしい。

それを、一切評価しないどころか、クソみそに言う。そして、まるで、犯罪者のような言い方である。

週刊誌も同様である。こんな風潮に、のるのは、当然バカモンであるが、大衆というのは、とかくムードに弱い。ここから、脱け出したときに、こういうヤカラ連中が生きる世界は、残されてはいない。

そうなったときには、大いに、ワライトバシテやらねばならない。ホンマに、ツマラン、奴らである。


組織と思想

2011年04月11日 05時49分16秒 | 思考試行

市会、府会選挙が終わって、大阪では、一人維新の躍進ということになった。橋下氏に、どれだけの期待があるのか、を如実に示した。

もし、彼が、「ヒットラー」だとすれば、その方向に人びとが傾いたことを意味する。

大阪のノリである。民主の落ち込みはヒドイものがある。客観的にみて、自民党の活動は、候補者の父祖からの地盤に寄りかかっていた。維新には、街頭を自転車と街宣車と組み合わせて走るなど、活動に勢いがあった。電話もかかってきた。

公明党は、何もしなくとも、すでに組織がある。運動の必要がない。事実、ポスターをはるだけだっただろう。

住民サイドには、確たる思想はない、というか主張がない。老人は、年金でなんとなく暮らしていけている。選挙なんて真剣には考えていない、というフリをしている。

そこで、橋下氏の維新には、勢いがあった。票ぐらい、どこでも入れたるデ、という層にアピールした。

地域選挙は、ほとんど票読みは可能なのであろう。一人ひとりすべて、リストアップできていると思われるぐらいだ。選挙のシブリをみていると、それが見える。

 

 


進取の気風

2011年04月10日 09時28分45秒 | 思考試行

まだ、そんな気持ちがあったのだ、と我ながら褒めてやりたい事件があった。日頃、いろんな、電話での営業攻勢があって、なかば、辟易しているのだが、とりわけ、パソコンがらみのことでは、やれ、ホームページがどうの、売り上げ増のために云々、など当方には、関係のないことが多い。

そういう中で、かなり技術的なことを、中心にアプローチしてくる会社があった。少し前向きな返事をしていたら、いきなり訪問してきた。話を聞いていると、周辺の知識が結構あって、当方のパソコンのメモリーがどうの、バックアップに有効なソフトの紹介など、話に、興味をそそられた。

とくにメモリーについては、昔に追加した経験があったので、この話に刺激をうけて、早速やってみようと思い立った。近所の家電販売店に、散歩を兼ねて行く。当方のパソコンに入れられる最大の容量のメモリーを二本買う。二万円弱の出費である。

インターネットで、マニュアルを入手して、早速取り掛かる。以前の記憶は、ほとんどなく、今回初めてと同じである。まずは、外箱の開け方がわからない。それでも、「スライドさせて、上部へ持ち上げる」、というヒントをもとに、ついに、それを発見した。うまく出来ている。ネジを使っていない。感動ものだ。

ファンが、ホコリで、エライコトになっている。丁寧に掃除する。いよいよメモリーの交換だが、さて、わからない。もう一度組み立てて、インターネットで学習する。マニュアルを印刷する。

再び、箱をあけて、マニュアルをみながら、ハードに繋がるケーブルを外し、さらに、装置の一部のネジを外して、メモリー取替えのために、装置をスライドさせ、操作の場所を確保する。取り付けてあるメモリーを外す。丁寧に。

続いて、買ってきたメモリーの取り付けだ。差し込むのに、方向が問題となる。チャント切込みがあって、そこと、メモリーをあわせる。指先にしっかり力をいれて挿入。パチンと入る。ここも感動的。

パソコンを元通りとして、起動。大して、効果がない。そこで、また、インターネットで、メモリー交換後の設定について調べると、あった、あった。

早速設定を変える。すると、動きが激変。軽快。静かになった。ファンを掃除したのも良かった。

自分を褒めたくなる。この達成感。営業マンのヒトコトで、この瞬間が訪れたこととなる。彼に感謝しながら、自分も、やはり、進取の気風を持っていなければ、これはなかった。自分も褒めてやろう。

面倒がらず、機会があれば、何事にも、挑戦しようと思ったことだった。久しぶりの快感!

 


不在者投票、地方議員選挙のこと

2011年04月09日 19時37分46秒 | 思考試行

最近の選挙は、すべて不在者投票に行くことにしている。宣誓書というオオゲサな書類を書かねばならないが、投票をするには、環境がいい。車をとめる場所があるし、決められた日に行く必要もない。

宣誓書といっても、今や、形骸化している。真実かどうかを、やかましく問うわけではない。ならば、もっと簡略化したらいいと思うが、そこが、役所仕事である。変わらない。

オオムカシは、封筒に入れて、封をするという具合であった。もっと、オオゲサだったが、それからみれば、かなり、簡略化してはいる。

名前を連呼するだけの、選挙戦。政策を厳しくやりあうわけでもない。この試練を耐え抜けば、議員先生は、次の選挙までは安泰ということである。ヨーロッパでは、議員は、ほとんどボランティアで、議員歳費は、微々たるものだという。

地域のために、情熱のある人でなければ、やってはいけない。議員歳費が目標の人がやる仕事ではないのである。

日本もそうすればいいのではないか。議員が、どんな仕事をするのかは、ヨーロッパであろうと、日本であろうとそんなに変わりはないはずである。

とかく、高収入であったり、権力をカサにきるような事態があるから、魅力もあるのだろうが、もう、そういう時代は終わりにしなければならない。


東日本大震災と自殺者数と「トウキョウソナタ」

2011年04月07日 08時25分53秒 | 思考試行

大震災の惨状は、テレビ画面でみて、まずその規模に驚く。死者、行方不明の方あわせて2万数千人にのぼる。

何もない状態でも、日本の場合、毎年自殺者数が、ここ10数年、3万人を越えているという。毎年、この大震災の犠牲者よりも多い数なのである。

この実態は、どう見ればいいのだろうか。

昨日、BSで、「トウキョウソナタ」をみた。黒澤清監督作品である。突然リストラを言われて、退職したサラリーマンと家族、同じ境遇になった学校時代の友人の生活、激変する生活の齎す惨状。

だが、これは、ドラマであるが、実態をよく反映している。小泉、竹中路線の帰結の実態。当然起こるべくして起こる労働条件の切捨て、弱肉強食論理の結果、あっけなく、「普通の生活」が破壊される。

労働者側に、戦いを起こす雰囲気もなく、共産党は、選挙のみの戦いだし、労働紛争は、活発には起こらない。マスコミも問題の切り込みをしない。労働官庁も積極的な動きをしない。

その結果、各所に、その事情の影響が広がる。自殺者数は、それらの総合計としての数字ではないか。

毎年、大震災が起こっているのである。我々は、どこから手をつけていくべきだろうか。

昨日というより、今朝早朝、やはりBSで、小説家の五木寛之さんのブータン旅行の番組があった。仏教国で、国民の幸福度が高いとされる国である。欧米流の文化を取り入れることに、慎重といわれる。国民は、温厚で、インタビューに、異口同音に幸せであると応える。

自然との付き合い、仏教の精神、考え方と生活との関係。多くのヒントがある。ただ、日本においては、日本の方向があるだろう。この大震災を契機として、本質的な、新しい方向性を切り開きたいものである。


生き方の問題

2011年04月06日 11時43分19秒 | 思考試行

助け合って生きるのか。それとも、たたきあって、争いながら生きるのか。

どうやら、生物一般には、争そいつつ、助け合いつつ、弱いものは、淘汰されながら、強いものもやりすぎると、自らも滅びざるをえなくなる、という構造のようだ。

そして、日頃の行動が、周りとの関係に影響があり、何か事があったときに、助けてもらったり、助けたりの関係が生きてくる。人間文化のなかには、単純に、競争だけではないことは明らかであるが、これは、生存の条件として、もっと、システム的に考えられてもいいように思う。

惜しみなく、助け合えばいいと思う。昨日、BSで、「二十四の瞳」を始めてみた。

普通の、平和な暮らしが、どれだけ大切か。貧しい暮らしのなかで、人が生きるとはどういうことか。

声高に、平和を叫ぶわけではない。しかし、まじめで、健康なくらしがそこにある。こういう時代は、つい最近まであったのである。

これからの日本、そして世界。こんどの災害で、価値観が大きく変わることを期待する。

ムチャクチャお金を持っているとすれば、それは、恥ずべきことである。そういう風に変わらないだろうか。

 


幸福とは

2011年04月05日 10時17分22秒 | 思考試行

相対的に、人よりも資産があるとか、能力があるとか、比較して自分が優位にあれば、幸福と考える向きは、本当の幸福感を味わったことがない、といえる。

常に、他者との比較において、考える姿勢は、社会的には、よく適応しているともみえるが、そこには、危険もある。

主体的に、社会と関わり、他者との関わりについても、自分の価値観をもちながら、流されることなく、健全性を保ちつつ生活をしている、というのは、好ましく思う。

今回の災害の際、とりうる行動は、いろいろあるが、そこで、日常の価値観が立ち現れる。買いだめ、買占めに走ったりするのは、主体性のない付和雷同的な人達であろう。

その胸中は、不安でイッパイということかもしれない。

どうせ、いつかは、死ぬ命、有効に生き抜く覚悟があれば、そんなにバタつくこともないと思う。

今日が終わりだとすれば、受け入れるまでである。それまで、努力して生きるまでである。


大口寄付と国債発行

2011年04月04日 08時32分41秒 | 思考試行

ソフトバンクの孫社長が、100億円の寄付とこれから引退までの役員報酬すべてを寄付すると発表した。大会社の社長達、楽天社長10億円、ユニクロ社長も10億円寄付すると発表された。

あるところにはある、という印象と、思い切った決断に、拍手を送りたい気持ち、さらには、他の人はどうなのか、という思いもでてくる。

生活者として、どこまでするのがいいのか、全体の被害額が、それほど途方もないものとも思えず、システムとして、相互の助け合いが、当然という考え方に立てば、解決可能と思ってしまう。

そこで、国債ということであるが、貸せる金があるのなら、寄付できないか、ということである。国債を買うのは、金を貸すのが、誰かということもある。しこたま金を持っているところということになる。

そんな金があるなら、寄付してほしいものだ。借りるとなると、将来にわたって、金で縛りをかけられることとなる。それが、強欲な者であれば、そんなヤツに金を借りることは、非常に危険ともいえる。

そもそもどのように金が稼がれたのか、資本をもつものが、さらに、システムを支配するなかで、ますます金を集めていく、限界のない欲望が、その背景にある。

損保業界でいえば、保険料は少しも安くなっていないのに、代理店手数料は、猛烈な切り下げにあっている。社員の給料も減っているらしい。そして、間接経費も減っている。その差額は何処へ行ったのか。

外資系の株主に流れている、ということらしい。株主として、企業を支配した連中は、ルールを変更して、自らに儲けの成果が集まるようにしたということである。支配してしまえば、何もしないで、儲けは、確実に増える。

こんなシステムであれば、国全体、もっと言えば、地球上すべてを支配できることにもつながりかねない。

事実をもっと知らなければならない。あらゆる情報を、把握しなければならない。根本的なシステムの問題を考えねばならない。それは、日本だけの問題ではない。地球上すべての国、人びとの問題である。


義援金について

2011年04月03日 16時39分48秒 | 思考試行

災害の規模の大きさから、今までにない、多くの活動が行なわれている。郵便局から、義援金を送ろうと、家内が行った際、何人もの人が同じように来ていたという。

小生の関与する団体からも、義援金の案内が来ていた。町内会からもきた。

総計幾らぐらいすればいいだろうか。目標額を、算定してみたらどうだろうか。

損害額を、全部まかなってしまうのは、意外に簡単ではないかと思ったりする。

肉親をなくしても、遺体がでてきたことで、まだ、遺体の発見ができていない人のことを、気遣っている。こんな人が、大勢いる。やさしい人は、多くいる。

金で片付くことなら、いくらでもするという人は、大勢いる。本当に、助けあうことの中にこそ、人生の醍醐味があると思う。

世界中そうなれば、すばらしいことである。今度の災害が、その端緒となれば、「福」につながる。

助け合って生きるのである。考えを変えるのである。

国境がどうの、格差がどうの、政権がどうの、・・・何を言っているのか。みんな助け合って生きるのである。競争は、楽しみでやろう。生死をかけてはいけない。

 


放送大学から3度目の学位記が到着

2011年04月03日 15時49分55秒 | 思考試行

もう何年になるだろうか。放送大学の学生として、在籍するのは。

夜学を3年で中退したままになっていたので、卒業はしたいと思っていた。それで、一度目の卒業。

二度目は学士入学となるから、二年で卒業できる。単位をとっていたら、これも卒業要件を満たした。三度目は、苦手な理系になった。数学が弱い。案の定、苦戦の連続。

それでも、続けていると、少しづつではあるが、やれば「進歩」はする。時間をかけて、ゆっくりと。別に慌てることもない。いい点をとろうが、単位を落とそうが、どうでもいいことである。

最後に残ったのが、「初歩からの数学」。初歩とつくから、簡単だろうと思えば、そうはいかない。それでも、真面目にとりくめば、チョットしたカンも働く。努力もする。すると、放送大学に在籍している皆さんには、絶対に言えないけれども、あるコツというものがあった。

試験当日、思わず感涙に咽ぶところだった。・・・と、勿論これはオオゲサである。

しかし、これ以上は、書けない。・・・・。

そして、見事(?)に、合格。三度目の学位記がきたのである。簡素だけれども、結構立派で、早速妻に見せびらかす。

なんだか、ネズミを捕まえた猫の自慢のような気もしながらも、一度目、二度目も見ているはずなのに、初めてのように、その立派さに驚いてくれているのをみて、短いセレモニーを終わる。

あまり長くすると、当然ながらイヤガラレルだろうと思うから。

そして、今年また4月から、「人間と文化」コースの全科履修生に、入学した。哲学三科目をとる。少しずつ教科書を読み始めているが、これが、すべて、すばらしい。

先生陣は、今や、みんな小生よりは、年下。それでも、すごい勉強をしてきた方ばかりである。尊敬の念を抱きながら、また、すばらしい学びの環境をととのえてくれている日本国に感謝しながら、学んでいきたい。

 

 


菅さんは、よくやっている

2011年04月02日 15時58分52秒 | 思考試行

人間だから、欠点や弱点はあるだろうが、菅内閣の大臣は、みんな真面目で好感がもてる。いやらしさがない。菅さんは、如何にも理系らしく、筋を通して、問題にぶつかっていく。

権力にしがみつくという姿勢もない。いつでも、譲るという姿勢もあわせもっている。自民党が、谷垣首相を提案されてヘドモドしているのと大違いである。

計算づくで、なにを思い悩んでいるのかが、見えるだけに、余計に際立つ。

時代が、この災害で大きく変わるかもしれない。助け合うことなしに、地球人は生きてはいけないことが、いよいよ明確になってきた。

一方では、カダフィ大佐が金の力をテコにしてあがきまくっている。客観的にみて、もう彼の時代ではない。独裁者達の同じような、たどる道の滑稽さ。そして、そのために多くの人命が損なわれている。悲劇が続く。

そして、彼と同類項の人間が、多数いることである。こういう連中が、権力をほしいままにして、この世を支配している事実を知らなければならない。彼等は、自分からは、退陣などしない。放逐すべき人が、放逐する意思を持たなければ、彼らはいつまでもいすわるのである。


必要なものは何か

2011年04月01日 09時38分50秒 | 思考試行

自民党は、やはり政権を取り戻したいということだけが、目標らしい。何のために?それがない。とにかく政権をとりもどしたいだけなのである。これに協力すれば、政権の延命に力をかすことになる?何をいっているのか!

これが、権力亡者の姿である。どんな理想をもち、どうしようとするのか。西田クンや、丸山クンの態度物腰、石原クンの餓鬼の顔。これらは、何を示しているか。自民党とそれに繋がる利権集団、飼いならされた評論家、エセジャーナリスト。

彼らの取り戻したいのは、過去の彼らにとって、ここちよい世界なのである。

彼らが欲しいものは何だ。弱者をクイモノにして、なんのイタミを感じない。彼らはアホですよ。と広言して憚らない。シモジモと呼んだりもする。これが、彼らの実態である。差別と特権、利権。これが彼らの宝物である。

こういう連中が、おしすすめてきた考え方が、福島原発の災害の遠因にもなっている。安全を真剣に考えていないところからの傲慢な姿勢。背景には、そういうものがあった。事故後の対策にも、ヌカリがあったかもしれない。

何をもっとも大事に考えるかである。金儲け専一の考えが、何を生じさせるかということである。そこを脱皮することから、品性もでてくる。本当の、生きる喜びが出てくる。

尊大な、根拠のない自信、ではなく、真実に誠実に向かうことのみが、真に生きる道となる。そういう誠実が、これからの日本の復興の鍵となる。