菅さんに、何の落ち度があるというのか。原発は、自民党政権が、充分な安全点検をしないまま、やったことである。儲け主義でしたことである。民主政権には、なんの責任もない。
それでも現政権は、これを引き継ぎ、対処しなければならない。もとより、罵声を浴びる筋合いなどないのである。それでも、菅さんは、その声をまともに受けている。涙なしにはみられない光景である。住民のために、全力を投じている。さらに、それを誓っている。
文藝春秋は、月刊誌である。当初の、旧政権寄りの記事内容のオンパレード、5月号については、許すとするか。だが、6月号では、客観的に説明のつくモノにして欲しいものである。
誤解を平気で生じさせて、そのままというのは、いただけない。やはり、正しいものは正しい、と、そして、真面目か不真面目か、そこは、はっきりさせようではないか。でなければ、文藝春秋の長い歴史はなんだったのかといわざるを得ない。まともになれよ!文春!
流石といわれる伝統を、示して欲しいものである。日本人が、誇りをもてるのは、大方がまちがってようと、どこかに、チャントしたものがいて、その努力をしていることを、示していることである。多数でなくてもよい。みんなが、そうではなかったという実績ぐらいは、作っておこうではないか。