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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

助け合って生きる

2011年04月23日 11時46分37秒 | 思考試行

こんどの大震災で、やはり「人間は、助け合って生きる」、ということを教わったと思う。人をクイモノにしたり、競争を煽って貧富の差を当然とするような価値観では、幸せに生きてはいけない。

どんな災害があろうとも、助けあうことができるならば、それは、逆に、共に生きる辛さを知り、喜びを知る機会とさえいえる。自己利益ばかりを追求していては、得られない味わいである。

それこそ、人間社会を、考え直す機会となっている。このときに、人がどんな行動をとるのか、どう判断するのか、今、みんなが試されている。

この災害を、個人的利益の追求に走るような人は、まことにブザマな姿を示すことになる。何がどうなのか、キチント指摘しなければならない。

正当に選出され、キチント任務につき、自らのやるべきことをやろうとしている菅首相に、なんとかかんとかイチャモンをつける勢力がある。しかし、それは、説得力のあるものだろうか。

「酔う前に言っておきたいことがある」という小沢氏の倒閣宣言であったり、遅いだの、後手後手だの、当然起こるべくして起こる不都合を、すべて、菅首相の個人的資質の問題にしようとしたりする、マスコミの傾向。

これらの背景には、なにがあるだろうか。まさに、「助けあう精神」と真逆の動きである。エリート、支配層、貧富の差を是認し、人をクイモノにして、何がわるいのか、「あいつらみんなアホですよ」と思っている連中のシワザである。


天皇と首相

2011年04月23日 11時10分23秒 | 思考試行

天皇は、世襲であり、首相は、制度的に、国民から選出された議員から選出された人である。

天皇が、避難所をお見舞いするとき、勿論、万全の段取りがあって、周囲は、完全な準備はしているだろうと思う。

昔は、不敬罪という罪があった。今はない。したがって、下手な段取りをすれば、菅首相が受けたような「事件」が起こるとも限らない。ああいう事件があれば、報道はどうするのだろうか。

菅首相の場合は、あの状況を、繰り返し報道されている。そして、貶められ、バカにする材料に、「カツヤ」あたりは、使っている。口汚くののしっている。しかし、よくよくその対応を見て、菅首相の偉さを思う人は、小生だけでは、あるまいと思う。

あの状況は、まさか、意図的に、作られたものではないだろうが、起こるべくして起こるような、状況下ではなかったろうか。そして、貶める材料にする、という段取りがあったのかもしれない、と思ってしまう。

睡眠を削り、全身全霊をこめて、仕事をしている首相をである。恐るべきかな、この実態!

もし、天皇が、ああいう目に会わされたとすれば、どうなるのか。絶対に起こらないなどとはいえない。憲法上、その地位は、「象徴」であって、何らの実権を有しておられるわけではないが、しかし、何らかの「力」がある。力があれば、作用がある。

そんなことをした、国民は、ひどい目にあわされるかもしれない。実は、菅さんにモノ申した人の、その後がどうなのかも心配する。英雄になんか、なって欲しくないし、被害に会われてもいけない。

国民には、いろんな人がいるのである。危ういのである。マスコミのへんな、意図的な報道ぶりには、ハラハラする。

 


寄付だけでまかなえないだろうか

2011年04月23日 10時20分53秒 | 思考試行

個人の貯金が、たくさんあるとか、高額所得者が思い切った寄付をしているとか、いろんな話が聞こえてくる。小生も、収入の割には、今までしたことがない、かなりの額(といっても、5万円ぐらいだが)を寄付している。

その総額が幾らになるのか、簡単な計算をしてみると、たとえば、8000万人の成人がいるとして、一人1万円を寄付すると、8000億円となり、50万円するなら40兆円になる。

これぐらいは、すぐに集まるのではないか。国債がどうの、消費税がどうの、の前に、余裕のある人は、目標額を示して、提案するならば、たちどころに集まるのではないだろうか。

孫さんのような、大口寄付がある。石川遼君、一郎選手、松井選手、ユニクロ社長他、後へどんどん続いている。さらに続く人はいないのだろうか。報道されているだけでも、かなりの数にのぼっている。

エラそうに、菅首相を批判するマスコミに登場する連中。どれ位寄付したのか、知らないが、それでも幾らかは、しているだろう。額を発表してほしいものだ。自分達は、高額所得者ではないとでもいうのだろうか。ある種の格付けのような色合いもついてくるかもしれないが、技術的には工夫すれば、出来るのではないか。

寄付を強要するのは、いただけないが、出せる人は、どんどん出そうではないか。まわりをみながら、自分はどの程度すればいいだろうか、と思う人もいるだろう。全体の必要額から、さまざまに試算があってもいいように思う。