----これって、昔の映画のリメイクだよね。
「そうなんだけど、
あまりそのことを、前面に出してはいない。
やはり、小林正樹監督の『切腹』が
あまりにも名作だからかもしれないね。
で、その元となった原作『異聞浪人記』の映画化の方が
強調されているみたい。
ぼくは、はて、もしかして違う脚色かな…?と、
もう一度『切腹』のあらすじを調べてみたんだけど、
ほとんど同じだね」。
----どういうお話ニャの?
「17世紀。江戸時代初頭。
戦国の世は終わり、徳川の治世下では
大名の御家取り潰しが相次ぎ、
仕事も家もなく私生活に困った浪人たちの間では
【狂言切腹】が流行していた。
それは裕福な大名屋敷に押しかけ、
『庭先で、切腹させてほしい』と願い出ると、
面倒を避けたい屋敷側から職や金銭がもらえるという、
ある種の“ゆすり”。
さて、ある日、名門・井伊家の前に一人の侍が、切腹を願い出る。
名は津雲半四郎(市川海老蔵)。
家老の斎藤勘解由(役所広司)は、
数か月前にも同じように訪ねてきた若浪人・千々岩求女(瑛太)>の、
狂言切腹の顛末を語り始める。
それは、武士の命である刀を売り、
竹光に変え、切腹を願い出た若浪人の話だった…」
----えっ?竹光じゃお腹切れないよ…。
「そこなんだよね。
実はぼくがこの映画を観たのはもう40年近く前。
某大学の映画研究会が催した映画上映会でのこと。
それは16mmだったんだけど、
もう、この切腹のシーンが怖くて怖くて。
切れないのに無理やり斬ろうととする。
モノクロ映像なのに、
その残酷さと血なまぐささが強烈に焼きついている。
で、正直言うと、
この半四郎の方はあまり覚えていなかったんだ。
ところが、今回、この三池崇史監督版を観ると、
これが見事なくらいに今の時代にピッタリと符合する」
----それは格差社会とかそういうこと?
「うん。その背景にあるものもね。
実は、これはすぐ明らかになることだけど、
この半四郎は求女の妻・美穂(満島ひかり)の父親に当たる。
求女の父は普請奉行の千々岩甚内(中村梅雀)。
半四郎と同じ福島家家臣。
折しもの御家取り潰しの憂き目に遭い、
無念の中、病気で逝ってしまう。
半四郎は職を失うも、
残された甚内の幼息子・求女を引き取り、
美穂と共に3人で暮らし始める。
江戸城下では、行商人や町人たちがにぎやかに行き交う中、行き場のない浪人が溢れ、
半四郎も傘貼りで糊口をしのぐ…。
と、ストーリーはここまででいいだろう。
この映画、見どころなのは
このすべてが明らかになった後、
井伊家の庭で解勘由に切々と語る半四郎の言葉。
もう、すべてが名台詞の連続だけど、
その中でツイッターでも紹介したこの言葉を…
勘解由の『気が狂ったか?』を受け、
『気が狂ったかと?拙者はただ生きて、春を待っていただけだ』。
この“春”というのは、もちろん“人生の春”。
まじめにこつこつと生きていれば、
人並みの生活くらいできるであろう?
だが、現実はそれを許さない。
これって、まさしく今と同じ。
半四郎は、もしかしたら、
自分がそこ(解勘由のいる屋敷)にいて、
解勘由が自分の立場になっていたかもしれないとも言う。
その違いは、ほんのちょっとした差。
だが、既得権益を手にしたものは
そこからふるい落とされたものの気持ちを少しも慮ることなく、
自分の立場を守ることに恋々としている…」
----ニャるほどね。
「その象徴として
なんと<猫>が使われているのも憎い。
求女と美穂は汚れた野良猫を飼うものの、
その猫はあっけなく死んでしまう。
一方の勘解由は真っ白な猫を飼っている。
こちらは暖かいところでのうのうと暮らしている。
最後、大立ち回りがある時でも、我関せず」
----それは猫だからニャあ…。
大立ち回りって殺陣もあるんだ。
「うん。これがまた意味のある殺陣。
半四郎は実際に人を殺めることなく、
竹光でバッタバッタなぎ倒してゆく。
その無類の強さ…。
つまり、これはこういうことを意味している。
武士としてこんなにも強い男がその力を発揮する場も与えられず、
城下で傘貼りをしていなくてはならない。
決して、世の中は実力通りではない。
運や政治力が非常に大きく作用しているとね」
----ニャるほど、今の時代だニャあ。
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「3D画面になったときの明度も計算してあるみたいなのニャ」
※青木崇高、新井浩史、波岡一喜の3人がまた憎らしい度
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