ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『潜水服は蝶の夢を見る』

2007-11-11 00:14:45 | 新作映画
(原題:Le scaphandre et le Papillon)

「いやあ、久しぶりに見応えある映画を観たね」
----そうニャの。
これってよく分かんないタイトルの映画だよね。
ある意味、アスミック・エースっぽい気もするけど…。
「うん。確かにそうかも。
この映画、タイトルだけでは想像がつきにくいけど、
これは20万回の目の瞬きで自伝を綴った『ELLE』誌編集長
ジャン=ドミニク・ボビー(通称ジャン=ドー)の
実話を映画化したものなんだ」

----20万回の目の瞬き…
ニャんで、そんな面倒なことを…?
「実は、ジャンは突然の病気で
身体の自由を失ってしまうんだ。
映画は、彼が病気に倒れた後、
病院で目覚めるところから始まる。
意識もしっかりしていて、自分は喋っているつもりなのに、
それが相手の耳には届かない。
でも視界の中の話し声はちゃんと聞こえる。
これって少し違うけど『ジョニーは戦場へ行った』みたいな
悲惨な展開になるのかと…」

----でも、あの映画では
医者たちが彼に意識があるとは思っていなかったけど…。
「うん。そこが決定的に違うね
医学の進歩…なんてつまんないことも考えたけど、
あちらは視覚自体なかったしなあ…。
さてこの映画に話を戻すと、
前半は、徹底してジャン=ドーの視線で描かれる。
そこでキャメラは、それにあわせてぼやけたり、
上下左右に揺れたり。
実験的とも言えるこの主観ショットは、
それだけでもカンヌで高等技術賞受賞に値すると思ったね」

----ふうん。それは観てみたいニャあ。
でも、その撮影法って最後までは続かないんだね。
「うん。実はジャン=ドーが自由になるのは左目だけ、
でも、彼はあるとき、
それに加えて“記憶力”と“想像力”も自由になることに気づくんだ。
映画が主観ショットから離れるのはまさにそこから。
つまり彼は自分と話している人の姿を
“想像”の中で観ることができるようになったというわけだね。
それに伴う撮影法の変化…。
これは実に理にかなっていると思ったね」

----ニャるほど。で、瞬きの意味は?
「言語療法士が文字盤を使って一文字一文字喋る。
で、ジャン=ドーの言いたい言葉のときになったら
彼は瞬きを一回する。
それの繰り返しにより、単語や文章を作っていく…。
と、まあこういう仕組みだ。
最初は面倒くさがっていた彼も
それでコミュニケートを取る方法を身につけてから、
編集者相手に自伝を書き上げようという気を起こし始める。
『たとえ身体は“潜水服”をきたように動かなくても
記憶と想像力で“蝶”のように自由に羽ばたく』----
これが原題の意味だね」

----ニャるほど。
「実は、この映画、
主人公は反キリスト教の過去を持つし、
内縁の妻の前で愛人からの電話に出て、
妻が聞きたくないことも言ったりする。
だけど 『象の背中』とはまるで印象が違って、
いちばん身近な女性を裏切っているはずなのに、
なぜか観る者にそれほどの嫌悪感は感じさせないんだ」

----う~む。それはもう自分を嘘で飾る必要がないということかニャあ。
「そういうことじゃないかな。
この主人公ジャンを演じているのは
アルノー・デプレシャンの映画や
『ミュンヘン』でも有名なマチュー・アマルリック。
実はジョン=ドーの役は
ジョニー・デップも演じたがっていたと言うけど、
マチューで正解じゃないかな。
監督のジュリアン・シュナーベルは
原作にあわせてフランスで撮影し、
しかもフランス人にフランス語で演じさせている。
ジャン=ドーの世界を尊重したわけだね。
パリの風景ではトリュフォーの『大人は判ってくれない』の
サントラを使用するなど、
何から何までファン魂に訴えてくれる作品だったな」


(byえいwithフォーン)

フォーンの一言「でも辛い話だニャあ」悲しい

※しかし、この映像には驚かされた度
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※ちょっとCM。けっこう凝ってるかも。
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