(原題:Le scaphandre et le Papillon)
「いやあ、久しぶりに見応えある映画を観たね」
----そうニャの。
これってよく分かんないタイトルの映画だよね。
ある意味、アスミック・エースっぽい気もするけど…。
「うん。確かにそうかも。
この映画、タイトルだけでは想像がつきにくいけど、
これは20万回の目の瞬きで自伝を綴った『ELLE』誌編集長
ジャン=ドミニク・ボビー(通称ジャン=ドー)の
実話を映画化したものなんだ」
----20万回の目の瞬き…
ニャんで、そんな面倒なことを…?
「実は、ジャンは突然の病気で
身体の自由を失ってしまうんだ。
映画は、彼が病気に倒れた後、
病院で目覚めるところから始まる。
意識もしっかりしていて、自分は喋っているつもりなのに、
それが相手の耳には届かない。
でも視界の中の話し声はちゃんと聞こえる。
これって少し違うけど『ジョニーは戦場へ行った』みたいな
悲惨な展開になるのかと…」
----でも、あの映画では
医者たちが彼に意識があるとは思っていなかったけど…。
「うん。そこが決定的に違うね
医学の進歩…なんてつまんないことも考えたけど、
あちらは視覚自体なかったしなあ…。
さてこの映画に話を戻すと、
前半は、徹底してジャン=ドーの視線で描かれる。
そこでキャメラは、それにあわせてぼやけたり、
上下左右に揺れたり。
実験的とも言えるこの主観ショットは、
それだけでもカンヌで高等技術賞受賞に値すると思ったね」
----ふうん。それは観てみたいニャあ。
でも、その撮影法って最後までは続かないんだね。
「うん。実はジャン=ドーが自由になるのは左目だけ、
でも、彼はあるとき、
それに加えて“記憶力”と“想像力”も自由になることに気づくんだ。
映画が主観ショットから離れるのはまさにそこから。
つまり彼は自分と話している人の姿を
“想像”の中で観ることができるようになったというわけだね。
それに伴う撮影法の変化…。
これは実に理にかなっていると思ったね」
----ニャるほど。で、瞬きの意味は?
「言語療法士が文字盤を使って一文字一文字喋る。
で、ジャン=ドーの言いたい言葉のときになったら
彼は瞬きを一回する。
それの繰り返しにより、単語や文章を作っていく…。
と、まあこういう仕組みだ。
最初は面倒くさがっていた彼も
それでコミュニケートを取る方法を身につけてから、
編集者相手に自伝を書き上げようという気を起こし始める。
『たとえ身体は“潜水服”をきたように動かなくても
記憶と想像力で“蝶”のように自由に羽ばたく』----
これが原題の意味だね」
----ニャるほど。
「実は、この映画、
主人公は反キリスト教の過去を持つし、
内縁の妻の前で愛人からの電話に出て、
妻が聞きたくないことも言ったりする。
だけど 『象の背中』とはまるで印象が違って、
いちばん身近な女性を裏切っているはずなのに、
なぜか観る者にそれほどの嫌悪感は感じさせないんだ」
----う~む。それはもう自分を嘘で飾る必要がないということかニャあ。
「そういうことじゃないかな。
この主人公ジャンを演じているのは
アルノー・デプレシャンの映画や
『ミュンヘン』でも有名なマチュー・アマルリック。
実はジョン=ドーの役は
ジョニー・デップも演じたがっていたと言うけど、
マチューで正解じゃないかな。
監督のジュリアン・シュナーベルは
原作にあわせてフランスで撮影し、
しかもフランス人にフランス語で演じさせている。
ジャン=ドーの世界を尊重したわけだね。
パリの風景ではトリュフォーの『大人は判ってくれない』の
サントラを使用するなど、
何から何までファン魂に訴えてくれる作品だったな」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「でも辛い話だニャあ」
※しかし、この映像には驚かされた度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
※ちょっとCM。けっこう凝ってるかも。
(画像のどこでもクリックしたら動画が観られます)
<
「いやあ、久しぶりに見応えある映画を観たね」
----そうニャの。
これってよく分かんないタイトルの映画だよね。
ある意味、アスミック・エースっぽい気もするけど…。
「うん。確かにそうかも。
この映画、タイトルだけでは想像がつきにくいけど、
これは20万回の目の瞬きで自伝を綴った『ELLE』誌編集長
ジャン=ドミニク・ボビー(通称ジャン=ドー)の
実話を映画化したものなんだ」
----20万回の目の瞬き…
ニャんで、そんな面倒なことを…?
「実は、ジャンは突然の病気で
身体の自由を失ってしまうんだ。
映画は、彼が病気に倒れた後、
病院で目覚めるところから始まる。
意識もしっかりしていて、自分は喋っているつもりなのに、
それが相手の耳には届かない。
でも視界の中の話し声はちゃんと聞こえる。
これって少し違うけど『ジョニーは戦場へ行った』みたいな
悲惨な展開になるのかと…」
----でも、あの映画では
医者たちが彼に意識があるとは思っていなかったけど…。
「うん。そこが決定的に違うね
医学の進歩…なんてつまんないことも考えたけど、
あちらは視覚自体なかったしなあ…。
さてこの映画に話を戻すと、
前半は、徹底してジャン=ドーの視線で描かれる。
そこでキャメラは、それにあわせてぼやけたり、
上下左右に揺れたり。
実験的とも言えるこの主観ショットは、
それだけでもカンヌで高等技術賞受賞に値すると思ったね」
----ふうん。それは観てみたいニャあ。
でも、その撮影法って最後までは続かないんだね。
「うん。実はジャン=ドーが自由になるのは左目だけ、
でも、彼はあるとき、
それに加えて“記憶力”と“想像力”も自由になることに気づくんだ。
映画が主観ショットから離れるのはまさにそこから。
つまり彼は自分と話している人の姿を
“想像”の中で観ることができるようになったというわけだね。
それに伴う撮影法の変化…。
これは実に理にかなっていると思ったね」
----ニャるほど。で、瞬きの意味は?
「言語療法士が文字盤を使って一文字一文字喋る。
で、ジャン=ドーの言いたい言葉のときになったら
彼は瞬きを一回する。
それの繰り返しにより、単語や文章を作っていく…。
と、まあこういう仕組みだ。
最初は面倒くさがっていた彼も
それでコミュニケートを取る方法を身につけてから、
編集者相手に自伝を書き上げようという気を起こし始める。
『たとえ身体は“潜水服”をきたように動かなくても
記憶と想像力で“蝶”のように自由に羽ばたく』----
これが原題の意味だね」
----ニャるほど。
「実は、この映画、
主人公は反キリスト教の過去を持つし、
内縁の妻の前で愛人からの電話に出て、
妻が聞きたくないことも言ったりする。
だけど 『象の背中』とはまるで印象が違って、
いちばん身近な女性を裏切っているはずなのに、
なぜか観る者にそれほどの嫌悪感は感じさせないんだ」
----う~む。それはもう自分を嘘で飾る必要がないということかニャあ。
「そういうことじゃないかな。
この主人公ジャンを演じているのは
アルノー・デプレシャンの映画や
『ミュンヘン』でも有名なマチュー・アマルリック。
実はジョン=ドーの役は
ジョニー・デップも演じたがっていたと言うけど、
マチューで正解じゃないかな。
監督のジュリアン・シュナーベルは
原作にあわせてフランスで撮影し、
しかもフランス人にフランス語で演じさせている。
ジャン=ドーの世界を尊重したわけだね。
パリの風景ではトリュフォーの『大人は判ってくれない』の
サントラを使用するなど、
何から何までファン魂に訴えてくれる作品だったな」
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「でも辛い話だニャあ」
※しかし、この映像には驚かされた度
人気blogランキングもよろしく
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(他のタイトルはこちらをクリック→)
※ちょっとCM。けっこう凝ってるかも。
(画像のどこでもクリックしたら動画が観られます)
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とても主人公が明るい人で、雰囲気もマチュー・アマルリックでぴったりだと思いました。
そしてジュリアン・シュナーベルの映像美には痺れまくり…とても気に入りましたです。
ぼくも『海を飛ぶ夢』を思い出しました。
でも、周りの人々に対するまなざしや、
また、あの斬新なカメラワークなど、
圧倒的にこの映画の方が好きです。
もう一度観たいくらいです。
すごく心に響く映画でした。
あの映像感覚はスゴイですね!
主人公ジャン=ドーの心の変化とリンクさせた撮影。
実験的でありながら、ただそれだけには終わっていない作品でした。
とても美しい映画でした。2007年のベスト3に入る作品でした。
コメント&TBありがとうございました。
「美しい」、この言葉に集約される映画でしたね。
これからもよろしくお願いします。
でも、妻が夫のメッセージを愛人に伝えるシーンは、やっぱり女側の立場になってしまって、物凄く切なかったです。
>妻が夫のメッセージを愛人に伝えるシーンは、やっぱり女側の立場になってしまって、物凄く切なかったです。
そうですよね。
その気持ちは当然だと思います。
ただ、同じような設定なのに、
『象の背中』では、ヒドいと思い、
これではそう思わなかった自分がいる。
そこが男の立場からしても不思議。
やはり、映画の描き方の差かなと
思ってしまいました。
眠気は食べすぎで誘われたけど、いい作品だとはしっかり伝わりました~。
主演のマチューさん、良かったですね。
ミュンヘンに出てたの、未だにどんな役だったか
わかりませんけど
今後も注目してみたいですー
マチュー・アマルリックは
最初に観たのは『そして僕は恋をする』でした。
一時期、人気があったフランスの監督デプレシャンの映画に
よく出ていたので記憶にありました。
だから、逆に『ミュンヘン』に出たときは、
へぇ~っ、こんな大作にも出るんだ----って感じでした。
彼は監督もやっているようですし、
今後も伸びると思いますよ。