ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『ゲド戦記』

2006-07-08 00:10:15 | 新作映画
----この映画って話題だよね。
なんと言っても宮崎駿を父に持つ宮崎吾郎が監督している。
「うん。しかも彼が第一回監督作品として選んだのが
『指輪物語』『ナルニア』と並び称されるファンタジー文学
『ゲド戦記』というんだから、嬉しいような悲しいような」

----なんで悲しいの?
「だってこの話、
やっぱり実写で観たかったという気もするじゃない。
でも、それって多分無理なんだろうな。
これまで数多くの映画化の話があったけど
原作者アーシュラ・K.ル=グウィンは拒否。
かつては宮崎駿も打診して断られたらしい」

----ふうん。それなのにどうして映画化されたの?
「『千と千尋の神隠し』がアカデミー賞を受賞するなど、
世界の評価が高まり、
原作者の方から打診が舞い込んできたらしい」

----そうか、父と子の確執がいろいろささやかれたりもしたけど、
本当は宮崎駿が自分で映画化したかったんだ。
「まあ、そのあたりは宣伝的な意味での話題作りも多分にあるかもね。
それでも宮崎駿は
『「ゲド戦記」にはクロード・ロランの世界観が似合う』と漏らしたことがあって、
スタッフは、すぐさま彼の画集を手に入れたらしい」

----『ゲド戦記』って長いお話だけど、
どのあたりが描かれているの?
「どうやら3巻目が核になっているみたい。
ぼく自身、この本は取っ付きにくくて
まだ読んでないんだけど、
世界観も分かったし、やっと本気で読む気が出てきた。
ただ、物語を紹介しようとすると、
これが実にややこしいものになる。
その前にタイトル、ゲドの意味から。
ゲドというのはハイタカという魔法使いの<真の名>。
この世界では<真の名>を魔法使いに明かすと、
相手に支配されてしまう。
さて、世界の均衡が崩れ始めたことから、
その源を探る旅に出たハイタカの前に、
ひとりの少年が現れる。
少年はエンラッドの王子アレン。
父王を刺し、国を出た彼は『影』に追われていた。
アレンに若き日の自分を見たハイタカは、
彼とともにホート・タウンの街はずれ、
ハイタカの幼なじみテナーの家へ行く。
そこには親に捨てられた少女テルーも一緒に住んでいた。
だが、そんな彼らを魔法使いクモが狙う」

----ニャんだ。全然ややこしくないじゃない。
「う~~ん。さっきも話したように、これは第3巻目が軸になっている。
ここに出てくるハイタカ、テナー、そしてクモの間には、
かつて永遠の生命をめぐる壮大な戦いがあったようなんだ。
<生死両界の扉>なんて話も出てくるし…」

----うわあ、それってスゴそう。
「いや、ここでは言葉だけだけどね。
アレンは『影』に追われ、死ぬことを恐れている。
だがそれは『生きること』を恐れているということ。
ハイタカは言う。
『生には限りがある。人間はそれを知っているから素晴らしい』と。
そう、これは命の意味を問うた映画なんだ」

----子供にはちょっと難しそうだね。
「ただ、そんな深い意味まで考えなくても、
まったく飽きることなく観ることができる。
ハイタカとアレンが旅する廃墟の街、
そしてホート・タウン。
中世の町並みを思わせるその深みのある色合い、
苔むした石畳の上に影を作る樹々など、
よそのアニメがいくら頑張っても到底追いつかない」

----アクションもあるんでしょ?
確かドラゴンも出てくるよね。
「アクションの見せ方はさすがだね。
宮崎駿が影響を受けたというポール・グリモーの『王と鳥』。
宮崎駿はそれを引き合いに出し、
映画の中の<上昇の動き>の重要性を説いている。
宮崎吾郎はその映画を観てないらしいんだけど、
クライマックスのアレンとクモの戦いでは
その<上昇の動き>がきっちりと描かれている。
このあたりが他のファンタジー・アニメとはまったく違う点だろうね。
否が応でも手に汗握ってしまう」

----さすが父から子へDNAが受け継がれているってこと?
「ただ、最初の方はジブリというより
60年代の『東映まんが祭り』を思い出したね。
でも、ラストはやはりジブリ。
なかでも『耳をすませば』の感動に近いかも」


               (byえいwithフォーン)


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