七月は一日葬と呼んでいる「一日で行なわれる葬儀」が
多かったです、今後の推移を見なければわかりませんが、
時代の流れは、もはや一日の葬儀も認知されつつあるのでしょうか
事情があって一日での葬儀を行なわなければならない理由としては
ご遺体の損傷が激しい場合とか
費用的な面とか、宗教的な考えとか
さまざまな理由がありますが
大きな理由は
「自分たちの考え」で葬儀を行なうという
家族の人たち中心で「葬儀」が行なわれるように
なってきたことが要因ではないでしょうか・・・
社会とのかかわりを持たない、近所との付き合いも希薄
ましてや、宗教的なことも意識がなく
「自分たちがどうしたいか」での判断で
葬儀が変わろうとしています
社会の中の全ての象徴が
葬儀という「儀式」や「供養」と言った
先祖を敬う「あの気持ち」は
どこにいったのでしょうか・・・
まるで、脱水機のように全てを吹き飛ばして
無味乾燥に心がならなければ・・・いいのですが・・・