葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

生きた証

2019-10-06 10:46:49 | 道順庵の徒然草


葬儀の捉え方は時代やその人の価値観で

変わってまいります

高齢者の方が

「もしもの時にはこんな葬儀にして欲しい・・」なんて

事前に話されたり、書き記されたりもします

「何もしないで、火葬だけでいい」・・・なども

よくあるお話です

でも・・

なんでそういう気持ちだったのかは

知らない場合もあるのではないでしょうか

「子供に負担を掛けたくない」

「周りも高齢者のために声を掛けなくていい」

とかも理由の一つでしょうか

でも・・

本心はどうだったのでしょうか・・?

確かに

「本人がそう言ってんだから」と

意思の尊重ということで「火葬のみに・・」

という結論も多いのではないでしょうか


もし・・

「そうは言っても、親の葬儀くらいはださなきゃ」

「誰にも知らせないなんて事は世話になった人に

申し訳ないのでは・・」

とか、残された遺族の考えが本人の

意思と違うときには・・・

どちらを優先させるべきでしょうか・・・


負担を掛けたくない親心から出た「火葬だけ」の意思と

負担は承知で費用を計上したい残された子供の親を思う心


う~むぅ・・


最終的は

「喪主」になる方が判断する訳ですが

これも究極の忖度になるのでしょうか・・




どちらにしろ

生きてきた証を語る時間的な余裕は

あったほうが良いのではないでしょうか・・・

えっ・・

忖度より損得だって・・!

まぁ~・・・

そういうことも・・・

      























コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする