葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

感動

2018-08-21 11:19:16 | 道順庵の徒然草


人が感動するときとは

どんなときでしょうか・・・


景色とかスケールの大きさとかではなく

そのシチュエーションで物語の中に「人の存在」が

見えたときではないでしょうか

それは

その人の「汗」が見えたとき

その人の「想い」を感じたとき

そんな、「誰かのために」一生懸命な姿を

目の当たりにしたときに

心の琴線に信号が届くのではないでしょうか


感極まる・・

そんな葬儀の場面も沢山あります

それは

純粋な涙の川に溢れているようです

沢山の涙は伝播いたしますから

多くの感涙となるのでしょう

特に子供さんの葬儀での

子供さんの「お別れのことば」は

慣れているはずの

葬儀の担当者でも式の進行に支障をきたすほどです

そんな人たちの涙の力とは

「その人のことを一生懸命想っていたから」

という、愛情の証であるからでしょう


音楽で感動することもあります

目を閉じて聞いたときに

心が震えることもあります

スポーツでも

ひたむきな姿は、とても感動し、歓声と拍手と、やはり

涙が自然と流れます


総じて

感動は、「一生懸命」のひたむきさから

生まれるのかも知れません


葬儀社さんから

感動を受けるとしたら


例えば

花祭壇が「ものすごく綺麗だったり」

したときに

それを見た家族の皆さんが

「たぶん、相当の手間隙と技術とデザインと

一生懸命の愛情が注がれている」と

認識されたときではないでしょうか

やはり

見えないところでの「汗」を感じていただけたとき

にだけ

感動とやらは生まれるのかも知れません・・・

非日常の葬儀の世界で

日常的に繰り返す業務は

高校野球の選手のように新鮮でありたいものです・・

どこでも

一生懸命になれるように

「あきたこまち」でもいただきましょうか・・・

        



















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