葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

顔が見えること

2010-06-25 19:25:10 | 道順庵の徒然草


事前相談が増えて、事前にお客さまの考えや状況が

判りやすくなりました、お客様が安心できる

事前相談は、葬儀社さんにとっても

「安心」できることなのです

顔が見えるということは

それだけでかなり安心感が違うのです


いきなり、病院に行き、葬儀の依頼があっても

どんな人で、どんな葬儀が希望で、どんな予算なのか

0から、相談をしなくてはいけないからです

電話での対応より、やはり、顔が見えての事前相談は

余計な想像や懸念を外してくれる作用があり

正直に質問したり、答えたりと言った

信頼関係も作れます


ならば、普段から人の目に付くような

顔の見える工夫がもっともっと必要なことに

なって来るでしょう

「顔が見える」から

「顔を見せる」へ・・・






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それが無いと

2010-06-25 18:43:48 | 道順庵の徒然草


最近の情報伝達機器は

すごい・・・の一言でしょうか

やはり、時代は機器に振り回されて

ロボットの支配下になるのでしょうか(笑)

これだけ便利になって「すごい」の筈も

1年もすればやがて「過去形」になるのです

文明は古いものをジダイオクレにしながら

果てしない競争のスパイラルか、戻れない

下り坂を駆け足で「未来」と勘違いしながら

駆け下りていくのでしょうか・・・(笑)

へそ曲がりのジィさまは「I」パッドどころか

携帯電話でさえ持て余し、

電話が鳴っても、間違えて「切り」を押したりする人種ですから

とてもとても・・・買えませんし

買っても使えない・・・

だから、買わない・・・

へそが曲がっているから

それって「幸せにしてくれる器械ですか」などと

意地悪そうにつぶやいたりも致します(笑)


文明の機器を手にした人達と

南方の原住民の人達とでは

どちらが幸せなのか判らないなどともいいながら(笑)


世の中、売れるものを作るのはしょうが無いのですが

「それが無いと」「生きてはいけなくなる」機器であるかのような

「競争社会に慣らされた」人たちに翻弄されすぎないことも

ある面必要でしょう・・・

便利は不便から生まれますが

便利過ぎは

何かを失わせる麻薬のようなものですから

便利過ぎのオクスリに麻痺をしないように・・・・


しかし、現実には文明から乗り遅れすぎたジィさまはたちは

とんでも機器に、時代が変わったことを嫌というほど認識させられて

次の世代の人たちには到底敵わないことを教えていただく「機器」でも

あるのです・・

この「機器」はじぃさまたちに「危機」をもたらし

疎外感を助長しながら

この先、パプアニューギニアの地図なんぞ出して

原始生活を夢見るのです(笑)


高齢者が

田舎暮らしを始めるように・・・



















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