葬送 なるほど 家族葬 八千代市の葬儀

一日/一生   「道順庵」のつれづれ草 水琴窟に癒されて

苔と雨

2007-09-19 19:47:44 | 道順庵の徒然草
茶室の横の待ち人用屋根は風雨の為と、この場所が

あまり利用されないためごらんのような状況です。

雨と苔は風情を醸し出し、人を詩人に仕立て上げます

葬儀が儀式だけの時代は終わろうとしております。

次に来るのが簡略化の波と、低価格の嵐・・

そしてこころの荒廃(喪失)が顕著に見えてなりません・・・・

人を送る行為に、その人生を謳う「詩的な配慮」があっても、

良いのではないでしょうか・・

人生を如何に生きてきたかは、故人様はもとより、

私たちが如何に故人様と係わってきたか・・・

何かで表現する・・・

「絵」でも「詩」でも「ことば」でも、「史的な手作り本」でもいいのです。

詩的な想いをめぐらすことは、「あの人」を想いやること、

即ち一番の「供養」という形が、

本当に出せるような気がいたします・・・


あくまでも私的な想いですが・・・

葬儀に有って欲しい部分なのです・・・

高い安いのチラシよりは・・・・





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古い木から

2007-09-19 16:45:56 | 道順庵の徒然草
道順庵のバナナの木が先日の台風の影響で途中から

折れてしまいました。

すると一週間も経たないくらいに、次の新しい葉が、真ん中から

出てきました。

なるほど、南方では台風はアタリマエなのです、

折れたら次、折れたら次、と自然に対して、逆らわないで生きているのです。

柳の木が折れにくいように、バナナの木も、生存していく逞しさ、

少しは見習いたいのです。

台風と同じように、人間でも「風力の強い」御仁がおられます。

立ち向かえば、どちらかが折れてしまうのですが、「どちらも

折れることを習得してない」場合があります。

信念をまげてしまうことと、新しい芽を出すことは違うように

思います。

どこでも芽がだせる「強い」カラダも、生きていくうえでは、

必要のようです・・・

アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ツヨイカゼノモチヌシニハ、

オレテモ、マケズ二・・・・






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夏の思い出

2007-09-19 15:10:32 | 道順庵の家族葬
この夏に安曇野で見つけた写真です。

とある博物館のギャラリーで展示があり、たまたま見つけました。

大変幻想的な写真ばかりで、とても気に入り、

つい「これ下さい・・」と、

またもや、買い込んでしまいました。

買ったは良いのですが、1ヶ月も商品がこなくて、少し心配を致しましたが、

道順庵の廊下に飾ることが出来ました。

写真は動きませんが、そのときでなければ撮れない「とき」

を永遠に残してくれます、

この写真も、撮影した人と、花の精が見事に合致した様相を、

呈しております・・・

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