空和心律体

「道」を「楽」しむ極意を探して右往左往

スポーツの変

2009-05-25 21:37:59 | スポーツ
スポーツの変 揺れる指導者
中日新聞に連載のコラムです。

今日の題は「褒め言葉まみれの子供」


(以下 記事の抜粋を含む)

「子供への指導では、なるべく褒めて・・・」

首をかしげる・・・

子供が大人や社会に認められたいと思うのは、いつの時代も同じ。しかし、ここまで来ると「褒める」というより「おだて」の領域である。

名門 清水商高サッカー部監督 大滝雅良氏の話:

教え子の小野伸二選手が3年の冬、選手権の県予選で敗退した時に、彼の失意を知りながら、あえて傷口に塩を塗った。

「自分がうまいと思ったらさよならだ。自分の名簿からけしてやる。」

冷淡な一言にも、きちんと理由があった。

「彼が30,40歳になった時、人生で理不尽なことがあっても揺るがない自分を見つめられる。指導者には先を見据えて伸ばす探究心が必要。僕らが目線を同じにしていては、子供達は上に行けない。」

「褒める」とはコーチングのひとつであり、万能ではない。・・・・・・・





僕は常々良き指導者の下でのスポーツ(武道)には机上の勉強では得られない力を身に付ける効果があると考えています。(そんな気持ちを知ってか、息子達も自然と中学、高校では運動部を選んでくれました。言うまでも無く成績は↓でしたが・・・)

もちろん技術、成績至上主義には疑問もありますが、本質を見失わなければ、目標を具体化するという点では有効だと思います。

大人になっても「褒められること」は理屈なしにうれしいものです。
しかし、社会に出て「褒められる」ことはどれだけあるでしょうか?どちらかと言えば「叱られる」ことの方が多いのではないでしょうか?(僕だけかな?)
だから、子供のうちに正しく「叱られる」ことを覚えておくことの方が必要ではないでしょうか?そして、大人になったら正しく「叱る」ことを子供にしたいものです。

こういう記事・・・自分は指導する立場から離れて久しくなりますが、なぜか気になってしまいます。今も現場に立つ方々からは「昔と違うんだぞーっ」というお言葉も聞こえてきますが、心の中で何かがうずいてしまいます。(力も余裕も無いのは自覚しているのですが・・・)

しかしながら・・・「人として質の高い」指導者とめぐり会えるかどうか・・・やはり、これも運なのでしょうか?