ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩45 姫島神社へ

2017年07月11日 20時53分45秒 | ウォーキング

頑張って車道の横の
梯子階段をのぼり
河川敷におりてみますと、

おお~昨年はこの時期に
よく淀川を歩きましたねえ。





クサフジやヨシなど
あの時と同じような植物が
咲いています。

で、このときは何も知らずに、
草深い道をかき分けて、



河川敷なんかに



おりて行ったりしているけど、



これからはこういう遊びも



「ヒアリ」や



「アカカミアリ」を見つけると、



官庁とかに報告しないと
いけませんねえ。

これはちょっとウォーキング時の
注意事項にしないといけないとね。

で、そうしてたどり着いた
川渕から水面を見ると、



まあさほど水はきれいではないですけど、
小さな魚や貝類など
いろんな生き物が
この川の中には育っていますねえ。

どうやら、この辺では川で
漁もしているようです。



持っている仕掛けなんかを見てると、
どうやら「ウナギ」漁のようですねえ。

「おっちゃん~ここで
焼くんやったら誘ってやあ~」
などとは言いませんが、
まあそういうことを、
もし半分遊びでやってるんなら
是非とも参加したいものですな。

と、その先にこんな立派な
おり口がありましたね。



フリークライミング風
堤防荒らしをせっかくしたのになあ、
残念です。



でもこうして河川敷にきて
ゆっくりと遊んだりする人も
多いんでしょうねえ。

歩いていると、ぼーっと座っている
男性なんかもよく見かけます。
ああなんぼ遊び好きのdoironでも、
そういう遊びはできませんがね。

しかしこの日はとっても
いい天気で雲の表情も
楽しかったですねえ。



絵に描くんなら、
こういう空が描きやすいかもねえ。
いい季節ですねえ。

よこの空き地では子供たちが
野球を楽しんでいます。



で、そうこうしているうちに、
阪神高速神戸線が近づいてきます。

ここで道は上に上がっていく
道ができていますので、



ちょっと川を離れて
北側のところにある
姫島神社の方へといってみましょう。

で、川から出たところで、
こんな道標を発見しました。



「大和田街道」と書いてあります。



あれ~どこかで見た道標だぞ~
と記憶をたどってみますと
(ブログを検索してみますと)
環状線福島の駅前に
この街道名の入った
道標が建っていましたね。



天満宮から尼崎の方へと
つながっていく街道のようです。

そうかあ、福島の駅前と
つながる街道だったんですねえ。

この街道名の大和田とは、
さっきまで書いていた
「福」町の北側あたりにあります。

福島、福とめでたそうな
名前の地域を通っているんですな。

この「福」町の地名の由来は
不詳だそうだが、
なんかこんなところに
関連するのかもしれませんね。

で、その大和田なんですが、
万葉集には

「浜きよくうら懐かしみ神代より
千船のとまる大和田の浦」
とうたわれています。

和田というのは海を表すそうで、
大きな海に面した場所
という意味なんだそうです。

その大和田を通る街道沿いに
姫島神社があるので、
しばらくはこの道を歩いていきましょう。

地面には大阪市の歴史の道を
表す飾りがついています。



そして到着しました。



ここが姫島神社です。



え~りっぱな上の反木が
ぐいーんと沿った鳥居ですねえ。



ここの神様は阿迦留姫は
赤い玉より生まれた美人で
新羅の王子と結婚した
といわれています。

でもその王子が嫌になり
ネットで誹謗中傷しながら
「怖ろしいことが起こったんです」
とか動画でいいながら
むりやりにげ回って、
この辺りに住んでいた
といわれています。
(想像を含んでいます)

姫が住んでいた、
島状の土地というところから、
姫島という名前が
出てきたといわれてますが、
もともと稗の生えてた
稗島にその話をくっつけた
というのがどうやら本当らしいです。

大きなクスノキが生えた
神社内をいろいろと見学し、



大和田街道もここまでです。

また近いうちに機会を見つけて、
別の時にこの街道を
歩くことにして淀川へと戻ります。


淀川完歩44 福町から

2017年07月10日 21時09分41秒 | ウォーキング

え~っと、5月の行事で
もう一つ残っていました。

淀川右岸を歩いたウォーキングです。

まずこれを報告しておきましょう。
これが、今年の五月の
最後のウォーキングです。
あ、朝の散歩とかはカウントしていませんよ。

さて、ではちょっと期間のあいている、
前回の淀川歩きを思い出してみましょう。

て、いうか自分でブログを確認してみます。

前回は淀川完歩43で、
昨年の10月に淀川右端の
最先端を訪ねる旅をしましたね。
あ~もうあれから9か月かあ。
熊野古道や
四国も結願したし
やりたかったことは
どんどん実現していきますねえ。
あとは身体やなあ。

前回はコース添いにキノコがいっぱい
はえていたのを思い出します。

で、最後は阪神電車なんば線の
「福」駅でしたねえ。

ここって町会名は「福町会」
なんでしょうねえ。
龍野には「福の神町会」てのはありましたねえ。
この福町でこそ、宝くじを売ったり、
「福神社」や「福寺」とか
あったらいいのにねえ。
あるのかな?

その福駅を目指して
電車で出かけていきます。

JRで阪和線から環状線、
西九条で降りて阪神電車なんば線で
進んでいき、淀川を越えた
最初の駅が「福」です。



ではここでナビを入れ、
ウォーキングの「福」を目指して
歩き始めましょう。

先ずは電車を戻るように
淀川に向かって歩いていきます。



おお~50円の自販機です。



「福」地域ですねえ。
そしてこの当たりの地下道には
「阪神タイガース」のシールが
貼られていますねえ。



いやあ、今年はまあまあ
「福」がついたように
勝ち気味ですねえ。

で、淀川へ出たときには
ちょっと上に上がって
川沿いの道に行きましょう。

阪神電車の踏切を超えると、



伝法大橋があります。



ああ、ここの洪水用の石碑は
重要な役割を果たすんですね。

先ほどの道の横には、
海抜0mの碑がありましたし、



たしか前回歩いた時も
伝法駅周辺の海抜は、
マイナス1.9m。
そういう地域なんですね



なので橋のこのピンクのケースの中に
洪水碑が入っています。

よく道を通行止めにして
動きの検査をするそうで、
そんなお知らせがdoiron家の
近くの国道なんかにも
よくはられてありましたね。
念入りなお知らせです。

で、その先に石碑が建っています



「大塚切れ洪水碑」

と刻まれた石です。
ああ、この辺が切れたのかあ
と思っていたら、
この大塚という地名が
高槻市あたりの地名であることが
後でわかりました。
だったら、なぜここに石碑が
と思うでしょ。

その理由の一つが
先ほどまで歩いていた
「福」町と関連があるのです。

その洪水は大正6年に起こりました。
台風による大雨で
淀川の堤防が切れたところに持ってきて、
芥川の堤防切れも相まって
大災害を起こしたのです。

まあ、今の天気予報なら
「大雨特別警報」が
出てたのかもしれませんね。

この堤防きれで高槻から
淀川末端までひどい被害を
受けたようです。

なかでも被害の長引いたところが、
実は「福」町あたりだったそうです。

決壊時に流れ込んできた水が
ひと月余りも抜けなかったそうです。
そのため、この辺りでは、
淀川の堤防をわざと切り
たまった水を淀川へ戻す
という作業をしたそうです。

で、この戻すための碑は
「わざと切れ碑」といわれていますが
そんな碑がこの辺りに
あったため、大塚から
ずいぶん離れたこの辺りに、
一見場違いな碑が立っていると、
こういうわけなのだそうです。

「福」町もこの時はさすがに
「不幸」町だったわけですねえ。

さて、この辺で淀川河川敷を
堤防のブロック越しに眺めると、
河川敷にちゃんと道があり
自転車なんかも
走っているではないですか。

ではdoironも降りてみましょう。
といっても不安定な梯子が
壁についているだけなので、
ここはちょっと
フリークライミング気分を
持ち上げつつ、ふんふんと
鼻歌歌いながら超えるようにします。



そういう精神的な高揚で
乗り越えちゃったりするんですな。

ふふふ


四国巡礼一番霊山寺結願

2017年07月09日 21時29分19秒 | ウォーキング

懐かしい駐車場にバスは到着しました。



ああ、前に来たときと同じ景色だなあ。
ついにここへ結願で来たのやなあ
と感慨深く景色を眺めました。

さあ、では中へ入っていきましょう。

あ、その前に結願の写真撮影です。

こんな風に映してもらいました。
有料ですけどね。



さらに今回はここでお寺の人による
結願時の講和を聞くことになっていますが、
先ずはお参りです。

本尊は釈迦如来です。



「のうまくさんまんだぼだなんばく」
と唱えます。

お経も様々な言葉も
もうそらでいえます。
初めてここに来たときは、
「こんなお参りをするのかあ、大変やなあ」
と思った記憶がありますね。

そして次には大師堂です。

ここでも同様にお参りします。
1つのお寺で、二カ所で
こんな勤行をするのなんて
昔は知りませんでしたねえ。

そしてこの大師堂では、
写経を納めてきました。



doironとミセスの写経です。

一年間お世話になりました
というお礼の気持ちを込めてね。

で、この後は講和です。

少し広い部屋に案内され、
椅子に座っていきます。

すると、お寺の中から女性の僧が出てきて、
いろんな話をユーモアを交えながら
話しつつ、結願のお祝いを
述べてくれます。

八十八カ所回って
何かいいことはあったでしょうか?

色んなことが頭をよぎります。

まあ何はともあれ、
こうして何かを信じることが
とても大切なんだよ
というようなお話だったと思います。

またツアーとはいえ、
一年間休むことなく回れたのも、
もうそのこと自体が
ありがたいことなんだ
ともおっしゃってはりました。

最後に希望していた人にだけ、
「四国八十八カ所霊場満願之証」
が配られます(これも有料です)。

doironのがこれ。



今は、義理の母さんが
生前時に残してくれていた
額の中に入れています。

いやあ、この一枚のために
年間22日を費やしましたねえ。

記念にちゃんと残しておきたい
と思います。

doironはこの四国遍路とともに、
とても時間を費やして
自分に課してきたことがあります。

それは「絵」でした。

ひと寺で一枚、
自分の中に残った景色を
写してきた写真なんかを見ながら、
つらつらと書き溜めてきました。

あ、そうそう、ここの一番の絵は
何にしたか、まだ書いてませんでしたねえ。

あとでいろいろ考えてみたら、
やはりこのお寺の入口の絵でした。

順周りの人はここから
結願が始まるところですね。
なので鳥居に書かれている
「発心」に心震わすでしょう。

そして逆回りの我々にとってみては
ここで結願されるところですから、
やはり気持ちは高ぶるところです。

その絵がこれ。



さあこれで絵は88枚
すべて完成しましたし、
すべてブログで紹介させていただきました。

今になって書き始めの絵を見ると、
ああここはこんな風に
描けばよかったのにと
反省したりしてしまいますが、
まあそこはそれdoironの
歴史のひとつであります。

パソコンで描いた絵の
一覧を見ていますと、
じつはこれらの絵は
doironが自分で見てきた
描いた絵というよりも、
四国のお寺がdoironに
見せてきた姿なんだなあ
と改めて感じます。

一枚描くたびに、
ああここはこんな風に
絵の具を載せればいいんだ、
ここは色をこうして作って
行けばいいんだ
といろんなことを
学ばせていただきました。

まあ、これからもいろんな絵を
描くという意味で、
この88枚はとっても
成果になりましたねえ。

この四国八十八カ所の絵は、
用意が整えばdoiron家で
展覧会をやりますので、
またお知らせしたいと思います。

からだにいろんなことのあった
doironと大きな病気をした首Dさんも
無事結願し、あとは
高野山へのお礼参りで、
集めてきた御朱印で掛軸の
製作もしていきましょう。



さあ、これで四国めぐりは
すべて終わりました。

帰りは大鳴門橋のところで



赤飯の入った食事をいただき、





無事に帰った二人です。
この後、高野山お礼参りで
すべてが終了です。

これはまた少し先に紹介しましょう。
四国お遍路パソコン上でお付き合いいただいた
皆さんにもどうぞご加護がありますように。


四国巡礼二番極楽寺

2017年07月08日 21時33分40秒 | ウォーキング

3番金泉寺で井戸を
のぞき込んだりしながら
お参りを済ませました。

もうその頃には雨も
すっかり上がっています。

さあ、ではあと二つのお寺です。

四国第2番の極楽寺を目指しましょう。

バスで走っていると、
こんな看板が目に入りました。



「あせび温泉」かあ、
この先にあるんやなあ・・・
ではなく右上のもじ「やすらぎの郷」です。

いま、昼間にあの倉本聡の
ドラマが連続で放映されています。
架空の老人ホームを作って
「やすらぎの郷」と名付けているのですが、
そのホームの遠景は
模型を使って作られているとのことで、
海にも近くなかなか居心地よさそうだ。

そこで暮らす、
かつてのテレビ関係者に起こる
様々なドラマを物語にしているのだが、
これは微妙に面白い。

ただ、毎日15分単位で
放映されるから見るのがつらくて、
ついついハードディスク録画をして、
いまは10話くらい遅れて
鑑賞しているのだ。

そんなことを考えながら、
すぐに極楽に、いや極楽寺に到着です。



バスを降りて、見事な朱色の
仁王門をこえていきます。



ここには空海お手植えの
長命杉が植わっている。





この八十八カ所は昨年が
開祖1200年だから、
その頃に植えた杉なんですねえ。


幹に紅白のリボンがついており、
霊木の綱を引くことで
いいことがあるという。

いやあそれはぜひとも
触れておきましょう。



この霊木はごつごつしていて、
様々な苦難を目にし活用しつつ、
頑張って生き残ってきたんでしょうねえ。

では本尊に参りましょう。



ここの本尊は阿弥陀如来です。

「おんあみりたていぜいからうん」
と唱えます。

この寺の開基も行基ですが、
空海がこの寺に来た時に
21日間阿弥陀経を読誦したところ
阿弥陀如来が現れて
その像を刻み本尊にしたのだそうだ。

この本堂の右奥が大師堂だ。



この大師堂の前には
テーブルが置かれ、
その上の座布団の上に



「重かるさん、軽かるさん」

といわれる地蔵が置かれてある。
手にもって軽いと考えたら
願いがかない、
重いと考えたら悩みが
長引くそうなのだ。

住𠮷さん近くのおもかる石や
伏見稲荷のおもかる石みたいやね

この2番極楽寺のお寺の絵は、
この地蔵のバックに
大師堂を描くことにいたしましょう。

こんな感じ。



ここでは座布団の描き方がキモですね。
まあまあ厚みがあるように
描けたでしょうかねえ。

ちなみに、バックには坊主頭に
なっている首Dさんの姿も
入れておきました。

そうそうこのお寺のあかりが
漁業の妨げになっていたことがあり、
本堂前に小山を建てて
あかりを遮蔽したことが、
このお寺の山名「日照山」と
なっているのだそうです。

え~なので、キラッと光る頭は
気をつけなくてはいけません。
国会議員に「はげ~」といわれます。

ここのお寺をはじめ、
88の寺もそれぞれに
いろんな習わしや出来事が
あるようですねえ。

さあ、そんな習わしも
四国ではあと一つで終わります。

大師堂でのお参りを終えたら、
さあいよいよ四国最後の
1番霊山寺を目指しましょう。

この寺との距離も短く、
すぐにバスは到着します。

実は、この一番のお寺には
二年くらい前に来たことがあるのです。

四国を旅し、その最後の日でした。
真夏なので暑かった時でしたが、
四国最後に八十八カ所の
霊場ってどんなところかなあ
と寄ってみることにしたのです。

行くと、まずお店があったので
入ってみることにしました。



すると、帽子であるとか
ずだ袋であるとか
いろんなものが売られてましたねえ。

当時は、できればバイクなんかで
四国に行きたいなあ
なんて思っていましたので、
そうかあ、もしお遍路をするなら
ここがスタート地点なんやなあ
と地図を一冊買って
おくことにしました。

そうかあ、ここからお遍路は
始まるのかと感慨深かったのですが、
実はdoiron達は逆回りなので
四国結願の終点となったわけですね。


四国巡礼三番金泉寺

2017年07月07日 21時13分18秒 | ウォーキング

本日二番目のお寺に行く頃には、
雨もほぼ止んでいるようでした。

この季節、景色を眺めていると、
このあたりセンダンの木が
多いように思えますねえ。

ここまで四国お遍路12カ月。

台風の近くにいる中を
参ったこともあったし、
雪のちらちらする中も歩きましたねえ。

そうして一年間すべての季節に
お遍路を続けてきました。
その都度ごとに、四国の自然の姿も
ところどころで垣間見てきたように思います。
やはり桜の季節、紅葉の季節が
きれいでしたねえ。

合間に大きな桐の花や藤の花も見てきました。

一年かけて四国とお友達になってきましたねえ。

さあて、では四国お遍路3番の
金泉寺にバスは到着です。



ここは源義経が屋島の戦いに向かって
戦勝を祈願しに来たお寺というのが、
一つの特徴です。

この寺はまた行基の開基で
建てられました。

今から一年少し前に
堺市内の行基に関するところを
歩きましたねえ。

「いつも優しく行基よく」
シリーズであげましたねえ。

そう荏原寺を生寺とするあの僧ですねえ。
日本で初めての「大僧正」です。

で彼が開基した時は、
この寺は金光明寺といわれていたのだそうです。
でもその後、空海がこの寺にきて、
水不足に困る庶民のために
泉を掘らせたところ、
そこからどんどんと水が湧き、
地元の人々はこれを見て
黄金の泉と呼んだところから、
金泉寺という名前に解明されたそうです。

この節には、もう一つあって
空海がこの寺の泉の中から
金を見つけたというのもあります。

まあ、いろんな伝説が
作り上げられたということなんでしょうねえ。

言ってみれば、大僧正行基のお寺も、
超天才の空海の前じゃ
かたなしだったということですかねえ。

朱塗りの仁王門をくぐり、



こういうお寺のいわれ書きもあるのですが、



ツアーじゃこれくらい長いと
読んでいられないですねえ。

写真に撮って帰ってから
読むことにしましょう。

赤い欄干の太鼓橋もわたっていくと
境内の方に入っていきます。



境内の敷地内には、
ここも大きなイチョウの木がありますねえ。



そしてお寺の中には、
武蔵坊弁慶が村の人に
御接待を受けた返礼として、
持ち上げた石がデンとおかれています。



ここではこれを絵にしておきました。



いやあ、とても立派に大きな石です。

絵にするとねえ、
こういう石も軽っぽくなってしまうんですが、
思い切って黒を濃く使って、
表面のでこぼこも頑張って描いたら
はば1mくらいのこの石も
まあまあ重そうにかけたんじゃないですかね。

しかし、これを持ち上げるのなら
すごいですよねえ、弁慶さん。

稀勢の里の10倍くらいは
力持ちだったのでしょう。

本堂でお参りします。
ここの本尊は釈迦如来ですねえ。
真言は



「のうまくさんまんだぼだなんばく」
と唱えましょう。

ここの釈迦如来は秘仏ではありません。
空海が刻んだと伝えられているようです。

まあ、本尊内に入って
なかなかカメラは構えられませんね。

いろんな資料にも
その写真が載っていますので
チェックしてみてください。

そのあとも同じように
大師堂でもしっかりお参りします。

境内には、大師が絡んだ泉が
今も池のように残っており、
その井戸は小金井の泉と名付けられて、
焔魔堂のそばにあるようです。



いまは黄金地蔵尊
という名前がついているそうです。

その井戸の底をのぞき込み、
そこに自分の姿を認めると
92歳まで長生きするといわれているそうです。



写真は17番の井戸寺の井戸です(再掲)。



あそことよく似たいわれを
持っているのですねえ。

92歳かあ。

doironの親父もあそこで
この井戸をのぞき込んだのかもしれませんねえ。


四国巡礼四番大日寺

2017年07月06日 20時55分53秒 | ウォーキング

さあ、四国結願の日の朝を迎えました。

そんな記念の日の早朝に
起きて散歩にいくつもりが、・・・
むむむ天気は土砂降りでした。

窓を開けて徳島市内を眺めただけで、
阿波踊りを踊ってしまうほど
びっくりしましたな。

でも天気予報ではすぐに上がる
とのことなので、気を取り直して
朝食に行き食べていますと、
確かに雨は小降りになってきたようです。

今日は全部で4寺です。
結願目指して頑張って
ホテルをスタートした我々なのでした。

バスの中から四国の町の
様子を眺めますと、
おお~一つのことを発見しました。

雨の中、自転車に乗ってる人を見ると、
な、なあんと全員カッパです。
頭が剥げているんでも、
背中にカメを背負っているんでもなく
傘をささずに合羽を着て
移動しているのです。

道交法がしっかり浸透しているんですね。
大阪もそうなんかなあ?
そんな景色を見ながら、
まず4番の大日寺を目指します。

四国詣でで3つ目の最後の大日寺です。



ここは東寺真言宗で
最高の仏である大日如来を
本尊にしているそうだ。



四国遍路に対しては、
非常に厳しい信念を持っておられるお寺で、
時間の遅れにも厳しいし、
遍路のルールに対して
厳しい考え方を持っているお寺のようだ。

添乗員さんにもつらいそうです。
まあ40人以上連れているから
色んな人がおられるんでしょう。

では結願本日の一番目のお寺として
厳かにお参りしましょう。

山門の作り方がここでは特徴があります。
一階が角柱で二階が丸柱という
作り方が変わっているそうです。



ここではこれを絵にしようかな
と思ったのですが、
なかなかdoironの技術では
絵にしにくいなと思ってました。



で、その山門を過ぎたところに、
蓮が植えられた小さなカメが
いくつか置かれており、
その中に色とりどりの
変わったメダカが入れられていました。



蛍光色のメダカはとてもきれいでしたが、
こういう山寺で見る
「白いメダカ」が印象的でしたので、
ここではこれを絵にすることにしました。

白いメダカはとても印象的でしたが、
その飼われているカメも
きれいに整えられていましたね。
さすがに厳格なお寺だけのことは
ありますねえ。

ここのお寺の住職は、資料によると
大学の文学部の教授だそうです。
それに、密教美術の製作者でもあり
絵心はかなりのものだそうで
どんな人なんでしょうねえ。

メダカの鉢をdoironが仏教絵にするのは
いやいや、下手な絵にするには、
水の色、波紋の様子を
きれいに書かねばと思い、
頑張って書いたのがこれです。



いやあ、日の当たる水の色が
なんとか再現できたと思いますし、
嬉しそうに泳ぐメダカたちも
それなりに表現できてうれしかったです。

また、降り続く雨のおかげで、
水面の波紋もきれいでしたしね。

この四国で水面の絵を描くのは、
柄杓を寄贈した66番雲辺寺の
手水鉢水依頼ですねえ。



さあ、ではお参りに向かいましょう。



ここの本尊の大日如来は
空海が修行をしていた時に刻んだ
一寸八分の大日如来だそうです。

残念ながら秘仏で
まだ公開はされていません。
四国の霊場にはこういう秘仏が多いですねえ。

一般の遍路の人には、
前仏の大日如来像が出迎えてくれます。

曼陀羅の中央に書かれ、
すべての仏の頂点にいるという大日如来。
四国遍路ではここを含めて
6つの大日如来が我々を迎えてくれます。

ちなみにdoironの守り本尊も、
この大日如来だといわれています。

「おんあびらうんけんばざらどばん」
と唱えます。



いやあ、ええ加減に口に出して
いったら舌を噛みそうですねえ。



その本尊から、33の観音像に
包まれながら渡り廊下を歩いていくと
「大師堂」だ。



で、ふとこの時に遍路さんたちを見ると、
本を持たずにお経を述べている人が、
かなり増えたようだ。

昨日は5分の一くらいの人だったのが、
今日は3分の一くらいまで
増えているようです。

最後のお参りの日です。
皆さん気持ちを高めて
気合を入れてお参りをしているようですねえ。

さあて、今回は厳しいお寺の
ひとつであったので、
添乗員さんも少し緊張する
お寺だったようですね。

お疲れ様でした。

では、もう最後のお寺ベスト3です
次の3番金泉寺に向かいましょう。


四国巡礼五番地蔵寺

2017年07月05日 21時18分41秒 | ウォーキング

6番の安楽寺でも



しっかりとお参りをします。



ここは逆回りのばあい
最後の薬師如来となりますねえ。
首Dさんもしっかりお参りしたでしょう。

ずっと以前に、
各地のお寺をしっかりと
模写した社殿と仏像を
置いてある公園に、それを
見にいったことがあります。

そこもまあ立派な仏像だったんですよ。
でもそれがねえ、みんなのお祈りなんかを
受けてないからか、
見ていてなんか違うんですよね。

ありがたみがないというか、
気持ちが抜けているというかね。
やっぱり人のお祈りを
受けている仏像とそうでない仏像は
向き合った時のあの緊迫感が
違うんですねえ。

だから四国なんかも、
お寺に入り社殿の前に立つと
なんか気持ちが改まるのは、
やはりここらにたまる人々の
想いに包まれるんでしょうねえ。



そういう意味では、
巡礼は同行二人だけじゃなくて、
信ずる心と一緒で同行信心でもあるんですね。



88番目のお寺から
裏面にずっと願いを書き続けている納札も、
本殿と大師殿にもおさめ、
しっかりとお参りしてきました。

さあ、これで今日のお参りも
終わりかなと思いましたが、
まだ時間的には余裕がありそうです。

もうひと寺、5番の地蔵寺を目指しましょう。

バスが止まって、お寺の中に
入っていくと、



おお~ここで一番目につくのが
中央の大銀杏でした。



うわー、大きい。

こりゃもうどんな願いでも
かなえてくれそうやねえ。

「宝くじが大当たりしますように」
なんてのはいけませんな。

いつもの願いがちゃんと
かないますようにと
木にも祈願しておきましょう。

さてこの寺ですが、
何を絵にしておこうか考えました。

あの大銀杏にするには、
ちょっと力不足です。

もしこういうツアーじゃなかったら、
後ろ山の羅漢めぐりが
よさそうなんですが、
残念ながらツアーでは
そこにはいきません。
結局、いろいろと考えた挙句、
境内に新しくつくられた相輪を
抱く八角道を描いておくことにしました。

それがこれ。



ここの寺の持つしずかーな雰囲気が
描き出されたでしょうか。

イチョウの木に抱かれて、
本殿と大師殿の両方に
きちんとお参りです。



さあ、これで5番の
地蔵寺もあっさりとお参り終了です。



まだ時間的にももう少し
余裕があったのですが、
次に行こうとしている

4番大日寺

はいろんな意味で
厳しいお寺だそうなのです。

以前閉館時間いっぱいに
お寺についたら
しかられてしまったそうです。

それにここのお寺は、
団体で着て納経帳は
添乗員が記入してくれるので、
それ以外の個人納経は
許してくれないそうです。

一回お寺に参ったら、
納経は一回と決まっているのだそうです。

まあいろいろと形式に
こだわっているお寺
だそうなんですねえ。

なので、時間ぎりぎりの
納経はやめて、この日は
明日回る予定だった
徳島のお土産屋さんに
先回りしたうえで、



旅館の方へと向かいましょう。

今回の徳島の宿は、前回と同じで、
徳島駅のステーション内にある
「クレメント徳島」に入りました。

徳島駅の駅ビルのようなところですねえ。

宿泊した窓からは、
徳島駅前の繁華街がよく見えます。



そして残念なのは
共同のおおきなお風呂がないことかな。

一日の疲れをしっかり小さな浴槽で
きれいに洗い落としました。

さあ、ではちょうど夕飯の時間帯です。
たしか、ここの食事は
バイキング形式でしたよねえ。

食べ過ぎには要注意です。

で、この夜に取ったのがこれ。



もちろんビール付きで、
今回はご飯をカレーにしておきました。

いやあ、なかなかいいですねえ。
首Dさんとゆっくり食事をし、
さあ、あとは明日一日で
終わりますねえといいつつ、
なんだか少し寂しい気もするなあ
などと話し合っていましたとさ。


四国巡礼六番安楽寺

2017年07月04日 20時55分52秒 | ウォーキング

さあて、次は6番の
安楽寺に参りましょう。



最初の計画ではこのお寺は
2日目に打つ予定でしたが、
まあ皆さんきちんと順序良く
回ったおかげで、
まだまだ時間的に余裕がありますので、
ここも1日目に回っておくことになりました。

それにしても、順番通りに
四国詣でをする人なら、
さっきの十楽寺とともに、
この安楽寺。

2番のお寺は極楽寺と
10寺の中で「楽」のついている寺が
3寺もあります。

そもそも昔から四国詣でをする人の中には、
病気の人が多かったようですから、
こういう名前のお寺に巡行するのは
うれしかったでしょうねえ。

本尊は薬師如来というお寺は
八十八寺の中で一番多い本尊です。

病気の快癒を求めてと、
一番から訪ね歩いて、
やっとこの6番目の安楽寺で
薬師如来に出会うわけですねえ。

「おんころころせんだりまとうぎそわか」
と心の底からきちんと真言を唱えます。

ここのお寺は、昔は
「駅路寺」としての役を担っておりました。

「駅路寺」というのは、
宿泊に困ったお遍路に
宿と食事を提供するように
指定されているお寺のことを言います。
なのでここの本坊は、
かやぶき屋根でそこで宿泊し、
その食堂も兼ねているそうです。

そうそうこのお寺の山号は
「温泉山」といいます。

この辺りには温泉が湧いてたそうで、
空海がその温泉の功徳を解き、
薬師如来を置いた
堂宇を建てたのが
この始まりといわれています。

1番のお寺からここまで16kmです。

普通に歩けば一日の歩行量としては、
まずまずの距離ですねえ。

やや疲れた体に、
ここの温泉はいい功徳であったに
違いないでしょうねえ。

駅路寺の精神をこれからも
強く残していってほしいお寺です。



え~っと、ここのお寺の
そのほかの名物は何でしょう。
う~ん、お寺に参るというのに
最近は各寺の名物は
何だろうといろいろと
考えてしまいますねえ。



それはきっと「絵」の
せいでしょうねえ。

八十八枚の絵が、
doironに取ってはまた
もう一つの結願なんですねえ。

これまでもう80枚以上も、
建物、空海、花、自然の姿、
土産物など、寺々の特徴に応じて
描いてきました。
おかげで、景色を描く時の
いろんな注意事項や、
絵の具の使い方、色の選び方、
あるいは表現のための
小さなルールなんかを
いっぱい学びました。

へたくそではありますが、
それなりに自分の想いも
少しは描けれるようになった
という気がしています。

で、ここのお寺もいろんな
特徴があります。

一つは7番の十楽寺と同様に
中国風の小楼門です。
う~ん、小楼門連続描きは
ちょっと芸がないかなあ。



そしたらこんな「さかまつ」なんか
どうですか。



空海が42歳の時に
ここで修業をしていますと、
おがんでいる彼に向かって
1本の矢が飛んできたそうです。

え~、おがんでて弓矢で狙われる
ってどういうこと?
とここは気になって仕方ないのですが、
そこはあまり詳しく書かれていません。
で、彼に向かって飛んできた矢を
1本の松が受け止めたそうです。

おお~なんかホビットの世界ですねえ。

で、それを知った空海が
この松をさかさまに植えたそうで、
なぜさかさまなのか
それもよくわかりませんが、
それは今は成長して厄災を防ぐ
「さかまつ」として今もあるのです。

この辺が絵としてもいいところかなあ、
と思っていましたが、
実はバス停の近くに立たされている
空海像が、四国の広大な景色をバックに
とてもありがたい景色を作っていましたので、
doironはこの姿を
この寺の大きな特徴の一つとしてとらえ、
絵にしておくことにしました。

これです。



絵はこれで解決です。
ではしっかりとお参りに向かいましょう。


四国巡礼七番十楽寺

2017年07月03日 21時00分06秒 | ウォーキング

さあ、8番熊谷寺の特徴ある
多宝塔も眺めた後は、
しっかりお参りもしましょう。

ここの本尊は「千手観世音菩薩」です。



空海さんが熊野権現にもらった
金の観音菩薩を体内に
埋め込んであるとのことです。

「おんばざらたらまきりく」と唱えます。

そしてこのお寺は眺めもいいですねえ。
四国の平野を眺める眺望を
見ているだけでも、
なんか心につらつらと
いろんな出来事が湧いて
くるような気がします。

これがお四国の遍路なんですねえ。



しっかりとお参りを終えたら、
あと残りのお寺は7寺です。
頑張って進んでいきましょう。

駐車場で車を降りると、
7寺十楽寺の山門は目の前です。

白い門と朱塗りの建物は特徴的ですねえ。



ここではこの山門を
絵にしときましょう。



絵の中に、右の方に赤い
リュックを背負った
お遍路さんが見えますねえ。

これはここで出会った、
歩きお遍路の若い女性です。

宿舎や安い宿に泊まりつつ
お遍路されているそうです。

「人生を見直しています」
といってましたが、
その若さじゃ見直すほどの
人生もなかろうに、
なんて言いませんよ。

いろいろあったんでしょう。

非常に苦労をしつつも、
きれいな女性でありました。

もう、このままずっと歩いて
八十八寺回るころには、
観音さんになっているかもしれません。

でもねえ、若い時にこんな
苦労をしていたら、
年取ったときに体がつらくても
こんなことは精神的に
乗り越えられるとついつい
無理してしまいますよ。

からだのことも考えつつ、
長く人生を楽しみたいなら、
不要な無理は
避けるようにしましょうねえ。

若い時にあまり人のやらない
変な無理をいっぱいしてきた
doiron様のご忠告ですからね。
へへ。

さて、この寺はその名前からも
わかるように、
十の楽をいただけるお寺です。

この後も「安楽寺」や「極楽寺」など
四国遍路をありがたいものだと
思わせるお寺がありますね、
四国遍路のまあこれも
一つのありがたいお参りや
と思わせるための配置なんですかねえ。

で、その「十の楽」って何?

え~っと、毎日楽しいことがあって、
金持ちになって、モテモテで、
お酒がおいしくて・・・ではないですよ。

こんな十楽、いくらでもかけますな。

でも、そうではなくて、
もっと心の奥底の十楽だそうです。

どんなんでしょうねえ。

doironのつぶらな瞳も、
キラリンと輝くんでしょうなあ。

さあ、では本殿でまず
お参りをしましょう。

ここの本尊は阿弥陀如来です。



「おんあみりたていぜいからうん」
と唱えます。

だいたい10分以内で
お参りはひと通り終わるのですが、
他の団体がお参りをしているときは、
できるだけ避けてあげた方がいいですよね。

先達さんはそんなタイミングも
いろいろと考えながら
誘導してくれるのです。

doiron達がお参りしている間、
ちらっと見てたら
さっきの歩き参りの女性も
休憩のあずま屋で
順番待ちを兼ねて
のんびり休憩しているようでしたね。

一人で何でもしているように見えて、
周りのことも気を使ってみたいなところが、
こういうお遍路の
ありがたいところの
ひとつなのかもしれません。

本殿が終わったら、
つぎは大師殿です。



この時点くらいで少し雨が
やんできましたねえ。

涼しくてなかなかいい感じです。

いっぱいのお経と
いっぱいの祈願に包まれて、
春の一日が過ぎていくのです。

このお寺は一番の霊山寺から
あるいて18kmくらいの所です。

一日で回るにはぼちぼち限界かなあ。

赤いリュックの女性の方も、
まだまだこれからですよ。
一日でひと寺も回れないところも
ありますからね、
頑張ってくださいよ~


真夏の曳行

2017年07月02日 21時38分54秒 | 最近の出来事

四国の途中ですが
本日我が村で大きな行事があったので
それをしるしておきます。

梅雨の合間で
めちゃめちゃ暑かった今日。
なんとだんじりを曳行したのです。

俗に言う、「入魂曳行」という
行事のひとつでした。

経過があります。

前回の祭りの直後でした
若い奴らが、だんじりのてこが
折れていることが分かったので
修理の見積もりに行ったところ
もうこのだんじりも20年が経つので
この辺で「締め直し」という
だんじりの修理をした方がいいのではないか
と提案されたそうです。

それを町会のみんなの意見にするには
どうしたらいいだろうかと
相談を受けました。

まあ、話を聞いて
ではこの人にこういう相談をし
この人にはこんな風に持って行って
話を公的に進めていくことに
してはどうかと提案したところ
その話の口火をdoironに
とってほしいということなので
doironの立場として
世話人の意思を確認している
わけではないので
まあ、とりあえず若い奴らは
こういうことを考えていると
話を大御所に
持ち上げていくことにしたのです。

それからいろいろと
紆余曲折はあったものの
徐々にみんなの意見は固まっていき
どうやらそういうことなら
勧めてみようという意見が
年末くらいに固まってきたのだ。

その間、町会長の交代など
いろいろあったが
その新たに町会長となろう人を
修理のための委員長になって
もらうようにそれとなくすすめ
それも思惑通りに
順調に会長になったので
4月からの新年度になっても
話は順調に進んでいったのだ。

口火を切ったこと。
おっさん連中の意見をまとめたこと。
あらたな自治会長をあらかじめ見越して
修理の委員長にすることを
画策して、そして工作し
ついにだんじりの修理「締め直し」は
実行することになったのだ。

確かにだんじりはこれまで
何度か小規模の事故にあっている
doironが乗っているときでも
電柱、街路樹、信号中に激突している
そのたびに「4本柱は大丈夫か」とか
松良は戻せるのか
などと思案してきたのだが
まあこれまで大きな人身事故もなく
だんじりも無事のまま
何とか曳行してきたのだ。

でも、このだんじりができて
さっきも言ったように間もなく20年が経つ。
事故はなくても締め直しなどの
メンテは必要な時期に来ていた。

前板に乗っていても
動きは辺に柔らかいしね。

みんなそれとなく
そういう締め直しの必要性は
うすうすと感じていたのだ。

まあ、とにかく気は順調に熟し
若い連中の意見は
こうして実現していったのだ。

だんじりを工務店が
持ち帰ったのが3月26日。
その日には、神主による
招魂式が行われた。



だんじりに込められた魂を
一旦抜いておく儀式だ。

それから2カ月
若い奴らがずっと工務店に
通いつつ作業が進められ
そしてついに5月28日に
金ぴかに仕上がって
だんじりが返ってきたのだ。



その姿にみんなは
かなり感動しているようだったな。

そして本日、一旦抜かれた魂を
神主によって注ぎ込まれ
町内をぐるりんと
一周する曳行許可を
警察から取って、
入魂後の曳行を行ったのだ。



距離的には3キロぐらいの
曳行でした。
doironの次の会長や
新たな自治会長も乗って
喜んではりました。



最後にまた神社に戻って
小さな宴会を催しました。
まあまたこんな宴会の
段取りも大変やったんですけどね。

入魂式ではどんな「魂」を入れるんや
と思われるかもしれませんが



このケヤキの塊のだんじりには
神様の意思と実は村の人々の
暑いあつい魂が籠っているのです。



あ~それにしても暑かったあ
熱中症にならなくてよかったなあ