本日二番目のお寺に行く頃には、
雨もほぼ止んでいるようでした。
この季節、景色を眺めていると、
このあたりセンダンの木が
多いように思えますねえ。
ここまで四国お遍路12カ月。
台風の近くにいる中を
参ったこともあったし、
雪のちらちらする中も歩きましたねえ。
そうして一年間すべての季節に
お遍路を続けてきました。
その都度ごとに、四国の自然の姿も
ところどころで垣間見てきたように思います。
やはり桜の季節、紅葉の季節が
きれいでしたねえ。
合間に大きな桐の花や藤の花も見てきました。
一年かけて四国とお友達になってきましたねえ。
さあて、では四国お遍路3番の
金泉寺にバスは到着です。
ここは源義経が屋島の戦いに向かって
戦勝を祈願しに来たお寺というのが、
一つの特徴です。
この寺はまた行基の開基で
建てられました。
今から一年少し前に
堺市内の行基に関するところを
歩きましたねえ。
「いつも優しく行基よく」
シリーズであげましたねえ。
そう荏原寺を生寺とするあの僧ですねえ。
日本で初めての「大僧正」です。
で彼が開基した時は、
この寺は金光明寺といわれていたのだそうです。
でもその後、空海がこの寺にきて、
水不足に困る庶民のために
泉を掘らせたところ、
そこからどんどんと水が湧き、
地元の人々はこれを見て
黄金の泉と呼んだところから、
金泉寺という名前に解明されたそうです。
この節には、もう一つあって
空海がこの寺の泉の中から
金を見つけたというのもあります。
まあ、いろんな伝説が
作り上げられたということなんでしょうねえ。
言ってみれば、大僧正行基のお寺も、
超天才の空海の前じゃ
かたなしだったということですかねえ。
朱塗りの仁王門をくぐり、
こういうお寺のいわれ書きもあるのですが、
ツアーじゃこれくらい長いと
読んでいられないですねえ。
写真に撮って帰ってから
読むことにしましょう。
赤い欄干の太鼓橋もわたっていくと
境内の方に入っていきます。
境内の敷地内には、
ここも大きなイチョウの木がありますねえ。
そしてお寺の中には、
武蔵坊弁慶が村の人に
御接待を受けた返礼として、
持ち上げた石がデンとおかれています。
ここではこれを絵にしておきました。
いやあ、とても立派に大きな石です。
絵にするとねえ、
こういう石も軽っぽくなってしまうんですが、
思い切って黒を濃く使って、
表面のでこぼこも頑張って描いたら
はば1mくらいのこの石も
まあまあ重そうにかけたんじゃないですかね。
しかし、これを持ち上げるのなら
すごいですよねえ、弁慶さん。
稀勢の里の10倍くらいは
力持ちだったのでしょう。
本堂でお参りします。
ここの本尊は釈迦如来ですねえ。
真言は
「のうまくさんまんだぼだなんばく」
と唱えましょう。
ここの釈迦如来は秘仏ではありません。
空海が刻んだと伝えられているようです。
まあ、本尊内に入って
なかなかカメラは構えられませんね。
いろんな資料にも
その写真が載っていますので
チェックしてみてください。
そのあとも同じように
大師堂でもしっかりお参りします。
境内には、大師が絡んだ泉が
今も池のように残っており、
その井戸は小金井の泉と名付けられて、
焔魔堂のそばにあるようです。
いまは黄金地蔵尊
という名前がついているそうです。
その井戸の底をのぞき込み、
そこに自分の姿を認めると
92歳まで長生きするといわれているそうです。
写真は17番の井戸寺の井戸です(再掲)。
あそことよく似たいわれを
持っているのですねえ。
92歳かあ。
doironの親父もあそこで
この井戸をのぞき込んだのかもしれませんねえ。
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