ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

息子の結婚式お開き

2017年07月21日 21時26分13秒 | 生活

とまあそんな具合に結婚式が終わり、
ミセスも胸いっぱいになっていましたね。

マラソンやトライアスロンに
夢中になっててええかげんな
父親でしたから、
ミセスや両親が彼を育てた
ようなものですな。
感謝です。

式も終わって、
みんなを見送り我々は
もう一泊して帰ります。

息子らは、その足で市役所に行き、
婚姻届けを出しに行ったようです。
新婚旅行は数日後にハワイへと
向かうようですねえ。

幸せいっぱいって感じでしたな。

翌日、我々は二人に見送られて
長野を後にすることにしました。

ああ、なんかとてもホッとしましたねえ。
大きな大きな荷物を
すっぱりとおろしてきたような
感触ですなあ。

長野の小さな田舎の町に、
これからも息子夫婦をよろしくな
といっておきました。



さあ、では我々はもう自由です。
帰りには当初の計画通り、
妻籠の方に観光によって
帰ることにしましょう。

長野市でガソリンを満タンにしていきます。

おっ、さすがに長野ですねえ、
ガソリン屋さんの看板に

「虫取り」

なんてのもあります。



フロントのガラスやボンネット下、
ヘッドライトもそういや虫だらけです。

一瞬頼もうかとも思いましたが、
いやいやまだ帰り道もあるので
我慢していきましょう。

この辺りから見る北アルプスなんかは
まだ雪だらけできれいでしたねえ。





景色で見える山々も
むかし夏に一人で歩いた
山々でしたねえ。

ある意味長野はdoironにも
思いで深い土地であります。

さて中央道に入ったくらいで、
妻籠をナビに入れました。
そしたらさあ、
恵那山トンネルの手前で
高速を降りなさいと出てきます。

あれ?大阪でナビ入れたときも、
恵那山トンネル手前で
降りよとのことだったはず。

ずっと以前に行った時も
確かそうしたように思うのですが・・・

長野から恵那山トンネル手前で
降りよということは、
トンネルで越える部分の山道を
行けということなのでしょう。
くちゃくちゃの山道なんじゃないのか、
それとも北アルプスみたいに
雪だらけなんじゃないのか
と若干不安になりましたが、
まあ修理して直ってきたナビさんですから
いうことを聞いてあげることにしましょう。

ナビ通りに高速を降りますと、
しばらくは田舎道をいくものの
確かに道は山の方へと上がっていきます。

道には「はなもも街道」の看板があります。



「猪、鹿、十割そば」なんてのもありますな。



幸い道は広くて、登ってはいますが
雪なんかもありません。

トンネルを超えたら、



おお~野生のサルの群れが
道で遊んでいるではないですか。



おおあわてでカメラを取り出し、
なんとか少し撮影に成功したようです。



そんな道を下って行ったところに、
目的地「妻籠」があったのです。



車をとめてこの中山道の
一カ所を端から端まで歩きまわり、



最後に五平餅とおそばを食べて
十分観光してまいりました。



まあ、この辺りも孫が出来たりしたら
向こうに行くことも多いので、
これから先も何度も来ることに
なるんでしょうねえ。

あの結婚式からもうきょうで
ひと月以上たちます。

彼らも新婚旅行から帰り、
お土産を送ってきましたよ。

その一つがアロハシャツでした。

きっと息子はそんな気の利く
子供じゃないので、
これらはみんな奥さんの
手配なんでしょう。

親元はなれて大変だろうけど、
向こうの両親もとてもいい人でしたので、
いろいろと助けてくれるでしょう。

まあ、とにかく健康で楽しい
毎日が送れるように、
二人で頑張って生活していってくださいね。

以上、息子の結婚式、これにてお開きです。


息子の結婚式3

2017年07月20日 21時01分38秒 | 生活

指輪の交換、新郎新婦の誓いや
三々九度、親族同士の三々九度も
終わって式は無事に進んでいき、
最後に別室に移動して
写真撮影で終わります。

それにしても、いろいろと大変ですねえ。

多分、自分の結婚式の時も
こうして両親や親族一同に
お世話をかけたのでしょう。

そして今回は自分の息子ということで、
因果はめぐってゆくのですねえ。

さあ、これで式は終わりです。

すぐに披露宴へと入ってゆくのですが、
その前にここでは一つの儀式があります。
ホテルの中央に4階くらいまで
設けられた階段を二人で
上がってくるのを、みんなで出迎えます。



息子は紋付羽織を着て、
足が開かないからか、
めちゃ歩きにくそうで、
よたよたしています。

「こけるなよ~」と思わずつぶやいて
しまいましたな。

そして何とか上がってきたところで、
全員で集合写真です。

プロのカメラマンのカメラは
キャノンかな?ニコンかな?
と思ってみていたのですが、
キャノンのようでした。

さあ、では披露宴へと入っていきましょう。



披露宴の視界はプロの方に
任せているようです。
頼んでくれたら複数の結婚式
司会経験のある親父がしてあげたのになあ。
まあ、そんなことをしたら
前代未聞でしょうけどね。

料理やイベントの仕方などは
二人が一生懸命考えてきたものです。

そして今どきの結婚式ですから、
もう仲人とか主賓という人はいません。

式場の奥の席に二人はちょこんと座り、
神殿で式を終えたことの報告と、
息子からも一声あり、
披露宴は始まっていきます。

え~、ご両家のこともあり
息子の結婚式を勝手に
ブログにアップするのも
いかがなもんかなので
写真は超控えめです。
いっぱい撮ったけどね。

友達からの声なんかも
楽しかったですねえ。

キャンドルサービスなんかはないのですが、
息子が球場のビール売り人みたいに
背中にサーバーを背負って
お酌して回っていましたね。

おっ、ここのスープは
こんな大きなふかひれの入った
スープでしたねえ。



とか何とか言いながら
時間はどんどん過ぎてゆき、
お色直しで二人はタキシードと
ドレスに着替えてきたようです。

ここで家にある写真で、
自分の生い立ちの紹介シーンが
ありましたが、そこに父親の
トライアスロンの事なんかが
出ていましたね。

う~ん、やっててよかったですな。

そして式も終わりに近づき、
新郎の父親による謝辞も
近づいてきましたねえ。

式場の出口付近で、
新郎新婦とその両親が立たされます。

で、謝辞が始まりました。

「本日は皆さん、お忙しい中
お集まりいただきありがとうございます。
息子は18の時に、長野の大学に行くんだ
とこちらに出てまいりました。
私たち親は大阪に住んで、
息子の青春真っ盛りの頃を
あまり知らずにすごしましたが、
かれはここで頑張るんだと
いろんなことにチャレンジし、
大学院まで出て就職し、
こうして彼女を見つけて
結婚まで決めてしまいました。
自由にやりたいことをしたい
という彼の気持ちは
とても強かったものだと思います。
この結婚にあわせて彼女の親戚の方とも
いろいろお話をし、本当に温かく
見守っていただけてるんだなと、
いまさらながらに喜んでいる次第です。
これからも彼女をもっと幸せにし、
りっぱな家庭をきづいていくためにも、
友達や親族の皆さんの
さらなるご支援ご鞭撻を賜りたいと
考えていますので、
よろしくお願いいたします。」
とまあ、ほぼこんな言葉を交わしました。

完璧です。
もう国会答弁みたいなもんです。

そして最後に息子からもひとことがありました。
要約すると

「こうして今日を迎えてこれたのも、
両親が私の希望をすべて受け入れて
優しく自由に育ててくれたからだと
感謝しています。うう~」

みたいなこと言ったのが
とてもうれしかったです。

なにはともあれこれで一段落。
結婚おめでとうございます。
幸せになってね。


息子の結婚式2

2017年07月19日 21時29分09秒 | 生活

いよいよ梅雨明けです。
今年の夏はどんなんかなあ。
楽しく過ごしましょう。
では、ブログ続きです。

・・・・・・・・

ここは飲みに入るのには面白そうやけどなあ。



でもねえちょっと明日に大事なイベントを
控えている身でありますから、
今回は一般向けのお店にしましょう。

おっここはちょっと面白そうです。



「ここ一軒で長野県」と
看板に書いてあります。



創業寛文5年と書いてますから、
もう350年以上営業しているようです。

土曜日ですからねえ、
空いているかどうか心配です。
一度覗いてみましょう。

「え~っと二人ですが行けますか?」
ときくと、予約の関係で
「7時までだったらいけるんですけど」
といいます。

いま時刻は5時半ですから
まあ私の給餌時間としては十分ですな。

では、ここに入ることにしましょう。

店に入っていきますと
「ドンドーン」と大太鼓が鳴らされ



「二名様ご来店!」
と叫ばれます。

「エエーイ、控えおろう~」
と叫びながら入っていきます(胸の内でね)。



定食もありますが、
今日は一品で注目していきましょう。

長野豚や魚フライ、





もちろんイカ料理なども



頼みつつ生中とコップ酒1杯にて
大阪からの運転の疲れもいやしつつ、
また明日の結婚式の成功も祈りつつ、
一時間半ゆっくり過ごしました。

ここはねえ店員さんが若くてね~
きっと学生アルバイトかなあ。
でもよく気の利いたいいお店でした。

店を出て、途中のコンビニで
明日朝の食事を購入しつつ
ホテルへと戻ります。

親戚の方々をあいさつに回って一段落。
さあて、明日はいよいよ息子の結婚式です。

一生に一度の(多分?)イベントです。

父親としての最後の謝辞が
「言葉に詰まらずに行けるやろか」
と気になりますが、
まあ町内清掃時の案内放送を
したりしていますから
まあ何とかなるでしょう。

部屋でまたまたビールを飲みつつ、
酔っぱらって寝ちゃった
お父さんなのでありました。

さあて、翌朝です。

披露宴は昼ころなんですが、
結婚式は朝からありますね。

朝食食べてゆっくりし、
9時半に衣装を整えに行きました。

え~っと、モーニングの中のカッターは
襟の所なんかが普通と違いますねえ。
いろいろと見ながら整えていきます。
そしてやっと整ったのが、これ。



さあ、では親族の控室に参りましょう。



doironの最初の役割が
この控室で行われる親族紹介で、
それぞれの親族を紹介することです。

そろそろ全員がそろったかなあ、
というときになると、
合図とともに控室の真ん中の
大きなカーテンが開けられます。

御両家親族のご対面です。

先ずはdoironから始めます。

静かに、いつものdoironとは
違う雰囲気で挨拶をし、
そして親戚を無事紹介し終えます。

本当いうとねえ、この日は、
記念すべき日なので、
亡くなった両親に関するものも
持ってきていたのです。

親族の紹介を終えた後で、

「え~私のはめている時計が
父親の遺品です。
それから靴は義父のはいていた靴です。
そして家内の方はといいますと、
ペンダントが義母の形見です。
私の母の形見はありませんが、
そこの植木の陰に隠れて
木と木の隙間から
それとなく除いているのが
なくなった母親です。」
と紹介したかったなあ。

そんな風に控室での出来事があり、
さあいよいよ式場に入って
神主による式が行われます。

二人のミコが我々を案内してゆきます。

するとホテルの一室がまるで
神殿のようになっています。

そうここはこの地方の結婚式としては、
よく使われるところなんだそうです。

息子に言わすと、

「ここはねえ値段の割には
おいしい料理を出すので
有名なんだ」そうです。

そんなホテルですから、
式場の神殿も立派なんですねえ。

神主が出てきて「のりと」をあげてくれます。

神様への物言いの口調というのは、
大阪も長野もあまり変わらないものですねえ。

ありがたいお言葉を述べ、
神様に「も、も、申す~」と
続いていきます。


息子の結婚式1

2017年07月18日 21時21分17秒 | 生活

さあ、今年の夏のイベントの一つ
皆生トライアスロンも終わりました。



次は何しようかなあと思いつつ
ブログは先月行われた
息子の結婚式に入っていきます。

・・・・・・・

そうなんです、我が息子も
いよいよ結婚の時を迎えたのです。

あ、もう息子のことは分かっていますよねえ。

doiron一人息子である彼は
大学時代から長野に住み始め、
大学院まで出てから
長野県の企業に就職しました。

長野に住むというところで、
もう彼の一歩が始まったね。

そして自分でいろいろと
人生をきりもみしていくんだろう
と思っていた通りに、
親元からどんどん離れて行ったのだ。

まあ、doiron自身も
そんな気持ちも持ちながら
親元を離れたので、もうこれは
仕方のないことだったろう。

doironは結果的に帰ったけどね。

でも息子の彼は自由に、
彼の思うままにどんどんと
長野で人生を積み上げていった。

さみしくもあるが、
また一方ではホッとしたといってもいい。

そんな彼が今度は結婚したい
と言い出したのだ。

昨年のGWにこちらに連れてきた彼女は、
まあdoironもミセスも
ホッとするようないい人
だったのでひと安心。

彼女の両親とも先日お会いし、
両家の結婚は滞りなく
行われるということになったのだ。

式は日曜日に長野県長野市の
駅前のホテルで行われたので
土曜日出発、月曜日帰宅の予定で
出かけて行ったのだ。

こじんまりした結婚式だったので、
大阪の友達は4人と大学の友達は6人が
各地から駆けつけてくれた。



こちらの親戚も、姉の家族と義兄の家族と
ほんのわずかである。

近所の友達にこちらの家を
空にすることを告げて、
見張りをお願いしながら
仏壇で先祖に報告した後、
のんびりと車で出発したのだ。

え~っと、礼服は向こうで
貸し出してもらえるので、
こちらとしては靴、ネクタイ、
ベルトなどを用意するだけなので
準備は簡単なものだ。

まあだいたい、二泊三日となると、
持っていく常備薬の段取りが
一番ややこしいくらいなのだ。

天気は上々の中出発した。

第二京阪を通って京滋バイバスから名神へ。
いい天気の中、駒ケ岳で
山がくっきり見えていました。



このあと、中央道が大きな工事のために
一部対面通行になっていたので、
そこでは少し混みましたが、
まあなんとか4時ころには
もう長野に到着です。

この場所は、今年のGWに
礼服の衣装合わせで来ていたので
迷いませんでした。

そうそう前回の帰り道に、
琵琶湖あたりで故障してしまった
車のナビも前日に出来上がって
きていたのも助かりました。

いくら一度ナビに連れてきてもらったとはいえ、
ないとやはり不安なものですからね。

結婚式のため息子が
部屋を取ってくれていたのですが、
食事はついていないので、
長野駅の周りの居酒屋へ
食事にお出かけです。

ホテルに車をとめて歩いていきます。

これが長野駅ですね。







昔、山から帰ってきたときに
寄った駅で古い駅でしたが、
今は新幹線も走っているし、



近代的な駅になっています。

この駅前には善光寺参道の
灯篭が建っています。



ここから1800mなんだそうですが、
ここは先月行っているのでパスです。

長野駅前の商店街をプラプラと歩きました。

おっ、まずはマンホールチェックです。



20年前の長野オリンピックの
柄がまだ使われていますねえ。

そしてこれが通常のマンふたです。



長野市の市の花である
リンゴにまつわるデザインですねえ。
できるだけ細かい商店街コースを
あるきつつ、お手頃な居酒屋を探します。

おっ、ここにこんな劇場がありますねえ。





むかしからあったかなあ。
あまり覚えがありません。

ところどころに山男風の
居酒屋みたいなのもありますが、



ひょっとしたらむかしは
こんなところに入ったのかもしれません。

まあもう全く記憶がないですねえ。

メインは「松本」だったからなあ、
とか言いながら歩き続けます。


皆生ゴール

2017年07月17日 22時18分18秒 | トライアスロン

さあ、皆生の旅を
もう少し写真付きで説明しましょう。

まずは朝一からの車の運転。

カイさん、N阪君、T美ちゃんは
連絡とりつつ皆生に向かいました。

途中若干こんな渋滞もありましたが、



時間には十分余裕をもって
皆生に到着しましたね。

レース前日のこの日は
3時から開会式と選手説明会があって、
選手は必ずこれに出席しないといけません。



ここに行きますと、
ああ~かつてのトラ友に
いっぱい会いましたねえ。

T蟹くん、ひげママ、ひげパパ、
N羽さん、S井さん、Y田君、
今ちゃん、S村君それに
昔の超一流の選手たちも
復活の兆しを見せ始めていましたね。

ここで説明を一通り聞いて、
この日は同宿の三人で
部屋で小宴会しましたよ。

翌日は午前5時に起きて会場へ。

天気は薄曇りですが、
暑くなる予感たっぷりでした。

今回中心に応援した6人のスタート前です。



ああ、ゴムのにおいをかぐと
自分のレースを思い出したりしますねえ。

あ、そうそうひげママが持っていたのが、
これ。



ウェットを「するりんぱ」と
着るためのスプレイだそうです。
へえ、いろいろあるんですねえ。

やがて全員がスタート地点へと向かいます。

ここんところは沖合50mくらいの
ところからフローティングスタートだそうです。

さあいよいよスタート。



べたなぎです。
これは泳ぎやすいやろなあ、
などと応援は気楽に構えてます。

ゴールで気が付いて写真を撮れたのは、
T美ちゃんだけですね。



女性はキャップが赤いので
よくわかります。
いやあ、おつかれさんです。

一時間半くらいまでゴール付近で見て、
さあ、ではバイクの応援に向かいましょう。

バイクは50~60キロ
くらいの地点で応援です。

いつも大山がきれいに見えるところなんですが、
きょうは山頂付近が雲の中でしたね。



カイさんとT美ちゃんは見つけられました。





ここで応援してると
知り合いからいっぱい声をかけられます。

「doironさん、いつもここでいるねえ」
と言われましたね。
3回目ですけどね~。

ここでほぼ選手全員を見送って、
しばらく昼食タイムです。

さあ、つぎはいよいよランの応援です。

もうこのころになると、
大山はまだ雲がかかっていますが、
太陽はかんかん出りです。

選手はきっと大変でしょうねえ。

まずはスタートしてすぐの
ところで応援です。

う~ん、写真はやっぱり
T美ちゃんとカイさんです。





そして次は10キロ地点くらい。

これはT美ちゃんの同年代。



早そうです。

そのあとまずはT美ちゃんが来て、
カイさんがきます。

カイさんの服がまたわかりやすいんですよねえ。
N阪君の姿が見えませんよねえ。
彼の力が全然わからないので
見逃しているかもしれません。

で、次は18キロ地点くらいです。
海の駐車場に車を止めて、
コースまで歩いていきます。

この友達が走ってきました。



彼も競技歴が長いですねえ。
そのあとT美ちゃんが
淡々と走ってきます。
完走だけ考えて、余裕の走りですなあ。



おっ、折り返しでY田君がきました。
頑張ってますねえ。



で、そのあとカイさんが
かなりくたびれて到着。



ここから残ったものを
すべて吐き出して~と応援したら、

「からえづきで何も出えへんね。」とのこと。

まあ時間は十分あるから
歩いてたら戻ってくるよと押し出した。

で、このあとすごいことが起こったのだ。

うみで遊んでいた人が
「子供が流された」と走ってきはったのだ。

「え~っ」と大騒ぎになり
慌てて救急車、パトカーを読んだ後で、
何とか帰ってこれました。
と安心して言ってきはりましたが、
消防は来る、レスキュー車は来る、
パトカーは来るで大騒ぎ。

もう助かったとわかっているけど
大騒ぎでした。

思わず走っているトライアスリートに
泳いで助けてあげてくれと
言いそうになりましたね。
いやあ、本当になにもなくてよかったです。

そのあとはゴールの競技場に向かいました。
T蟹、ひげ夫婦、T美ちゃんと帰ってきます。

T蟹君は、なんと今回が10回目の
ゴールだそうです。
おめでとうございます~



さああとはカイさんとN阪君です。

T蟹と二人帰ってくるかなあと
思っていたら、帰ってきました、
カイさんです。

よくぞあの状態から戻しましたねえ。
経験ですかねえ。
一緒にゴールしたら変な写真になりましたなあ。

結局N阪君は途中まで走って、
皆生のゴールは来年の宿題となりました。

ああ、懐かしかったこの大会に
久しぶりに満喫してきました。
もう復活することはないけど、
昔を思い出しつつ
ゆっくり楽しめたいい一日でした。

選手の皆さん、本当にお疲れさまでした。


皆生につきました

2017年07月15日 20時59分48秒 | トライアスロン

本日は朝6時前に家を出て、
皆生へと向かった。

ああ、高速の運転も大変やねえ。
でも大会に出る人の中での
応援だから運転くらいはしないとね。

なんとか皆生に到着し、
みんな説明会を受けましたよ。

さあ、明日の天気はどうなのか。
皆生の海は優しいのか激しいのか、
大山は静かなのか喧噪なのか、
境港は楽しいのか苦しいのか。

夏の一日を、応援のdoironも
満喫することにしましょう。


皆生旅2017

2017年07月14日 21時46分09秒 | トライアスロン

いよいよ夏が真っ盛りと
なってきますねえ。

海にも行きたいな
歩きにも行きたいな
気軽に山にも行きたいし
宴会もしたいなあ。

やっぱり夏っていいよなあ。
いろんな遊びが浮かんできます。

で、明日からこの夏の最初の企画
「皆生トライアスロン」の
応援に行ってきます。

この大会はdoironが最も多く
出場したフルトライアスロンの大会です。
そして一方で、日本で一番古くから
ある大会なのでする。

これまで12回出て11回のゴールを果たした。
いっぱいの仲間や応援に囲まれてね。

そんな皆生に出なくなって
今年でもう7年が経つんやなあ。
12回中、1回は豪雨で
ラン途中で中止になったなあ。

そういえばこういう途中中止を除けば
参加した総てのトライアスロン
31回は総て完走したな。

まあ、この競技は完走することに
意義があるのだしね。

始めたころにローカルで
年代別2位が一度ある。
若い時は元気だったもんなあ。
さいごの5キロランを
19分で走っていたもんな。

フルの大会では、
北海道で70位台が最高だったなあ。
始めたころには職場に
友達が4人くらいいて
よく出かけたもんだ。

ただ地元にはそういう友達は
一人もいなくて、練習は
一人バイクというのが多かったなあ。
高野山と加太を一日で回ったのが
最高の練習だったな。

そのうちに、地元の周りに
トライアスリートが生まれ始め、
初めて皆生に一緒に行く
友達なんかも生まれてきた。

まあ、そんな人生を費やした大会に
今は応援というのはさみしい気もするが
まあ、体のことでそれは仕方ない。
その分しっかり応援させていただこう。

楽しい皆生旅にしないとねえ。

今回応援に行くのも、
カイさん始めそんな結構古くからの
トラ友の人たちだ。
参加者名簿を見ていたら
懐かしい人たちの名前も
いっぱい入っている。

さあて今年は皆生に出場する
旧友たちがどんなレースを
見せてくれるだろうか。
いかに苦しんでくれるか
いかにもがいてくれるか
楽しみである。
それができるというのは
本当にありがたいことだからね。

あすは午前5時過ぎに家を出て、
出発です。
運転あるからしっかり寝なくちゃ。

ではおやすみなさい


淀川完歩47 十三へ

2017年07月13日 20時39分36秒 | ウォーキング

道の表示を見てみると

「IR6.0」



と書かれています。
この表示は、川の向こう側にも
ありましたねえ。

そこには「IL2.6」とか
書かれていますねえ。



ちょっと違うぞと思った人もいたかな。
でもすぐに答えは出てきたでしょう。

IRは右岸、ILは左岸の
距離標を表すんですねえ。

二つ眺めてやっとわかりました。

で、まずは、新十三大橋をくぐります。
昭和41年に開通した橋で、
その特殊構造は日本初だったそうです。
よくわかりませんが。

そこは北向き4車線の一方通行で、
その横の昭和7年にかけられた
十三大橋がもともとの
能勢街道を拡幅してつけられた橋だ。

ここから見ると左右に
新旧十三大橋が見えています。
きれいやなあ。



doironはこの橋の所を
上がっていきます。

以前十三を歩いたことがありましたね。
店案内のゴルゴ十三のことや
鉄棒で頭を打って
ハリーポッターのようなおでこ傷が
できたことを紹介しました。

ああもうあの時から2年経つんですねえ。

そこではこの十三大橋の
北東にあるこの橋の
案内看板や



交通安全地蔵の



ことも書きましたねえ。

ま、ここではまだこういう施設が
ちゃんと残っている
ということを報告しておきましょう。

そんな十三大橋を渡っておりてくると、



もう十三の商店街群が
まじかに迫ってきています。

その商店街に入ってすぐのところに
立っているのが、
ブリュッセルの小便小僧と
親戚の見返りトミー君です。



説明板とかも傷んでいますが、
Tシャツなんか着せてもらって
愛されているようですねえ。

そのトミー君のすぐ前の方に
あったのが「イカ焼き」店です。



イカは石川県から直送てありますねえ。



能登の方なのかな?
K国からのミサイルが不安ですねえ。

そして味は醤油味とソース味。
doironは醤油味を注文しました。



で、銀行の前のちょっと
広いところでアフアフ。
はあ~うまいうまい。
こういう大胆なお食事も
ここでは似合いますねえ。

そしてそのまま駅の方に向かっていくと、
このうどんやあたりから



左に入っていくところが、
ションベン横丁です。

大きな火事を出して、



二年前に行ったときには、
まだ更地のままだったのですが、



もう今はすっかりお食事処がそろっています。





この写真の中の石畳の
壁のところにみんながションベンをするので、
こういう名前になっていたそうです。
二年前には小さな鳥居が
いっぱい並んでいましたね。

さあ、ではこの辺りで、
歩く会の総会なんかも
開きたいですねえ。

まあ生ビールの看板も
たくさんありましたから、



集まればなんとかなるでしょう。

そしてこの日はここから
電車に乗って梅田まで出て、
そこからJR快速で帰宅です。

家に帰ったら、
今度は近所の友達が
「イカ焼き」焼いたから
取りにおいでと連絡があり、
GET!



いやあ、大好物のイカ焼きが
一日二枚もいただくという
ラッキーDAYになってしまいました。

まあ、これで淀川の「福~十三」を完歩です。

次回の淀川は十三から歩いて、
豊里大橋くらいかなあ。
で、もし帰りに十三に戻れるのなら、
そこで総会しながら
いっぱいのみという、
これもまた超ラッキーDAYに
なればいいなと考えたりした、
淀川右岸旅でした。

歩いた距離はだいたい8キロで、
コースはこんな感じ。



これから楽しい夏を
迎えるであろうというときの
気持ちいい天候の一日でした。

おしまい


淀川完歩46 鼻川神社に寄った

2017年07月12日 21時16分57秒 | ウォーキング

姫島の駅前をとおって、
淀川へと戻っていきます。



ちょうど、船乗りの人らが
使っていそうな階段を使って、



堤防敷きの方へと降りていきます。



このあたり河川敷の道は
あまり整備されていませんねえ。
こういう結構草だらけの土地を、



ブルドーザがかき分けて
行ったような道が続いています。

なぜこんな淀川と大きく書かれた道が



こんなに荒れているのかというと、



この先の淀川大橋の下の道が
こんな風に狭くなっていて、
どうやら自転車や散歩者らの
行き来が途切れてしまっている
ことがあげられますねえ。

実際その橋をくぐった所から、



河川敷の道はまた新たに整備され、
遠くの方まで続いている
ようになっていましたね。



え~そんな道を歩いていたのですが、
この先に神社のあることが
資料に書かれてあったので、
立ち寄ることにしました。

「鼻川神社」です。



昔はここに西成大橋という
橋が架かっていました。
改修時に淀川大橋ができたのですが
当時の西成大橋の親柱が
ここに残っているそうだ。
あ、ありました。
デンとおかれてありましたな。



ここには淀川改修時に
折れた鳥居なんかがあるそうです。
これは帰ってきてから
調べたらわかったことなんですが、
まあなんとかちょこっとだけ
その折れた鳥居が
写真に写っていました。



で、この神社の名前である
鼻川という字なんですが、
この辺りが淀川に突き出た
鼻のような形をしていたところから
ついた名前だそうです。

実際に地図を見てみますと、
道の形がそんな風な
配置になっているのが
面白いですねえ。



過去の地形が道で残っているんですね。

あれ?でもこの辺りの地形は
「鼻川」ではなくて「花川」ですねえ。

そう地名を決めるときに
「鼻」を避けて「花」にしたそうなんです。

道だけじゃなくて
地域の人々のそんな思いも
地域名の漢字に
残っているんですねえ。

ではまた淀川の方へと
戻っていきましょう。

この辺りも都会のビル群をバックに、
野球を楽しむ子供たちで
にぎわっていますねえ。



「ええか、野球頑張って
あんな大きなビルに住めるくらい
りっぱになるんやでえ」とかコーチが
言ったりは・・・しませんはな。

そして前方に大きな橋が
見えてきました。



あれが阪神高速池田線です。

高速を車で走らせながら、
淀川の景色を眺めることが
多いですよねえ。
そのそんな淀川の景色の中に
今はいるわけですな。

大きな道路をくぐったところで、



この辺で時間も時間です。
そろそろお昼ご飯にしましょう。

今日は持参のおにぎりと、
こんななめこの味噌汁ですねえ。



え~っと、この辺は淀川で
シジミが取れるそうです。



ああ~しまったなあ、
きょうはなめこじゃなくて
シジミの味噌汁が現場に会ってたなあ。



しかしこのお昼、
量的には少ないですねえ。
でもね山をえっちらおっちら
歩いているわけじゃないし、
河川敷をへらへらと
歩いているだけなので、
これくらいにしときましょう。

でもこんなに痩せる努力を
しているのに体重が減らないのは
どうしてやろなあ。

そんな暑中飲みに行ってる
わけでもないしなあ。

運動も脳こうそく再発を
警戒しながらも
そこそこやっているのになあ。

ぼちぼち減量作戦第3段階に
突入していかないといけませんな。

え~と作戦は多分20段階
くらい考えてますので、
いかにゆっくりな措置なのか
わかると思いますが・・・。

さあ、食事を終えたら
ぼちぼちと歩き始めましょう。
このペースで行くと今回は
十三大橋あたりで終点ですかねえ。

では最近、歩く会の仲間が
増えてきましたので、
今年くらい総会を開こうかな
と思っています。

そのお店なんかは
十三くらいがちょうど
いいかもしれないので、
この機会にちょっとお店に
当たりをつけておくことにしよう。

そんな十三を目指して
コースはもう少し河川敷を
進んでいきます。

この辺りくらいから、
河川の距離表示が充実していきます。



こういう道標があったり、



こういう表示があったりします。

いやここまでも
あったのかもしれませんが、
この辺りはとても目立つように
設置されています。