ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

柏原といっても兵庫県 1

2015年12月26日 20時32分09秒 | ウォーキング

さあて、旅行の帰りにも
歩き旅行をすることになりました。
復路に行くのは、
織田家の家臣が収めた城下町である
「柏原」です。

大阪じゃないですよ。

それだったら「かしはら」ですからね。
ここでは「かいばら」と読みます。

以前からこの辺の町には大変興味があったのです。
でも遠いしなあ、
それだけ行くのは大変やなあ
と思っていました。

それが先日、今doironがはまっている
NHKのこころ旅の番組を見た時のことです。
町の中を通る川の上に、
大きな木が根っこで橋を作っている
柏原の景色が流れていました。

大きな木が太っい根っこで
立派な橋を作っています。
ああ~、これは面白そうなところだな
という印象がその時に
強く残ってしまったわけです。

もちろん、柏原は歴史ウォークの本にも
よく出てくるところでもあるわけですから、
これは行って見なくてはと、
今回の旅行に合わせて
決意したわけです。

宿を出て、薄い曇り空の中を
柏原へと向かいます。

福知山までいったん出てから、
こんな道はたぶん生まれて
初めて走るんやろなあという道を走っていましたら・・・

あれ?

これは何か見たことがあるような。

ああ、そうかあ数年前に
久しぶりに5キロのレースを走った
あの「春日局の里」のマラソン会場
じゃないですか。



久しぶりなんで、
とりあえず20分切を目指して走った
しんどかったレースでした。

結局、何とか20分は切れたのですが、
今思ったらあれが最後の20分切でしたねえ。

そんな会場の少し先が、
「柏原」です。

近くの一日200円の駐車場に
車を止め歩き始めました。

これが駅。



中もしっかりしていますねえ。
特急「こうのとり」も全車とまります。

ところでこの駅、
もしかしたら見たことがある人も
多いかもしれません。

なんと、大阪の花博で使われていた
「山の駅」がここに移築されているそうです。

まあ、1991年ですから、
ちょっと古い話ですけどね。

改札で天王寺の駅までを
調べたら1660円でしたねえ。



意外に近い気がしますねえ。



駅前には、柏原にちなんでいるのか
「カウベル」のような置物があったり、



当地の有名人「田ステ女」の
人形があったりします。



で、ここでこの「田ステ女」ですが、
ちょっと解説しておきましょう。

彼女は芭蕉とほぼ同時代に生き、
元禄の四俳女
「ステ女・智月尼・園女・秋色女」の一人です。
彼女の作ったうたで
有名なのは

「雪の朝 二の字二の字の 下駄のあと」

この地で育った彼女は、
子どもを育て、46歳で
播州網干の不徹寺で貞閑尼禅師に修道し、
65歳で亡くなったという人です。

そんな彼女の銅像なんかも
残っています。

そんな街の中へと、
進んでまいりましょう。

道には、こんな看板や



こんな矢印が設置されています。



駅前のちょっと特殊な色に
塗られた道を進んでいきますと、
地面にはこんなマンふたがありました。



そうです。
この地域のマンふたは
あの最初に行ってた
「木の根橋」がデザインされています。

楽しみですねえ。

あ、これが太鼓櫓です。



三層の櫓の最上階には太鼓が置かれてあって、
時報や藩主が参勤交代から帰ってきたときや
家事の時などにたたかれていたそうです。

本来は大手筋にあったものが、
明治初期にこちらに移されてきたそうです。

まだ太鼓はこの中にあるようですね。

入口に
「太鼓の皮にあなたの手の油をこすりつけてください」
と書かれてありました。



皮革の感想防止になるそうです。
こりゃあもう、
吉本新喜劇の末成さんの登場でしょうねえ。

とまあ、そんな感じで
太鼓櫓の各施設をきょろきょろと眺めつつ

続きます。