そんな丹波市立崇広小学校の横にあるのが、
「柏原藩陣屋・長屋門」です。
柏原藩の初代藩主である織田信休が
立てたもので、
その年代は1714年。
1818年に火事があった時も
類焼を免れた長屋門が、
創建当時からの建物として残っています。
それを潜って中に入っていくと、
建物の外になにやら掲示物があるので
覗いてみましょう。
え~っと、個々は御用所ですねえ。
当時の公務員たちが
この場所で執務をやっていたんですねえ。
そしてここが「カマド跡」。
古代地図にはここにお台所の絵があって、
その土間部分がここにあったことを示しています。
おお~これは井戸ですねえ。
とまあそんな具合に
外回りにもいろんな施設の
あったことがうかがえます。
では、玄関より中に上がっていきましょう。
「いらっしゃいませでございます~」。
で、なかは撮影できませんので、残念です。
まあ4畳半の応接やら
間の抜けた風呂、
子供の遊び部屋なんかがありましたよ・・・
なわけはない。
立派な部屋の数々でした。
これは施設の右側の建物ですが、
これが先ほど見ていた小学校です。
さあ、ではここを出て
織田家廟所のほうへと向かいましょう。
おお~、なんと途中ほかにも施設があったのですが、
ここは水曜日が定休日でした。
しまったあ、福知山と
日を変えてくればよかったですねえ。
これはこれからの歩き旅の
重要な確認事項ですねえ。
まあ兵庫県の柏原総合庁舎を眺めに
行っても仕方ありません。
仕方ないので、
一直線に廟所を目指しましょう。
こういう学校横の道を進み、
こういう案内書きを見ながら進んでいきます。
おお~地蔵堂にも時計が付いています。
これを右に曲がって山に向かって進み、
途中を右へ入っていったところからが
「織田家廟所」です。
墓の位置は入口の案内看板に
立っていたから探せばわかるんでしょうが、
まあdoironは全体にお参りをしておきました。
さあ、ここを出て進んでいきますと、
古い町並みの家があります。
そんな家を眺めながらやがて道は、
先ほどの木の根橋の近くへと
戻ってまいります。
八幡宮の入口鳥居から、
木の根橋のほうを見るとこんな感じです。
おお~、ここで某寺の境内に
めちゃ濃い毛の仏さんを発見しました。
先日、奈良県東大寺の大仏さんの羅髪が
これまで行ってたよりも数が少ない
というニュースを見たばかりですから、
この仏の姿にはかなりの迫力を覚えましたねえ。
ああ~あやかりたい
ここは丹波新聞社です。
え~っと、フリーライターは用事おませんか。
ま、こんな脳こうそくの
ライターには用事ありませんかな。
またまた商店街のほうへと戻っていく途中で、
田舎うどんという食堂を見つけて入りました。
こんかい食べたのは、これ。
むむ、なかなかおいしい食事でした。
ミセスが食べていたのは、
田舎とじうどんで、
麺に野菜が練りこんで会って
なかなかのもんでしたな。
まあ、こうして今回は
約6キロの歩行を終えて、
柏原を歩き回りました。
本当は「おさんの森」や「新井神社」のほうにも
行きたかったのですが、
まだこのころはグーちゃんを
預けてましたからね。
時間を気にして帰らねばなりません。
おかげでナビも止め損ねてしまいました。
この後、高速のサービスエリアで
お土産を買って、
doiron病状回復祈願の
カニカニツアーこれにておしまいです。
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