ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

高校駅伝、世羅ダブル

2015年12月21日 21時20分29秒 | マラソン

さて、ここ数年で高校駅伝は
最高の日を迎えました。

暖かくも寒くもなく、
ランナーたちには絶好の天候でしょう。

いい天候につられ、
今年はついに思い立って
高校駅伝を現地に見に行きました。

これまでは、西京極運動公園をスタートし、
途中女子の往路復路を応援し、
途中で飯を食った後は
男子の往路と復路を応援して
競技場に帰っていたのです。
都合、ハーフを歩き
自分の練習もかねて応援していたのですが、
もうそんな馬力の応援はできません。

円町まで電車で行き、
そこから歩き始めることにしました。
これだとまあ、
8キロくらいの距離を歩くだけで済むだろう。

早朝、早速電車に乗って
京都へ向かうdoironなのであった。

途中乗り換えに時間をゆっくりかけて、
約2時間で円町についた。

さあ、ここからコース沿いに
歩いていきましょう。

途中、駅伝大会があるので
一時通行止めになることや、



選手を運ぶバスどもが走っていく。



大将軍のバス停を過ぎ、



今出川通りが近づいて来たら



女子の第一中継点だ。

沿道には、各学校の
応援団員が立っていたりもする。



まず広報車がやってきて、



女子トップがやってくる。



ここで慌てて写真を撮ろうとしたが、
どうもうまくいかず
こんな写真しか取れなかった。

ま、とりあえずはこの辺りも
だいたいの予定校がそろっていたぞ。

さらにコース沿いに進んでいくが、
ここからはレーンが変わるので
右側に移動だ。

さあて、女子トップは
どこが返ってくるだろうか・・・

きたきた、おお~西脇工ではないか。



doironの予想どおりではないか。

しかも後続に世羅、常盤が続いている。
大阪も上位にいるぞ。
むむ~、これはもしかしたら
doironの予想はピタリか。

と思いつつ、途中みんなが見ているテレビや、



沿道の人の持っているテレビの声を
聴いていたら、
な、なんとあの西脇が
トップを奪われたようだ。

で、結局ゴールしたのがなんと
「世羅」で

二位が「常盤」とか。

おお~世良は初優勝だ。
これは午後の男子と「二冠」になる可能性は高い。

あの仙台育英以来の二冠である。

そうかあ、世羅だったかあ。
西脇工、残念でした。

さあ、ここでお昼である。
男子一区の少し手前にあるお店で、
昼飯を食べて男子を待つことにした。
むむむ~、ビールがうまかったぞ~。

そして時刻は1時前。
やはり一区の最終区あたりは魅力と見えて、
沿道に人が多すぎだ。
doironは向かい側の道に立った。

予想は29分10秒を予想していたら、
おお~やってきたぞ。



一区トップは佐久長聖である。
結果は29分8秒とほぼ予想通りである。

さすがに世羅もすぐに続いている。

実際はこの後2区と3区で、
世羅が区間賞を取り、
2位と大きな差を開けたのだ。

折り返しのハーフの少し先でほぼ1時間だったそうだ。

これは高校新が十分出るタイムである。
あの仙台育英の記録も8秒ほどうわまっている。

ちなみに、男子がこれまでの
区間記録を駆使して走ったら、
1時間57分29秒となるが、
はたしてそんなタイムで走れるだろうか。

折り返して復路の5区で、
帰ってきた世羅を見たら
かなりのタイムだが、
やはり他チームとせらないと無理か。



これだと、のこり6区、7区を
13分台で行かないとむつかしい。

まあ、ここで2時間切りをあきらめたが、
少なくとも仙台育英の記録は破り、
高校最高を記録したいところだ。

早々に帰りの電車に乗り、
途中、ネットで記録を見たら
2時間1分18秒。

おお大会新、高校最高である。

これはいいものを見させていただいた。

期待していた大牟田は
10位とやや不満だったかな。

暖かい年末の一日。
この日はとても楽しい
駅伝観戦の一日でした。


始めて歩いた福知山 2

2015年12月20日 21時30分11秒 | ウォーキング

さて、まずはめしですか。

駅のビルの中にもいろいろとお店はあったし、
こんなお店も駅外周道路にあって
心を動かされました。

ゴム焼きそば・・・どんなんでしょう



でもまあ、ここはせっかくここまで来たんです。
まずは、駅前の
「福知山駅正面通り商店街」のほうへと
入って様子を見てみましょう。

と思ったら、





この商店街はほとんど食べるお店もなく、
あれれと思っているうちに、
終点を迎え、途中の道を右に回ったら、



ようやくこんな店がありました。



でもねえ、踊りせんべいで昼飯はあきませんな。

そのすぐ横で、まず見どころの一つ
「御霊神社」にやってきましたので
先にのぞいてみましょう。



ここは、福知山では名君として
認められている明智光秀を祀った神社であります。



この神社には、市指定の文化財である
明智光秀が書いた古門書が
3つあるといわれています。

一つは手紙、一つは逮捕状、
そして最後には戦陣の心がけを書いたもので、
貴重なものだそうです。
あとの資料館なんかで
見れるでしょうか。

そんな神社の中身をいろいろと眺めてみましょう。

これは「筆塚」。



京都府内では最大級の筆塚だそうです。
そしてこれは「叶石」と言われるそうです。



受験合格彼岸に効き目があるそうでっせ。

こんな堤防神社もあります。



長い階段を下って、下に降りてゆきますと

そこには「御霊公園」があります。



結構広い場所で、
片隅に昭和28年の水害碑が立っています。



こんな上まで水があふれたんですねえ。

そして、その広場の片隅に立っているのが

からくり時計。



どんなからくりがあるのか、
帰ってきてからネットで調べたら、
柱のところどころから
人形が飛び出して踊ってましたよ。

そしてこの公園の片隅にあるのが
「福知山音頭」の記念碑。





この地をスタート地点とする
記念碑の踊りの人形の形をした、
道端に置かれてある16体の人形が、
福知山音頭の踊りを表したものである
ことを説明しております。

こういう人形です。



おお~、踊り子ストリートですねえ。
設置されたのが平成16年ですか。

10年近くなるのに、
これだけ毎年福知山に行ってたのに
初めて気が付きましたねえ。

まあ、踊りそのものも
あまり知らんかったけどねえ。
その人形のいるストーリーが、
この広小路です。



突き当りに河川敷が見えてます。

あれ?なんかこの通り見たことがあるぞ
と思ったら、そうです
この通りは福知山マラソンのコースですねえ。

そうかあ、こんなところを走っていたのかあ。
映画館もある福知山で



一番有名なストリートだったんですねえ。

その道を川の方向に向かって歩いていくと、



右手に商店街があり、



その入り口近くにあったのが

「福知山鉄道館ポッポランド」。



入場料はなんと「無料」。
これは入っておかなくてはなりません。

ここは廃線となった北丹鉄道の資料や、
模型などが展示されています。





あ、そうだ。
これがdoiron家にある宝物
かつての国有鉄道時代の
「日本海縦断線急行」の車両名称だ。





古い駅舎のような改札から、





ひげの生えた色の黒い改札員の横を抜けると、



まずあるのがでっかい機関車の動輪。



この動輪は1939年に製造されたもので
重さが約2.7トンもあるそうです。

鉄道に興味あるなら
なかなかタダのわりに
見どころは多そうな記念館ですね。

ここを出てさあ、もう一度
広小路のほうに戻っていきましょう。

河川敷に向かって歩いていますと、



おお~ここがポッポランド2号館です。



なかには、昭和45年まで走っていた
C58-56SLが展示されています。

機関車の前のほうは、
危ないので登ったりできませんが、
機関室のほうには実際に乗り込むことができます。

では運転席に座っている写真を一枚。



メーターなんかもそのまま残っており(多分)
なかなか面白い機関室でした。



そこを出ますと、もう由良川の堤防が
すぐそこに見えています。

しゅぽしゅぽと続きます。


始めて歩いた福知山 1

2015年12月19日 22時21分10秒 | ウォーキング

今度、旅行に行くに当たっては
そこへ行くまでの間の土地を
歩いてみようとずっと考えていた。

まあ、ミセスも一緒なので、
そんな風にして歩きまわることを
よりもっと知っておいてもらおう
というさらなる機会にも
しておきたかったということがある。

で、目的地が天橋立あたりであるから、
そっち方面で歩き語りのあるところを
いろいろと選んだ結果、
まず行きは「福知山」を歩き回ることにした。

この地はdoironにとって、
マラソンを走るために何度言ったところだろう。
そんなマラソン大会には子どもが小さかったころ、
家族三人で行ったこともある。

doironがこの大会を走ったのは第一回大会からで、
そうやなあ15回は走っただろうか
ベストは3時間3分だったな。

その福知山は昔から城があり、
多くの人が住んでいた。
関西の北の玄関口として、
由良川とともに生きてきた町だ。
最近はその由良川があふれたり、
花火大会で大事故があったりと、
あまりいい具合に言われていない。

マラソンでは、初期のころは
この町の中がゴールだったのだが、
のちにはちょっと離れた三段池公園が
スタート・ゴールになり、
福知山の町中は最初の10キロぐらいで
一気に走りすぎてしまうことになった。

まあ、そのころだったら
まだ体力万全だから、
周りの景色なんかほとんど関係なく、
走ることに洗練していたりするのだ。

しかし、こうして大会にも出なくなり、
あれだけ通った街なのに、
ほとんど町の中のことは知らない
というのが残念だったので、
いつかは歩きにいかなくては
と思っていたところだったのだ。

あさから、グーちゃんを預けに行き、
義母さんにも1泊2日の留守の挨拶をして、
福知山へと向かったdoiron一行。

天候はうす晴れで、
車は快適に飛ばして、
福知山駅近くの駐車場までついたのは
2時間後くらいだったかなあ。



さっそく、歩く格好で歩き始めた
doironなのであった。

さて、駅である。

この駅は経営主体がいろいろと変わっている。
この2015年4月からは、
ここまでは国鉄で、
それ以降日本海に向かっては
「丹鉄」という名で京都タンゴ鉄道の駅として
電車が走ることになっている。



まあ、経営はしんどく厳しいのだが、
地方の人、とくに、たまには雪の降るこのような
地方の電車は、人々の暮らしには
欠かすことのできないものだろう。
駅前は立派に整備されている。
とても人口80000人ほどの
自治体とは思えないほどだ。



ちょっと駅前をのぞいてみよう。

まずこの地方、
この地としては「福知山音頭」を強く売り出している。



あとで行こうとしている福知山城に
明智光秀が城を作らせたときに、
住民らが「ドッコイセ、ドッコイセ」といいつつ、
石や木を運んだのが始まりとされています。

今は、8月に市内の本町通を通行止めにして
盆踊り大会を行うそうです。

「福知山出て 長田野越えて 駒を早めて亀山へ」



という代表的な歌詞が
今も石に刻まれていたりしますが、
このうたは、今も地域の振興や名物を加えて、
どんどん歌が進化しているそうです。

もしかしたら、
福知山マラソンの歌も
あるに違いありません。

2013年この福知山盆踊りの時の
花火を飛ばす夜店で、
またまた悲惨な家事の事件が
起こったことは今も忘れられません。

その踊りの様子が刻まれた
「踊り石」や
また同じく増水した由良川などの
水の様子を知らせる掲示板です。



あ、これはこの福知山市の
観覧地を紹介するアルバムも設置されているのですが、
よく見ますとこの地図、
下が北となっており
違和感を感じたりもしますねえ。



時計台を見るともう12時です。



早速歩き始めましょうと次回に続く。


2015高校駅伝がもうすぐ

2015年12月18日 21時47分25秒 | マラソン

さあて、今度の日曜日は高校駅伝である。

今年は高校駅伝が
大阪から京都に移って50年。
それを記念して、各地区の代表
および開催地である京都地区などのチームも参加して、
男女とも59校が一斉に日本一を争う。

ま、行ってみればこれまで以上の
最高の賑わいの大会が京都で行われる。

スタートは、女子が10時20分、
男子が12時30分より、
西京極運動公園をスタートゴールにして行われる。

幸いにしてdoironの体調もいいし、
これはもう是非現地へと、
応援を企んでいるところなのだ。

まず、午前中は女子である。

昨年は大阪薫英女子がこの大会を優勝し、
さらに連覇を目指している。

では今年はどうだろうか。

大阪はムセンビなどの活躍で
上位に来ることは間違いないだろうが、
一区などの強い選手の粒が
そろっていることを考えれば
昨年よりは苦戦はするだろう。

特に女子は一線級が目白押しで、
今年の優勝チームを見つけるのはむつかしい。

そんな中で、女子優勝を狙っているもんの
一つをどうしても挙げよというのなら
doironは西脇工を上げていこうと思う。

いま若手の一年生選手どもが
どう闘うのだが、
このチームが持つ独特の雰囲気に期待をしたい。

大阪薫英はたぶん入賞チームの中に
名は残るだろう。
ただ、二位は世羅、常盤が名を挙げてくる
のではないかと見ている。

つづいて午後は男子。

これはもう、だれが予想しても
昨年優勝した世羅の連覇だろう。

一番注目されている記録は、
世羅の初めての2時間切りなのだが、
当日の気象条件によっては
ありうる記憶のはずである。

個人の持ちタイムの5000m平均タイムで
世羅に続く福島県の「学法石川」と
どこまでせるかで、
その優勝タイムが決まるだろう。

世羅に続いて、2位はその石川
と言いたいところだが、
最終的には九州の「大牟田」が
最後を制して2位とdoironは見ている。

女子は戦国時代、
男子は世羅のどこまでの躍進が見れるか、

今年の駅伝も楽しみだあ


「五年日記」から

2015年12月17日 21時18分52秒 | 最近の出来事

ミセスはここ数年面白い日記帳をつけている。

「5年日記」である。

この日記帳に今日のやったことを
書こうとすると、
昨年そして一昨年
(この二年前くらいのところから始めている)
の同日に自分の周りで何があったのかが、
一目でわかる楽しみになっているのだ。

これをやってると、
さくねんの今頃は何をしてたか
というのがよくわかるのだ。

で、そんな日記を
この前少しさかのぼってみて見たそうなのだ。

何を見たかというと、
doironの体のことだ。

なんか夏ごろにそんな脳の兆しを
訴えていたような気がしたので、
この年末の動きに向けて、
なにか兆しになるようなことが
書かれてないかずーっと
さかのぼって調べて見たそうだ。

そしたら、7月くらいにdoiron自身が
こんなことを言ってたそうだ。

「あのさあ、この頃“ラ行”の音の
割裂があまりよくないんだよなあ」
とちょっと年を嘆くようなことをね。

「そうやなあ、年取るとそんなこともあるよねえ」
というミセスの返事で終わってるんやけど、
どうもこの辺で小さな血中の塊が
飛び回り始めていたのかもしれないかもねえ。

こういう症状は、
「一過性脳虚血発作」と言われます。
英語では「TIA」と言われるんですね。

脳こうそくを発症した患者の
20~30%はこれを経験しているといわれます。

まあ、これはこういう病気になってから
学んだことなので、
実際そうなったときに、
まさか自分の脳がこんな状態になろうとは
思いもよらなかったことですがね。

心臓も昔々不整脈が続くと
心筋梗塞になるよとか、
確かに言われたことはあります。

でもねえ、まさか自分がとはねえ。

まあ、こういう医療の勧めがあるときには、
きっちりと聞いておかないといけませんね。

まあ、今回のような7月のTIAが
直接原因になったということではないのでしょうが、
そういう可能性を体の中に
持っていたということなんでしょうねえ。

このブログを読まれて、
そういう症状を持ったことのある方は、
きっちりとみておいたほうがいいかもしれませんよ。

とまあ、ミセスの5年日記で
そういうことに気が付いた
doironだったのでした。

doironのこのブログを見てみると、
そういう過去のことを
見送ることもあるといえばあります。

なにごとも安心せず
これはおかしいな?と思ったら
doironのこともあるので
しっかり見ておかれることが
必要だと思いますよ。

ミセスの5年日記やブログを
さかのぼってみて見ると、
やはり12月は歩いたりのほかは
冬イチゴ取りに行ったり、
忘年会したりと同じようなことをしています。

何の変化も進行もないのですが、
じっくり考えたら
昨年はこの時期母親がいたりとか、
doironの体に大した変化はなかったり
もしたのですねえ。

毎年同じように年末を迎えてはいますが、
やっぱり少しずつ変わっていくdoiron。

来年の12月はどんな感じなんでしょうかねえ。


日本海から帰宅

2015年12月16日 21時10分51秒 | 最近の出来事

え~、日本海から帰ってきました。



義母さんやグーちゃんがいるので
一泊二日ですが
まあ、運転はすべてdoironでしたし
ミセスもゆっくりしたでしょう。

だって、あのまま脳こうそくが続いて
寝たままとかになったら
どうしようとミセスもかなり焦ったでしょうよ。
そのことを考えたら
こんなに軽くて
ほっとしたことでしょう。
これらもみな
いつもジムで見守ってくれている方々のおかげです。

そして今回は歩きの旅も、
初日および2日目も入れました。
しっかり歩けたかどうか
それはまた別の機会に紹介しましょう。

しかしまあ、旅行できるくらいまで
の病気でよかったよかった。

詳しくはまた後日


日本海へと癒し旅

2015年12月15日 21時49分30秒 | 最近の出来事

今日はなんと今日本海沿いです。doironの病気と心配かけたミセスへの「爆外カニ癒し旅行」です。と、いいましてもグーちゃんや義母さんのことがあるから遠くにしっかりと行けるような、派手な旅行ではありません。今回は旅行に混ぜて歩きの旅も入れたうえで、1泊2日でカニ頼みの旅行としてみました。さてどうなるか。結果はまた帰宅してからです。


兄の来阪

2015年12月14日 20時30分14秒 | 最近の出来事

関東に住んでいるミセスの兄貴が、
大阪へと遊びに来ていた。

遊びというか、大学の先生なんで、
大阪出張の役割でも作って
こちらに出てきているのかもしれないけどね。

これも昨年のミセスの日記なんかにも載っています。

で、その彼が義母さん(本人の母)の
家に来て何をするのかといいますと、
母さんの様子を見に来ることはもちろんなんですが、
もう一つ大きな目標があります。

それは、餅をつきに来ることです。

それも普通のもちではなくて、
いろいろと中身の入った
かき餅をこの日に合わせて、
大量に作りに来るのです。

なのでdoironたちは事前に
義母さんを通じて指摘のあった
「エビ」「一味」「ノリ」「マメ」「ゴマ」
とかを買いに走らなければならないのです。

あるときは山の朝市へ、
またある時は前もって注文してあったお店へと
うろうろと買いに走るのです。

なにせ義母さんは注文が細かくて、
エビは何とかの桜エビ、
一味は京都の何とか一味、
ノリは何とかの完走ノリ
と買うものが決まっているから、
さあ買おうと簡単にスーパーに行っても
なかったりもするのである。

だから、前もってその兄貴がやってくる
日にちに合わせて手配しておき、
できるだけ直前に手に入るようにするのだ。

そして兄貴がやってきた日には、
一日かけて餅つきをする。

何種類も付くから、
器械の洗浄なんかも大変だが、
これはミセスも駆けつけて手伝う。

ま、doironはこの段階では
そんなに役に立たないので、
ここでは向こうの家に任せて、
doironは一人で歩きに行ったりするのだ。

そして、しばらくの間兄貴は
仕事みたいな顔をして大阪へ行ったりしながら
数日後にいよいよその餅が固まって、
東京へ帰ろうとする日の朝にぼちぼちと兄貴が、
その餅を切る作業を始めるのだ。

その日は午前8時くらいに
召集がかかるので、
早朝より風呂に入って全身を洗い、
神木を燃やした煙を体に刷り込んで・・・と、
いやいやそんなことはない。

ただ義母さんとこへペタペタと
あるいていくのだ。

いくと、応接の部屋にお餅が広がっている。

えっと、まず兄さんたちと
相談したのは今年ももちの切り方だ。
今年のもちはだいたい厚さが2mmくらいで、
餅になったのもほしいから
最後の1cmくらいは切らずに
かき餅として残しておこう
ということになった。

さて、ではきりはじめるか。

ミセスはエビから切り始めている。



よしdoironもそうするか。



中に入っているものによって
餅の硬さが変わり、
切れ具合が微妙に違うのだ。
そうして休憩も入れ
ようやく全部切り終えたのが
1時間後くらいかな。

正座していたので足がしびれてしびれて。

まあ、これもまた年末の
行事の一つである。

しっかりと耐えてきれいに餅を切り終えた。

これらのもちはそれぞれの
家に分けられ、家を離れている
孫たちにも送られるのだ。

もちろんわがやも長野に送り届ける。

今年もうちは母親が亡くなったので
おせちのない正月を迎えることになるのだが、
こういう餅をつつきながら、
のんびりと迎える正月が
あと2週間ちょいでやってくるのですね。


SM会の忘年会

2015年12月13日 21時01分09秒 | スポーツ全般

昨日は、松ノ浜にあった
スイミングスクールで
昔一緒に泳いでた仲間の忘年会があった。

この集まりは、そのジムの名前の頭文字をとって
「SM」会とも呼ばれている。

当時、マラソンのほか
まだあまりメジャーじゃなかったトライアスロン、
ウルトラをやってる人たちの集まりでもあり、
「SM」会はぴったりの名前だったかもしれない。

そしてまた、
もうひとつ行ってみれば、
この仲間は、
エイ仲間である人たちとの
忘年会でもあったのだ。

一人は仕事、一人は急きょ外国への出張ということで、
今年集まったのは全部で8人。

場所は、泉大津の寿司屋さんで、
それは先日もdoironが
義母さんの誕生日にお寿司を頼んだり、
祭りの団体でたまに訪れる
よくお知り合いのお店なのだ。

かれらは、以前のdoiron職場の次に
トライアスロンや山登りなりを
ともに一緒に楽しんできた仲間たちであり、
最年長は75歳の一番元気な人で
阪南市から駆け付けてきてくれたし、
一番若手は泉大津市内の
元サブスリーランナーの50歳と
年齢的にも幅が広い。

和歌山から来てくれる人もいる。

こんな彼らの大半がそろうのは、
だいたい年2回と決まっている。

春の桜花見と忘年会なのである。

あとは、春、夏、秋の山行きにも
数人がそろったりはするけどね。

こんなつながりはもう20年以上続いている。

で、このメンバーで忘年会をするときは、
メンバーの誰かが還暦になったりすると、
赤いジャケットや赤いランパンなんかを
プレゼントしたりすることになっている。

ということで、
今年はついにdoironが
その赤い還暦祝いを
いただくことになったのだ。

以前はねえ、
みんなの還暦祝いなんかをしながら、
まさかもう自分にまで
そういうプレゼントが回ってくるなんて
考えもしなかったけどねえ。

時間はどんどん過ぎていくのだねえ。

で、そのdoironのお祝いなんですが、
何かといいますと・・・
こんなパッケージに入って入る物を開けると・・・



これ。



赤いチャンチャンコ。

材質は、なんと「カシミヤ」~。
仲間の一人がカシミヤ製品工場で働いているので
用意してくれたものだ。
あったかいことこの上ない。

早速来てみて、写真をとっていただきました。



パチパチパチ~、
みなさん大変ありがとうございました。

これからは、もうマラソン大会に
来ていくことはありませんが、
大切な時にはしっかりと
着させていただくことにします。

そしてもう一つ、
これもまたたいへんうれしい贈り物なんですが、
その最年長の方が
何度も掘っておられる「落款」を
僕向けに作ってくれました。

製品は2本あって、
一本は文字が白抜きで
もう一本は文字以外が
白抜きのものと2つです。



押印がこれ。



doironの名前の一文字を、
「古代の金文文字」で掘ってくれており、
りっぱな箱に入っておりました。



これもまたとてもありがたいですねえ。

doironの下手な絵には立派すぎて、
押しにくいのですが、
頑張って押せるように、
しっかりと描いていけたらいいなと思います。

あ、そうそう、
この日doironからは皆さんに、
1冊づつ特製カレンダーを
プレゼントしておきました。

さて忘年会はといいますと、
この日の料理はフグ。
しっかりといただきました。

かつては飲み放題もつけて
頑張ってやってきたんですが、
まあ、もうご老体も多く
アルコールは普通のママとしました。

もうレースでマラソンや
水泳をやっている人間はおりませんが、
あのころ一緒に楽しんだ話は
まだまだこれからも咲き続ける仲間でしょう。

ありがとうございました。

そしてお疲れさんでした。


さて今年の冬イチゴは

2015年12月12日 21時30分17秒 | ウォーキング

先日は天気がいいのを見計らって、
山のほうへ冬イチゴ狩りに行ってきた。

う~ん、日本の冬はこんなにも気前がよくて、
冬イチゴがいつでもかれるほどたくさんあるのに、
世間の人は知らないのかねえ。
まあ、doironはそれでも全然かまわないんやけど、
こんなに楽しい野生狩りを知らないなんて、
世間の人がかわいそうといえばかわいそうやねえ。

きっと、こんな遊びを知ってる人は
もう少ないのかもねえ。
これまで、冬イチゴといえば
いつも熊取町の「永楽ダム」辺りを
うろうろとしに行ってたんやけど、
しかし、昨年そこで狩りをしているときに、
たまたま通りかかった女性ランナーが
こんなことを言ってたということが
ブログに書かれてた。

「わ~冬イチゴ狩りをしてるんやあ。何を作るんですか。」

と聞かれたので
「ジャムにするんですよ」と答えると、
「へえ、そんなん作れるんやあ」という驚きを
見せた後
「私の知ってる山やったら、
岩湧山にもたくさんありましたよ」と言ってくれました。

おお、岩湧山だったらもっと近辺ですやん。
それは「どの辺ですかあ」と聞くと
「登り口すぐのところにもいっぱいありましたよ」
だって。

はあ、岩湧山の登り口ねえ~、
あ、そもそも大和葛城か奈良葛城かわからんのやけど・・・
と思っていると、
「ほら、あの温泉のあるところの」といわはります。

あ~なるほど「いよやか温泉」のことですな。

そこが上り口というところは、
牛滝のほうから上っていくコースのほうですな。

よっしゃ、わかりました。
次回は一度そちらのほうに向かって見ましょう。
ということがあり、
今年は牛滝街道を登って、
内畑からいつものコースを登っていくことにしました。

いつものコースというのは、
バイク時に走るコースね。
今日は車でしたけどね・・・。

ずんずん上っていきますと、
阪和道のサービスエリアに通じる交差点、
銃の射撃場に通じる坂、
ゴルフ場の道と続き、
そしていよいよ最後のいよやかの里の
駐車場が見えてくると、ほぼ終点です。

本来なら、このまま滝の中を超えて
岩湧山に登っていくコースなんですが、
この日は登山道に出るべく
手前の右へと続いていく坂を上っていくことにしました。

狭い道をくねくねと車で走り、
右手におおきな冬イチゴの
集団が現れたところで車を止めました。

え~っと、ここからはひたすらに
冬イチゴ狩りです。

途中車も何台か上がっていきましたが、
「こいつ何してんねん」みたいな顔で、
運転手ににらまれましたわい。

でも、その車を止めたところが大正解。
doironはいつでも切れています。

次から次と冬イチゴのみがなっておりました。

そう、まるで歌と一緒に
ダンスにも切れがあるあのグループのようです。

でもねえ、言っておきますが、
doironが切れるのは、
踊りじゃなくて「脳細胞」ですからね。
馬鹿にしちゃいけませんからね。
先日切れそうになりましたけど・・・

こういう感じで、
山のようになっている身を次々にいただきました。



いやあ、枝になってる冬イチゴも
みんなに見せてあげたいから、
枝ごと切ったやつも入れときました。

こんなやつです。



まあ、結局そういう冬イチゴを
山のように取り揃えて無事に帰宅です。



今度はこれをまずもう一度
きれいに掃除をします。



そして、適度の砂糖でぐつぐつ煮込むと
冬の超豪華ジャムの出来上がりです。



考えてみますと、
毎年いただいておりますね。

今年のはきっと冬がぬくいので、
甘みが少ないかも・・・
なあんてことは全く分かりません。

まあ、じっくりと今年の冬の



恵みをいただきましょうかね。