ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

柏原といっても兵庫県 3

2015年12月28日 20時37分08秒 | ウォーキング

そんな丹波市立崇広小学校の横にあるのが、
「柏原藩陣屋・長屋門」です。



柏原藩の初代藩主である織田信休が
立てたもので、
その年代は1714年。

1818年に火事があった時も
類焼を免れた長屋門が、
創建当時からの建物として残っています。

それを潜って中に入っていくと、



建物の外になにやら掲示物があるので
覗いてみましょう。



え~っと、個々は御用所ですねえ。



当時の公務員たちが
この場所で執務をやっていたんですねえ。



そしてここが「カマド跡」。

古代地図にはここにお台所の絵があって、
その土間部分がここにあったことを示しています。

おお~これは井戸ですねえ。



とまあそんな具合に
外回りにもいろんな施設の
あったことがうかがえます。

では、玄関より中に上がっていきましょう。
「いらっしゃいませでございます~」。



で、なかは撮影できませんので、残念です。
まあ4畳半の応接やら
間の抜けた風呂、
子供の遊び部屋なんかがありましたよ・・・
なわけはない。

立派な部屋の数々でした。

これは施設の右側の建物ですが、
これが先ほど見ていた小学校です。



さあ、ではここを出て
織田家廟所のほうへと向かいましょう。

おお~、なんと途中ほかにも施設があったのですが、



ここは水曜日が定休日でした。
しまったあ、福知山と
日を変えてくればよかったですねえ。
これはこれからの歩き旅の
重要な確認事項ですねえ。

まあ兵庫県の柏原総合庁舎を眺めに
行っても仕方ありません。



仕方ないので、
一直線に廟所を目指しましょう。

こういう学校横の道を進み、



こういう案内書きを見ながら進んでいきます。



おお~地蔵堂にも時計が付いています。



これを右に曲がって山に向かって進み、
途中を右へ入っていったところからが

「織田家廟所」です。



墓の位置は入口の案内看板に
立っていたから探せばわかるんでしょうが、



まあdoironは全体にお参りをしておきました。



さあ、ここを出て進んでいきますと、
古い町並みの家があります。



そんな家を眺めながらやがて道は、
先ほどの木の根橋の近くへと
戻ってまいります。



八幡宮の入口鳥居から、
木の根橋のほうを見るとこんな感じです。



おお~、ここで某寺の境内に
めちゃ濃い毛の仏さんを発見しました。



先日、奈良県東大寺の大仏さんの羅髪が
これまで行ってたよりも数が少ない
というニュースを見たばかりですから、
この仏の姿にはかなりの迫力を覚えましたねえ。
ああ~あやかりたい



ここは丹波新聞社です。

え~っと、フリーライターは用事おませんか。

ま、こんな脳こうそくの
ライターには用事ありませんかな。

またまた商店街のほうへと戻っていく途中で、
田舎うどんという食堂を見つけて入りました。
こんかい食べたのは、これ。



むむ、なかなかおいしい食事でした。

ミセスが食べていたのは、
田舎とじうどんで、



麺に野菜が練りこんで会って
なかなかのもんでしたな。

まあ、こうして今回は
約6キロの歩行を終えて、
柏原を歩き回りました。

本当は「おさんの森」や「新井神社」のほうにも
行きたかったのですが、
まだこのころはグーちゃんを
預けてましたからね。

時間を気にして帰らねばなりません。

おかげでナビも止め損ねてしまいました。

この後、高速のサービスエリアで
お土産を買って、
doiron病状回復祈願の
カニカニツアーこれにておしまいです。