ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

すっ富田林 2

2015年12月08日 20時47分08秒 | ウォーキング

この本町公園には、
織田作之助が一時
富田林市に住んでいたことも書かれてあります。



また、ちょっと飾りのメイプルが
邪魔っぽい水車なんかもありましたが、



地面にところどころに植えられている
植物碑が、町っぽくておかしかったな。





公園を出て、こんな防火水槽を見ながら歩くと、



ちょうど道が突き当りになっているところに、



こんな石が立っていました。



そう、ここからが寺内町の始まりです。

まずは旧田中家の住宅へと向かいましょう。



途中こんな鳥居がありました。



中に入ってみますと、
大きな石があり、こんな風に書かれています。



「毛栄組 創立100年記念碑」

この辺り、大峰山へのお参りが
結構発展しており、
こういう「講」がよくあるそうです。

ちなみにdoiron家辺りにも
講がありますよ。

立派な石造りの役の行者さんの像もありました。



ちなみに、あとで訪れる
「浄谷寺」にも立派な役の行者がおられるそうです。

その「毛栄組」のすぐ近くに
「旧田中家住宅」があります。



市に申し出て寄付されたとかで、
きれいに整備されて立っています。



「自由にお入りください」
とのことなので、覗いてみましょう。



建物の中は、昔の近所の家と似ています。

また、中に入っていくと
紀の川市にあった旧名手宿本陣の村屋敷に似ていました。
井戸があったり、



倉庫があったり



となかなか古い建物ですねえ。

なるほど、この寺内町には
こういう家が続いているんでしょうねえ。

もと来た道を東向いて戻り、
さらに東を向いて歩いていきます。

これが「北向き地蔵尊」で、
この寺内町の北の入り口にあたります。



横には道標も立っていて、





「左ふじい寺 右まきのお寺」

と書かれてあります。

ふむふむ。



この辺りから、地図を見ながら、
東西南北あっちこっち向いて
写真を撮っていきますので、
どっち向いて撮ってるのか
わからなくなってきました。

地図に現れるとおりに
写真を説明していきましょう。

この寺内町はお寺を核として
栄えてきたからでしょう、
屋根の上に4体鍾馗さんを見かけました。



最初の一帯がこれです。

周りにお寺がないのに
これはと思いましたが、
どうも鍾馗さんは
近所のお宅の鬼瓦に対しても
向けていたりするようです。

家の過度にはこんな富田林市の地名表が・・・



わかりにくいのですが、郵便番号が3桁でした。

町のあちこちにいろんなお店がある中を
歩いていきますと、
ここが「奥谷家住宅」。



河内長野の岩瀬からこの地に
移住してきた材木商と言われている。

だいたい、こういう古い家の
中身を描いた案内を読むと、
いろんな場所から移転してきた人のことが
書かれてある。

それもそのはず、
ここの寺内町というのは
永禄のころ興正寺の門跡が取得し、
近くの4か所の庄屋各2人、
計8人にお寺の混入と町割り、
畑屋敷の建設を要請したのが
始まりと言われています。

だから、この自治都市の運営は
その8人が行ってきたとのことです。

その興正寺別院というのが、
もう少し南の方なんですが、
こんなかんじで残っています。



奥谷家は「煙り出し」や



「水鉢」のある古い建物でした。



その先には、寺内町交流館もあったのですが、



外で中の話を聞いてると
なかでめちゃめちゃ盛り上がっており、
ちょっと入るのも怖いくらいであったので、
ここは遠慮です。

こんな蕎麦屋も通り過ぎると、



こんなパン屋が見えてきました。



店のカウンターの奥で
機械を使って焼いているのが
そのまま見える面白そうなお店です。

ちょっとおなかがすいたので、
パンを一個買うことにしました。

選んだのは・・・クルミ・ブドウパンです。

よしよし、じゃあこの寺内町の中にある
休憩所でいただきましょう。

ん?変な石がその近くの家の前に立っています。

これは何でしょう・・・と続く。