ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

ほっつきマナー

2015年07月11日 21時13分34秒 | ウォーキング

地球上をカメラを持ってウロウロとほっついていると、



注意しないといけないのは
不審者と思われないことです。



最近は変なカメラ小僧も多いようだしね。
神社の階段下なんかでも、
前にミニスカートの女性が歩いていたりすると、
カメラを構えるのは控えます。
ただ控え目に眺めるだけです。

うう~、なんて立派な歩行者なんでしょう。

保育所や小学校の近くなんかは
いっそう注意しないといけません。

カメラを持っているだけで
迎えに来ているPTAにじろりとにらまれたりします。

写真に真実味を持たせるために、
昔社報を作っていた時のように

「お嬢ちゃん可愛いねえ、
ちょっとそこでポーズでもとってみて」
なんて言おうもんなら即逮捕でしょう。

そんなことは絶対しません。

でもって、もし万が一警察にでも
職務質問されたら画像を見せればいいのです。

そこには地蔵さんやら



よくわからん石やらが



写っているだけですから。
たまに違うものが写っていても、
マンホールのふただったりします。



なので大丈夫でしょう。

気をつけなければいけないのは、
自撮りで変な恰好で写した写真があるときです。
これはdoironよりジダンなんかもっと要注意ですな。
山の中で変なポーズで写っていたりすると
「これが変質者でなくなんなんだ」
と追及されるかもしれませんぜ。

だから身なりもそこそこ整えておかないと、
近所のコンビニにカップラーメンを買いに行くような恰好だと、
ホームレスに間違えられたりする可能性もありますあ。

なにせ、汗臭く色黒のおっさんですから。

そこにいるのか、いないのかわからないくらい
歳を取って枯れたおじいさんになるには
まだもう少し年月も必要でしょう。

それに髪の毛の薄いホームレスて
あまりいないような気がします。

ん?でも、それはどうしてなんでしょう。
なにかそこに増毛の秘密でもあるのでしょうか。
これはこれからちょっと気を付けておかねばなりません。
そこにとんでもない人体の神秘が
潜んでいるかもしれません。

とまあ、身なりに関しては
それほどの心配はないでしょう。

でももし、悪意のある警察官に職務質問され、
道を写した写真に家が写っており、
その家の窓に洗濯物なんかが干されていたりすると、

「はは~ん、おまえはこの洗濯物を狙っているんだな。
ちょっと署で事情を聞こうか」なんて言われるかもしれません。

その時はフリーライター&クリエイターの名刺と
ちょっと面倒ですがブログのURLを
教えればいいのかなあと思っています。

え、余計に怪しい?

そうともいえるかも。

とにかくまあ世の中にブロガーを装って
犯罪を起こす変な奴が現れないことを祈るばかりです。
ちょっとそんなのが現れると、
今の社会は過敏すぎるほどに反応するからね。
そのうち外も歩けなくなってしまいそうです。

いずれにしてもこのわけのわからん世知辛い時代ですから、
ほっつくときもマナーをわきまえて歩かねばなりませんね。

気の向くまま、興味の湧くまま
自由奔放にというわけにはいかないようです。


淀川完歩4 淀川の恵み

2015年07月10日 21時07分32秒 | ウォーキング

レストランの玄関でお友達が出迎えです。



では昼食をいただきましょう。

アナグマ定食。

そ、そんなんはない。
これ。



うう、たかがほっついているだけなのに、
予算はオーバーしなくても
カロリーはオーバー気味じゃないか。

せめてよく噛んで口を運動させながらいただこうっと。

モグモグ、グビグビ

さてお腹がいっぱいになったところで、
再スタートだ。

欄干についているのが、

「スライム」・・・ではなくて「擬宝珠」。



唐橋は何度か付け替えられたり、
改装されたが、この擬宝珠は
昔からのものを踏襲しているそうだ。

ただ、付け替えるたびに年号を削ったり
書き直したりしているそうで、
どれが古いんだか新しいんだかよくわからない。
これは残念だ。

橋を渡りきると、
そこに「唐橋流心水質自動監視所」がある。



中を覗くと、いろんな測定器が動いていた。

以前水質測定の仕事に関わっていた頃もあるので
ちょっとなつかしいぞ。

さあ、この橋を過ぎれば、






近江八景より

瀬田川に架かる橋も、
本日のゴールである南郷洗堰までない。

また特に名所旧跡もないので、
歩きに専念することになる。

唐橋から洗堰までの両岸は
散歩道として整備されている。

その名も「瀬田川ぐるり散歩道」。



ぐるりと一周約7キロのコースだ。

近所に住んでいたら、
ずえ~ったいランの練習コースだっただろう。

あ、並行している道路をバイクで走り、
瀬田川を泳げばトライアスロンも可能やな。
いや、このあたりは川幅も広いため
川面は鏡のように穏やかで、



こんなボートでの遡行もいれれば
もっと種類の多い複合競技だって可能じゃん。

などと妄想を抱きつつ新幹線の下をくぐり、



自然の草花も残しながらも
よく整備された川沿いの道を気持ちよく歩く。



対岸には石山寺界隈が見えている。




近江八景より


あ、こんな距離票もある。



むむ、まだたった1.6キロしか進んでいないぞ。
がんばろう。

少しの区間、河原の林が生い茂っているので
一般道に出てしばらく歩道を歩いていると



京滋バイパスをくぐる辺りから



再び河原の道へと降りていく。



ああ、ようやく落ち着いて歩きに専念できるなあ、
と思っていたらなんと道端に
山ほどのナワシロイチゴが実っていた。



最初は無視していたのだが、
あまりにもたくさんの赤いつぶつぶが
「私を採って~」とつぶらな瞳で
ささやきかけてくるものだから、





じゃあ朝食5、6回分くらいのジャムにしてあげよう
と採りはじめたら夢中になってしまった。

ひとつひとつの実がとても立派で、
ホロホロと取れる。
それをチマチマと、採っていくわけだ。
ひとつの実を撮っていると
横から次のイチゴが
「おにいさん、こっちにも粒よりの
実が揃っているわよ~」と葉っぱの陰から誘惑してくる。
チマチマがチマチマチマチマとなり
瞬く間にビニール袋の底に
両手に山盛りになるほど採集できた。



こんなに豪勢にキイチゴ狩りができるとは、
恐るべし瀬田川。

その夜、イチゴ狩りをするという夢にまで出てきた
歓喜のひと時であった。
思わず後日絵にも描いたほどだ。



しかし歩いている人の姿も
チラホラ見えているというのに
みんなどうして採らないのだろう。

後日、ジャムにした姿がこれ。



これがまた焼きたてのパンに塗ったら、



夢に見そうなほどうまかった。

ひと粒の種からこれだけの実をつける、
さすがにイチゴという字は
草かんむりに母と書くだけのことはある。

そんな淀川の恵みに感謝しながら
てくてく歩き続け、
ようやく遠くにこの日のゴールである
「南郷洗堰」の姿が見えてきた。



これが洗堰の姿。



水を止めて、たらいで洗濯するどころではない。

土木技術の粋を集めた
とっても近代的な堰なのだ。

堰の上を水が洗うように流れて行くことからついた名で、
役割としては琵琶湖の洪水防止、
渇水時の流量調整などとても重要な堰だそうだ。

あわせて堰の上には道路があり、
瀬田川周辺の交通の要所でもある。

さて今回の歩行はここまで。

合計9キロほどの歩行であった。


9kmから先はアプリ停止を忘れていて
バスの経路が残ってしまった。

川の流れが秒速1mだとすると、
ほぼ同じような速度で歩いてきたことになる。

近いうちに、ここから続きを始める歩行に
再び来ようと石山寺までバスで引き返しながら



考えていたdoironなのだった。

ひとまず終り。


淀川完歩3 唐橋界隈

2015年07月09日 21時22分58秒 | ウォーキング

唐橋の手前には入り江があり、
そこに屋形船が繋留されていた。



そう、このあたりに多い料亭では、
昔からしじみをはじめ、
どじょう、ウナギ、鯉、鮒、もろこなどの
豊富な漁業資源に恵まれて、
それを天ぷらなどにして
屋形船でふるまう遊びで旅人をもてなしていたそうだ。

そんな屋形船遊びは、今も続いている。

最近では近江牛のすき焼き
なんて料理で遊ぶのもあるそうだ。

この屋形船を係留している入り江は
そんなころからの名残なんだろうなきっと。

瀬田川・琵琶湖リバークルーズの
中間港である瀬田川新港を過ぎると、



今度は国道一号線が通る

「瀬田川大橋」



が見えてくる。
東海道線、国道1号、そしてこのあと通る
東海道新幹線など、短い区間に
日本の交通の大動脈が橋を連ねている。

そしてそれらを貫く川はというと、
ゆっくりとしかし大きな力で静かに流れているのだ。

このあたりでも気持ちよさそうに、
そして楽しそうにバス釣りをしている人が結構いた。

と、そうこうしているうちに唐橋に到着だ。





前回はこのまま右岸を突き進んだが、
今回は唐橋を渡って左岸を歩く計画だ。
唐橋は中洲を挟んで西側の短い部分と
東側の長い部分でできている。

その短い橋を渡ったところにある中洲を、
ちょっとさぐってみた。

中洲の入り口には、こんなプレートがあった。



「日本の道百選」と書かれてある。
ちょっと調べてみると30年くらい前に
当時の建設省が中心になって
制定したそうだ。

百選やのに104本あるそうで、
各都道府県の思惑で外せない道が
4本あったんやろなあ。

中には甲州街道や北国街道などの
長大な道もあるのに、
ここは全長260m足らずの橋が
そのひとつに名を連ねている。

「唐橋を制する者は天下を制する」
といわれた橋だけあって、
長さは短いが歴史は深いという事なんでしょうな。

この橋にはほかにも、二つの出来事が
語り継がれている。

今もよく言われる
「急がば回れ」もこの橋から生まれた言葉だそうだ。

琵琶湖を渡るのに渡しがあったのだが、
あの四校の水難事故があったように、
琵琶湖は比叡、比良から吹き降ろす風で
しばしばハゲしく荒れた。

なので足止めを良くくらったそうで、
それなら遠回りでもこの橋を渡った方が
堅実だということから生まれたことばなんだそうだ。

そしてもうひとつが、
この橋にいた大ヘビがジイサンの姿になって、
この橋を通りかかったある武士に
三上山の大ムカデの退治を頼んだそうだ。



その依頼を受けて武士が見事に
大ムカデを退治したところ、
そのジイサンがたいそう喜んで
武士を瀬田川の水底にある竜宮城に招き、
一生食べきれないほどの米俵を
プレゼントしたところから、
その武士の名前が「俵藤太」
と呼ばれるようになったといういわれがある。

ふむふむ、ではそんなヘビはいないかなあ
と探してみたが、
自分がジイサンに間違われそうじゃのう。

そしてもうひとつ大事な施設がここにある。

琵琶湖水位観測所。



琵琶湖の水位は大阪に暮らす我々の
生活を左右する重要なデータだ。

現在は5か所の水位観測所のデータの平均を
琵琶湖の水位としているそうだが、
元はと言えば明治にできたこの観測所の
測定データを用いていたとのこと。



ちなみにこの観測所の水位0メートルは、
大阪城の天守閣と同じ高さだそうだ。

おお~これは淀川の流れが
どんな位置エネルギーで流れているのか
よくわかる比較じゃないか。

さてこのあたりでぼちぼちお昼前になった。

では、料亭で近江牛のすき焼きを
と思ったが、予算オーバー。

こんなのぼり旗につられて、



中洲にあるレストランへフラフラと向かったのでありました。



腹減ったあ~、と続く。


淀川完歩2 さよなら琵琶湖

2015年07月08日 21時40分34秒 | ウォーキング

え~っと、折角のスタートなので
もう少しこのあたりのことを紹介しよう。

だってさあ、すぐに進んで行ったら
もったいないじゃん、
とdoironの元とらなきゃ的
貧乏性脳みそがそういうんやもん。

河川管理境界のあったあたりは、
「大津湖岸なぎさ公園」。



大津港の東からこのあたりまで
5キロ近く続く細長い公園だ。

ウナギの寝床にしても5千匹は並んで
眠れるぞ。

この南端あたりにあるのがこの石。



琵琶湖を取り巻くこの地域は
昔から景勝地として知られ
広重などによって浮世絵風景画にも描かれている。

その代表が「近江八景」といわれるもので、
この「粟津の晴嵐」もそのひとつ。



晴れた風の強い日に
嵐のように枝葉がざわめく様が
その名前の元になっている。

ああ、これはよいヒントをもらった。

doironも写真で「淀川百景」でも作りますかね。

熊野古道百景もいいなあ。

あ、ほっつき百景てのもできるかも。
写真クリエイターとしての活動も始まることだし、
そんな夢も広げて行こう。

遊びと仕事がますます邂逅していくではないか。

とまあ、歩行の入り口付近で
こんなけゴニョゴニョ考えたら
元はとったかな。

では、その近江八景の名前の付いた

「晴嵐の道」を、

嵐のように進んでいくことにしよう。



先日歩いた大津市市街地や
その前に登った三上山、
そして近江大橋にも別れを告げて
川沿いを歩いていく。
あ、そうそうこんな石もあった。



おお~旧制四校とはわが母校ではないか。

昭和16年、インターハイで優勝した
ボート部が高島沖で
比良山からの突風にあおられ転覆し、
乗っていた11人全員が水死した
という事件があった。

この事件は琵琶湖哀歌という歌になっている。

メロディーが重なっている部分が多いので
よく混同されるが
あの有名な「琵琶湖周航の歌」ではない。

歌い継がれ、語り継がれている
悲劇の現場を歩いていたんやなあ
とあらためて考えた次第だ。

合掌しておこう。

やがて前方に橋が見えてくる。



実はこの橋も確認事項のひとつだった。

今回の歩行に先だって地図等を調べていると、
瀬田川を歩き始めて最初の橋として、
地図にはこう描かれていたのだ。



赤い矢印の先の橋なのだが、
橋の名前も書かれていないし、
左右に道がつながっている様子もない。

淀川最上流の橋なのに
この扱いはどうしたことだ
と思っていたのでぜひ確認しておきたかった。
その橋がこれ。



橋の下に張られたプレートを見ると、
どうやら人が渡る橋ではなくて、
水道管やNTTの電話線
などを通している橋のようだ。

そうかあ、川を渡るのは人だけでなく、
水道水や情報も渡さないといけないんやな。

じゃあさ、電気は?ガスは?
と気になるのだが、
そこまで寄り道していたら終わらない。

ここは目をつぶって進んでいこう。

淀川最上流のこの橋には
「瀬田川共同橋」という名がつけられているが、



地元の人は「水道橋」と呼んでいるようだ。

そしてそのすぐ横には、
「瀬田川橋梁」という東海道本線の鉄道橋が
上下線で各1本ずつ計2本が架かっている。

お、こんな看板が立っている。



そうかあ、このへんの川沿いを歩くときは、
津波の心配はないけど
こんなことに注意しないといけないんやな。

本日の終点に設定している
「洗堰(あらいぜき)」とはどんな堰なんやろう。

え~っとたらいを並べてたくさんの人が
洗濯をしているところ?

ちがうやろなあ。

渇水で琵琶湖水位が下がり、
大阪の水源である淀川に流れ込む水量を、
この洗堰で調整しているというニュースを
かつてよく見た記憶がある。

近所の人が洗濯をするような
のどかな堰ではなさそうだ。

興味津々と続く。


淀川完歩1 琵琶湖をスタート

2015年07月07日 21時37分24秒 | ウォーキング

熊野古道の旅も秋まで休止としている今、
新たに取り組もうとしているのが

「淀川完歩」だ。

琵琶湖を出た水がどんな景色の中を通って、
大阪湾に注ぐのか
川沿いを全て歩いてみようというもの。

これだけあっちこっち歩き回ってまだ行くか、
って感じでしょ。
自分でもヒマなのか忙しいのかわからないくらい、
ほっついています。

でもねえ、ただほっつくだけではないんですよ。

このほっつきを、
フリーライターとして今の新聞以外の
別の仕事にもつなげて行けたらと、
目に見えないところで
いろいろと努力はしているのじゃよ。

まだ今のところ全然日の目を見ないけど・・・。

でもくじけないもんね。
ヒマを利用して忙しくあちこちほっついて、
ライター財産を蓄えているところなんだからね。

まあ、その辺のところは
ミセスもあきらめ半分で納得しているから、
あちこち彷徨的わけわからん取材に
出かけさせていただけていると
まあそんな次第だ。

では、今回新たに始めようとしている
淀川完歩について、
最初に理解しておくべきことを
もう少し書いておこう。

日本には河川が2万本以上あるといわれている。

意外に知られていない水大国なのだ。
国土のほぼ全域で蛇口をひねれば
当たり前のように飲料水が出てくる国は
世界的にも珍しいそうだ。

気候と狭い国土、たくさんの山々が
そんな日本の水環境を作っている。

近畿の水がめである琵琶湖から流れ出す淀川は、
流路の長さは約75キロ。

うひゃー長いなと思ったら、大間違い。

全国的に見てもベスト10にも入らないのだ。
日本最長の信濃川と比べたら
五分の一ほどの長さしかない。

だが、流域内人口は倍以上ある。

そして淀川で日本一なのは、支流の多さ。

全部で965本もあり、
全国2位の信濃川の880本を
大きく上回っているそうだ。

その姿を思い描くと
川を血管に例えるのなら
毛細血管の多いマラソン選手のようで、
それは多くの人々の
生活の隅々まで張り巡らされている
と言いかえることができるだろう。

淀川は琵琶湖から瀬田川として流れ出し、
宇治川となって最後は木津川、桂川と合流して
大阪湾に注いでいる。

その川沿いにはほぼ全線にわたって道があり、
それを全て歩くことを「淀川完歩」という。

この先どんなふうにdoironの
淀川歩きを進めていくのかは決めてはいない。

左岸と右岸の両方に道があれば、
両岸を歩くのか。
また途中から歩いて区間をつなげて
完歩としようと思っているのか、
あるいは日本一多い支流をどう見るのか等々、
基本的なことは何も決めていない。

ただ途中に名所、旧跡があれば
寄り道もしていくことにはなるだろう。

まあ、いろいろ最初から決めていても、
人生思い通りに行くとも限らないからね。

とりあえず始めることが大事なのだ。

というようなことで、
さあ、新たなチャレンジの始まりである。

ボチボチと歩きはじめよう。

doironにとって歴史的となる第1歩は、
少し前に下見に来た琵琶湖歩行を踏まえ、
琵琶湖と瀬田川の河川管理境界から始まる。

そのまさにスタート地点がここ。



おあつらえ向きな看板が、
大津湖岸なぎさ公園の南端に立っているではないか。



足下にはほら、距離票も設置されている。



ここにいちばん近いであろうこの駅から、



意外に古い街並みの残る街を抜け、



琵琶湖に向かってテクテクと歩いて
この場所に到達した。

そうかあ、琵琶湖は滋賀県が、
瀬田川は国土交通省の管理になるのか。
三日月さん(滋賀県知事)さようなら、
こんにちは太田さん(国土交通大臣)てな感じですな。

先ほどの距離標がずっと続くのかな
それともこれもまた熊野古道のように
通過自治体でかわったりするのかなあ。

途中こんな距離標もあったけど



これがずっと続くのか
歩いてみないとわからない。

道に一里塚や丁石があるように
川沿いにはどんな表示があるのだろう。

さていよいよと続く。


空き缶かざぐるま

2015年07月06日 21時46分37秒 | 生活

ミセスが最近工作に凝っている。

というのも、彼女は地元の村で福祉委員をしており、
一人暮らしの高齢者を公民館に招いては、
食事会をしたり、お話し会をしている活動の一環として、
ボケ防止のためにと
簡単な工作教室を担当しているためだ。

当初は紙でこんな簡単な切り抜き作業
をしていたのだが、



徐々に高度になっていって
最近はこんな「におい袋」を作ったりもしている。



他にもガラス瓶の中にキラキラ雪が降る
みたいなのも作っているようだ。

そんな地元デイサービス工作教室で
最近は、こんなものを作った。



空き缶で作る風車ね。

え~っと、写真に写っているみたいに
「世界初」ではありません。
念のため。

各地をほっついている時にたまに、
家の軒先でサラサラ回っているのを見かけたりもするし
ミセスも当麻寺に行ったときに
参道の家の軒先につるしてあるのを見て
これを作ろうと思い、ネットで調べたそうだ。

空き缶の内側の金属の色がキラキラしていて
とてもきれいで静かに回る。

これは材料に事欠かないしなかなか面白い。

だからといって大量に作っても
我が家だけではさばききれず、
どうしようかと思っていたところ、
最近いい利用方法を思いついた。

我が家では、大きな水瓶3つにメダカを飼っている。

最近は卵をよく産むので
その管理で忙しかったりするのだが、
たまに水面を見ていると、
メダカが変な動きをするときがあるのだ。

飼育歴が長いので原因はすぐに分かった。

かめの中に、メダカを捕食する
何かしらの生き物がいるのだ。

以前はザリガニがいたこともある。

まあ、これはメダカと一緒にすくってきた泥か
水草の中に卵でもあったんだろう。

問題は「ヤゴ」である。

トンボの幼虫で、なかなか獰猛な奴なのである。
なぜそんなものがいるかというと、
もちろんザリガニと一緒で
何かに卵がくっついていたということもあるが、
やはり原因はこのかめの中に産卵をするため
トンボが飛んできているだ。

我が家の庭でトンボはよく見かける。
この前も大きなヤンマが
物干し台に止まって水面を眺めていた。



「幼虫の餌も豊富にいそうだし
いっちょここに卵を産んでやるか」
なんて思っていたに違いない。

あるいは、そのトンボもこのカメで
生まれた個体で
「めだかおいし、このかめ~」なんて
ふるさとの歌を口ずさんでいたのかもしれない。

これは大変だ、と
慌てて追い払ったものの
四六時中ついているわけにはいかない。

対策としてはかめにふたをするのが一番だ。

しかしそれだと日が当たらなくなる。
そこで、網をかぶせることも考えたが、
風に飛ばされないように
しっかり網を固定してしまうと
エサやりの時にいちいち面倒だ。

で、思いついたのが先ほどの

「空き缶風車」だ。

これをかめの上に吊るしておけば、
キラキラとサラサラで
トンボが近づかないだろうと考えたのだ。



果たして、最近はトンボの姿もトンと見なくなった。

これから夏になり秋が近づくにつれて、
赤とんぼやシオカラトンボも増えてくるだろうが、
この風車はきっとそいつらを寄せ付けないための
いい対策になるに違いない。

doironの近所には
我が家で生まれたメダカを分けてあげて
飼っている家も多い。

福祉の集まりでせっせと風車を作ってもらって、
トンボ除けに配ってみてはどうか
とミセスに提案をしている。

効能はそれだけではなくて、
もしかしたら、ごみ箱の上に吊るしておけば、
カラスや猫除けにもなるかもしれないじゃないか。

そうしたら、大量にあっても近所でさばけるし
高齢者の人たちも社会に貢献している
という気持ちが芽生えて、
作る方も励みになるというものだ。

ま、そんなことをするより
メダカを飼う方が、
ボケ予防になっていいのではないか、
という声もありますが・・・

とにかくどれくらい効果があるのか、
我が家でもう少し実験してみようと思っている今日この頃だ。


宝くじウハウハ神頼み大作戦 4

2015年07月05日 21時28分15秒 | ウォーキング

今宮戎には昨年の1月に出かけています。

ブログを辿るとその辺はすぐにわかるので便利なんです。
あの時は冷たい雨の降る日でしたが、



今日は暑い日差しが注がれる日でした。



南海電車の高架下を再びくぐります。



このあたりの地名は「戎本町」、
そしてその先には「恵美須」



という交差点もあります。

日本発祥の神様なんですが、
書き方が一定しないのは
やはり庶民信仰の神として
各地でいろんな信仰の形があるからなんでしょう。

1昨年に行った石津神社では
「笑姿」とも書かれてありました。



境内に入って行きますと
ひっそりとしております。

むむむっ、神様独り占めです。
じっくりお願い事を聞いていただきましょう。

まずはお賽銭をあげてっと。

これで残る五円玉はあと一枚となりました。

「え~っとね、あのね、
とりあえず皆さんで宝船に乗って
我が家に来てくださいね~」パンパン



神社をあとにしますと、
最後の四天王寺に向かう道すがら、
通天閣や、



阿倍野ハルカスがそびえているのが目に入ります。



え~っと、通天閣の高さは?
阿倍野ハルカスは何階建て?
後で購入予定のロト7の数字探しの
追い込みです。
しかし、いずれも大きすぎて不適格です。

視点を変えましょう。

今歩いているこの道は・・・、
おお~「25」号線。
ちょうど頃合いです。
候補に挙げておきましょう。

道の向こうにはいつもその立派さに感心する道標が
どっしりと立っています。



ということは、ここから「逢坂」が
始まっていくわけですな。



では、ちょっとここでこの坂の途中にある
神社に寄り道していきましょう。

ここが「安居神社」。



来年ブレイクするであろう真田幸村が、



冬の陣では最初に行った三光神社のある真田山で
大活躍をしましたが、
夏の陣で無名兵士に槍で打ち取られてしまいます。

その現場が、この神社内にあるのです。

ここ。



ああ~、これも昨年3月の
「七坂、こんな坂」シリーズで紹介しましたねえ。



いろんな歩行が重なって、
このあたりの地図が史実と共に
頭の中に描かれていきます。

点の興味が歩くことで線になり、
線が重なりつながっていくことで
面となっていくわけですね~。



この神社を出て東に向かっていくと。
doironの両親のお骨が眠る
一心寺の脇を通ります。



七福神だけ巡るはずが、
いろいろと寄り道が増えます。

そうしてやがて到着したのが、
「四天王寺」です。



ここには、7柱目の神様「布袋尊」がおられます。
ぽっちゃりした体型に親近感を覚えますねえ。

広い度量や円満な人格、
富貴繁栄、家庭円満を司る神様です。

国の重文である大きな石の鳥居をくぐって少し行くと、



右手に布袋堂があります。



さあ、最後の5円玉をあげてお祈りをし、
これで結願です。

では帰りの道すがら
宝くじを購入しましょう。

まずは「toto様」です。



これはコンビニで買えました。

そして天王寺の駅で、ロト7を購入です。



「なににしようかな、神様の言うとおり!」


さあ、これで「宝くじウハウハ大当たり
神頼みもっと遊んで暮らす大作戦」は終了です。



あれ?いつの間にか作戦の名前が長くなっています。

超俗物的、欲まみれ守銭奴ツアーに
4回分同行いただきありがとうございました。
これであなたにもきっと福が訪れることでしょう。

さあ、今すぐ宝くじ売り場へ走りましょう。



へへへと終わり。


宝くじウハウハ神頼み大作戦 3

2015年07月04日 21時33分48秒 | ウォーキング

そのむかし法案寺は、
今で言う「法円坂」の辺りにおましてな。
法案寺→法眼寺となまって
今の地域名「法円坂」のいわれとなったお寺でんねん。



ここはまた歓喜天が名高く、
「日本橋の聖天さん」ともいいわれているそうです。
近頃は聖天さんとは御縁が深いようです。

当の弁財天は寺門を入って
すぐ右に祀られていました。



3個目の5円玉をあげてお詣りしておきました。

さあ、次に行きましょう。

ブログ3話目で3柱ですから
このペースで行くと7話にもなってしまいます。
ちょっとペースを上げましょう。

堺筋に出て道頓堀川に架かる



日本橋を渡ったら、



一気に南下していきます。

途中、道頓堀商店街の東口を通ると、
観光バスがずらっと停車しています。



話しぶりを聞いていると、隣国の団体さんだったあるよ。



きっと爆買ツアーの団体さんなんでしょう。
おあつらえ向きなところに
薬屋さんがあるんやねえ。

爆買いツアーのおかげで
このあたりの地価も11%以上上がったと
先日の新聞に出ていましたね~

それにしても中国思想の色濃い七福神を
日本人のdoironがめぐり、
その国のお人が買い物ツアーって
どうやねんて感じですね~。

途中、黒門市場を横目に見ながら、





日本橋3丁目の交差点を過ぎたところで右折します。
そこにあるのが、4柱目の七福神、
「毘沙門天」を祀る「大乗坊」です。



毘沙門天は多聞天ともいわれ、
インドでは財宝福徳の神様でした。

日本では厄災除け、王城守護の神様とされています。

そんな毘沙門天さんは
ここでは撮影ご遠慮くださいでしたので、
お参りだけして出てくると、
そこに錆びた鉄の残がいが置かれてありました。



今年の5月9日、
南海電車の難波付近が
一時不通になったのを憶えておられる人も
いると思いますが、
その時に処理された不発弾の尾翼部分だそうです。



じゃあさあ、
書けども書けども採用されない
フリーライターの記事の不発弾はどうしてくれるんだあ。

なあんて愚痴は言わないよ。

なにせ遊びの延長で暮らしてるんだから仕方ない。
で、もっと遊んで暮らすために
このように七福神を巡り、
宝くじウハウハ大当たり神頼み大作戦をしてるんだってばさ。

なのでここでは七福神にあわせて、
買った宝くじは不発に終わらないように
お祈りしておきましょう。

ここを出てなおも西に進んでいると、
緑のビブスを羽織ったこんな人を見かけました。



背中には「サイクルサポーター」と書かれてあります。

きっと6月からの道交法改正で、
スマホ自転車や危険運転なんかを
指導してるんでしょうねえ。

チャリラーの皆さん、
そしてバイカーの皆さん気をつけましょうねえ。

やがてなんば駅に出たところで
南下していきます。



この道は、熊野古道講演会に行ったときや、
西宮戎に行った帰りに通った道です。

過去のブログが
どんどんつながっていきますなあ。

ヤマダ電機のところを曲がって



国道26号の元町3丁目に出たら左折します。

たしかこのあたりは大阪マラソンの応援地点でした。



レストランにも見覚えがあります。

地下鉄で言うと「大国町」の辺りです。

その駅名からもわかるように、
ここにあるのが七福神の1柱である
大黒様を祀っている「大国主神社」です。



大きな袋を背中に担いで、
小槌を持っているあの神様です。

神話の大国主命と
インドの神様が結びついて、
慈愛同仁、福寿円満、開運招福、
商売繁盛と多くの分野で信仰されています。

七福神の代表的な存在です。

国道に面した鳥居のところから
境内に入ると、境内に「日出大国社」の社殿がありました。



ようやく5枚目の5円玉の登場です。

しっかりとお参りをして、次に向かいましょう。

次は今宮戎に向かいます。

フリーライター&クリエイター
&もうすぐフォトグラファーデビューもする予定のdoiron。

それらのブレイク繁盛を願いつつ
宝くじも当てたいなあ、ムヒヒと続く。


宝くじウハウハ神頼み大作戦 2

2015年07月03日 21時26分11秒 | ウォーキング

その名も「どんどろ大師」です。

「どいろん大師」ではありません。



歌舞伎に興味のある人ならご存知でしょう。

「傾城阿波の鳴門」どんどろ大師門前の場
という一幕があります。



こんなセリフを聞いたことはありませんか。

「とゝ様の名は阿波の十郎兵衛、
して、
かゝ様の名は、アイ、お弓と申します」。

そんなセリフの舞台となったのがここだそうです。

「とゝさま」かあ・・・ん?

待てよ、おお~これはもしかして、
七福神めぐりをしたあとに購入すべき「くじ」を
暗示しているのじゃないか。

買いましょう。
買わなくてはなりません。

「toto様」を。


実はこの時まではロト7を想定していたんです。
七福神だし。



で、巡拝の道すがら目についた数字を
メモしておいてそれを買おうと思っていました。

例えば、55分発の電車に乗って
5番線に着いたから、
「5」は絶対買わなくちゃみたいなね。

でもここにきて「toto様」を示唆されたので
いっそのこと両方買うことにしました。

「もっと遊んで暮らす」ための確率はこれで
2倍と膨れ上がりました。

とまあ、そんな胸算用は買ってからすることにして
ここは一旦コースに戻りましょう。

それにしても「どんどろ大師」とは変わった名前ですね。

いわれを調べたらちょっとびっくりでした。

昔、この地に大坂城代に在任していた
「土井氏」の屋敷があったそうで、
そこから「土井殿の大師」
といわれるようになったのが
その名前のいわれなんだそうです。
ちなみに「doiron」は
doi+ironmanの造語ですが・・・

ほお~、土井殿大師とはdoironと少なからず
縁のあるお寺じゃないですか。

しかし、この大師堂のある「善福寺」は
七福神ではありません。
今回はちらっとお参りだけして
次に向かうことにしました。

部分的に、こんな導き石に導かれて
進んでいきます。



お昼時が近づいてきたので、
お店の看板も道に張り出してきていました。



おお~「ランチタイムのごはんおかわり『無限』」だそうです。
ここに住みましょう。

上町筋を横切って



なおも西に進んで行くと、あれ?

このあたりはなんか見覚えがあるぞ、
と思っていたら、
前に通った「熊野街道」だったりします。



やがて谷町7丁目の交差点に出ます。



その交差点の西南にあるのが
「福禄寿」を祀る「長久寺」です。



コンクリート造りのお寺で、
今風やなあと思ったら大違い。
このお寺は、豊臣秀頼の武運“長久”を祈念し、
淀君の命で大坂城築城の余材で建てられた
かつては立派なお寺でした。

それが、戦後の道路拡張などで規模が縮小され、
今の姿になったそうです。

当時の本堂や大門は奈良薬師寺をはじめ、
各地に分散されているという
由緒のあるお寺なのです。

「福禄寿」は玄関を入ったところに祀られていました。

五円のお賽銭をあげ、
またお礼参りに来る「御縁」があるように、
しっかりと念じておきました。

まだようやく2柱を回ったところですが、
さてここらでお昼にしましょう。

表通りのお店は、昼時なために
サラリーマンで賑わっていそうです。

一本、中の筋に面したこんな食堂の



表の看板の「ハンバーグ&コロッケ定食」
につられて入ってみました。

そして、出てきた定食がこれ。



あ、ビールは定食ではありませんので、念のため。

ハンバーグがやや柔らかすぎましたかね~。

店を出て次に向かうのですが、
その前に近くの東横堀川に架かる橋を
チェックしておきましょう。

「瓦屋橋」です。



今は高速道路の高架下の暗い場所にありますが、
かつてはこのあたりが大阪芸能文化の中心地でした。

「夏祭浪花鑑」という大阪の夏芝居や
有名なお染久松の浄瑠璃にもうたわれているそうです。

道頓堀川にぶつかったところで右折しますと、
三柱目の七福神「弁財天」を祀る、
「法案寺」に到着します。



七福神の中の紅一点、
弁天さんは美や音楽、技芸、弁舌、学問の神様です。
是非口説き落とさなくてはなりません。

エヘヘと続く。


宝くじウハウハ神頼み大作戦 1

2015年07月02日 20時59分07秒 | ウォーキング

七福神というくくりがありますよね。
帆に「宝」とか描かれた船に、
福を呼ぶ七柱の神々がひしめき合って乗っていて、
正月などのおめでたい時に
飾られたりするあの絵に描かれた神々を
指してこういいます。



そんな七福神を祀った寺社を巡る
巡拝コースが各地にあります。

関西だけでも30コース以上あり、
徒歩だけで行けるもの、
車や電車、バスといった交通手段を利用するものなど様々です。

今回はそのうちのひとつ、
徒歩だけで巡る「大阪七福神めぐり」をしてきました。

七福神を訪ね歩きながら、
ついでにあちこち眺めつつ歩くだけでもいいのですが、
今回はそれに付加価値をつけて、
すべてを5円玉のお賽銭で巡り、
最後に宝くじを買って帰る
という歩行にしました。

35円で大儲けを企む宝くじ歩行です。
名付けて

「宝くじウハウハ神頼み大作戦」

カタツムリのように地道に
着実に歩くのも必要ですが
まあ、たまにはただ歩くだけでなく
で~んと大きく夢見ながら歩いてみるのも
楽しいかもしれません。

ミセスにそれを言うと、

「当たったらどうするん?」
と聞くので

「そりゃあもうあんた遊んで暮らすんやんか」
と答えたのです。

すると
「もうすでにあんたは仕事も含めて
好きな事して遊んで暮らしてるやんか」とこうです。

それに対しては否定はせずに
「いや、もっと遊んで暮らすんやで」
と言ったものの、今以上に楽しいことを探すのは
大変かもしれません。

しかしまあ、遊びの幅は
もっとダイナミックに広がるでしょう。へへ。

カキモノ仕事と梅雨の晴れ間に、
五円玉を7枚財布にしのばせて、
電車に乗って出かけました。

さあ、あなたも一緒に回っているつもりで
読んでくださいよ。
そして読み終えたら
宝くじ売り場へGO!してくださいね~

御利益満載のブログでしょ

さてスタートするのはJR環状線の玉造駅です。



今年の二月に「真田なんだな」シリーズで
歩き始めた駅であり、
昨年11月の「シルクロード東端にて」シリーズで
ゴールとなった駅ですから、土地鑑はあります。

迷うことなくまっすぐ、最初の目的地である
「三光神社」を目指しました。



でも確か「三光神社」は月、星、太陽に関係する
神様を祀ってある筈、
どうして「七福神」なんでしょうか。

実は、七福神を祀る寺社の本尊や
主祭神は七福神でない場合が多いのです。

分霊を勧請したり、
合祀をした結果、
そこに七福神がおられる
ということになるわけです。

この三光神社もそうで、
本殿の横に武内宿禰(たけのうちすくね)社があります。

何でも武内宿禰の末裔が
この神社の神職となって
現代にいたっているそうです。

武内宿禰というと、
熊野古道を歩いている時に、
和歌山市の南の方にも
武内宿禰神社がありました。

このブログでも昨年の5月の
「聖地の入口へ」シリーズで登場しています。

300年も生きたということから、
長寿で知られるお人です。

そういう事から、長寿延命、病気平癒
をもたらす七福神のひとりである
「寿老人」を祀ってあるとこういう流れになっています。



その寿老人の像が境内に立っていました。

これ。



お袖にすがって一緒に記念撮影をしておきました。



この三光神社は真田山というところに立っています。
来年の大河ドラマの主人公
「真田幸村」が陣を構えたところです。



境内には、大阪城に通じるという
「真田の抜穴」もあったりします。



そうそう、昭和20年の6月、
ちょうど今から70年前に
戦災に遭って倒れた鳥居の片柱の残がいも
残っていたりするのも、
以前紹介しましたよねえ。



ともかくまあ、
これで七福神の1柱をゲットです。

賽銭をあげ心を込めておまいりし、
さあ次に向かいましょう。

次の七福神は「福禄寿」です。

幸福・財産・長寿を具現化した神様です。

七福神の中でもあまりメジャーな方ではありません。

おでこから頭にかけてが長い
神様の姿をしています。

三光神社を出て、間もなく



終戦後70年を迎えるんやなあ
と思いながら、
真田山の旧陸軍墓地を抜けて行きます。



住宅街に入って少し道に迷ったおかげで、
奇妙な名前の大師堂に出会うことになりました。

その名も・・・

明日に続く。