ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩2 さよなら琵琶湖

2015年07月08日 21時40分34秒 | ウォーキング

え~っと、折角のスタートなので
もう少しこのあたりのことを紹介しよう。

だってさあ、すぐに進んで行ったら
もったいないじゃん、
とdoironの元とらなきゃ的
貧乏性脳みそがそういうんやもん。

河川管理境界のあったあたりは、
「大津湖岸なぎさ公園」。



大津港の東からこのあたりまで
5キロ近く続く細長い公園だ。

ウナギの寝床にしても5千匹は並んで
眠れるぞ。

この南端あたりにあるのがこの石。



琵琶湖を取り巻くこの地域は
昔から景勝地として知られ
広重などによって浮世絵風景画にも描かれている。

その代表が「近江八景」といわれるもので、
この「粟津の晴嵐」もそのひとつ。



晴れた風の強い日に
嵐のように枝葉がざわめく様が
その名前の元になっている。

ああ、これはよいヒントをもらった。

doironも写真で「淀川百景」でも作りますかね。

熊野古道百景もいいなあ。

あ、ほっつき百景てのもできるかも。
写真クリエイターとしての活動も始まることだし、
そんな夢も広げて行こう。

遊びと仕事がますます邂逅していくではないか。

とまあ、歩行の入り口付近で
こんなけゴニョゴニョ考えたら
元はとったかな。

では、その近江八景の名前の付いた

「晴嵐の道」を、

嵐のように進んでいくことにしよう。



先日歩いた大津市市街地や
その前に登った三上山、
そして近江大橋にも別れを告げて
川沿いを歩いていく。
あ、そうそうこんな石もあった。



おお~旧制四校とはわが母校ではないか。

昭和16年、インターハイで優勝した
ボート部が高島沖で
比良山からの突風にあおられ転覆し、
乗っていた11人全員が水死した
という事件があった。

この事件は琵琶湖哀歌という歌になっている。

メロディーが重なっている部分が多いので
よく混同されるが
あの有名な「琵琶湖周航の歌」ではない。

歌い継がれ、語り継がれている
悲劇の現場を歩いていたんやなあ
とあらためて考えた次第だ。

合掌しておこう。

やがて前方に橋が見えてくる。



実はこの橋も確認事項のひとつだった。

今回の歩行に先だって地図等を調べていると、
瀬田川を歩き始めて最初の橋として、
地図にはこう描かれていたのだ。



赤い矢印の先の橋なのだが、
橋の名前も書かれていないし、
左右に道がつながっている様子もない。

淀川最上流の橋なのに
この扱いはどうしたことだ
と思っていたのでぜひ確認しておきたかった。
その橋がこれ。



橋の下に張られたプレートを見ると、
どうやら人が渡る橋ではなくて、
水道管やNTTの電話線
などを通している橋のようだ。

そうかあ、川を渡るのは人だけでなく、
水道水や情報も渡さないといけないんやな。

じゃあさ、電気は?ガスは?
と気になるのだが、
そこまで寄り道していたら終わらない。

ここは目をつぶって進んでいこう。

淀川最上流のこの橋には
「瀬田川共同橋」という名がつけられているが、



地元の人は「水道橋」と呼んでいるようだ。

そしてそのすぐ横には、
「瀬田川橋梁」という東海道本線の鉄道橋が
上下線で各1本ずつ計2本が架かっている。

お、こんな看板が立っている。



そうかあ、このへんの川沿いを歩くときは、
津波の心配はないけど
こんなことに注意しないといけないんやな。

本日の終点に設定している
「洗堰(あらいぜき)」とはどんな堰なんやろう。

え~っとたらいを並べてたくさんの人が
洗濯をしているところ?

ちがうやろなあ。

渇水で琵琶湖水位が下がり、
大阪の水源である淀川に流れ込む水量を、
この洗堰で調整しているというニュースを
かつてよく見た記憶がある。

近所の人が洗濯をするような
のどかな堰ではなさそうだ。

興味津々と続く。