唐橋の手前には入り江があり、
そこに屋形船が繋留されていた。
そう、このあたりに多い料亭では、
昔からしじみをはじめ、
どじょう、ウナギ、鯉、鮒、もろこなどの
豊富な漁業資源に恵まれて、
それを天ぷらなどにして
屋形船でふるまう遊びで旅人をもてなしていたそうだ。
そんな屋形船遊びは、今も続いている。
最近では近江牛のすき焼き
なんて料理で遊ぶのもあるそうだ。
この屋形船を係留している入り江は
そんなころからの名残なんだろうなきっと。
瀬田川・琵琶湖リバークルーズの
中間港である瀬田川新港を過ぎると、
今度は国道一号線が通る
「瀬田川大橋」
が見えてくる。
東海道線、国道1号、そしてこのあと通る
東海道新幹線など、短い区間に
日本の交通の大動脈が橋を連ねている。
そしてそれらを貫く川はというと、
ゆっくりとしかし大きな力で静かに流れているのだ。
このあたりでも気持ちよさそうに、
そして楽しそうにバス釣りをしている人が結構いた。
と、そうこうしているうちに唐橋に到着だ。
前回はこのまま右岸を突き進んだが、
今回は唐橋を渡って左岸を歩く計画だ。
唐橋は中洲を挟んで西側の短い部分と
東側の長い部分でできている。
その短い橋を渡ったところにある中洲を、
ちょっとさぐってみた。
中洲の入り口には、こんなプレートがあった。
「日本の道百選」と書かれてある。
ちょっと調べてみると30年くらい前に
当時の建設省が中心になって
制定したそうだ。
百選やのに104本あるそうで、
各都道府県の思惑で外せない道が
4本あったんやろなあ。
中には甲州街道や北国街道などの
長大な道もあるのに、
ここは全長260m足らずの橋が
そのひとつに名を連ねている。
「唐橋を制する者は天下を制する」
といわれた橋だけあって、
長さは短いが歴史は深いという事なんでしょうな。
この橋にはほかにも、二つの出来事が
語り継がれている。
今もよく言われる
「急がば回れ」もこの橋から生まれた言葉だそうだ。
琵琶湖を渡るのに渡しがあったのだが、
あの四校の水難事故があったように、
琵琶湖は比叡、比良から吹き降ろす風で
しばしばハゲしく荒れた。
なので足止めを良くくらったそうで、
それなら遠回りでもこの橋を渡った方が
堅実だということから生まれたことばなんだそうだ。
そしてもうひとつが、
この橋にいた大ヘビがジイサンの姿になって、
この橋を通りかかったある武士に
三上山の大ムカデの退治を頼んだそうだ。
その依頼を受けて武士が見事に
大ムカデを退治したところ、
そのジイサンがたいそう喜んで
武士を瀬田川の水底にある竜宮城に招き、
一生食べきれないほどの米俵を
プレゼントしたところから、
その武士の名前が「俵藤太」
と呼ばれるようになったといういわれがある。
ふむふむ、ではそんなヘビはいないかなあ
と探してみたが、
自分がジイサンに間違われそうじゃのう。
そしてもうひとつ大事な施設がここにある。
琵琶湖水位観測所。
琵琶湖の水位は大阪に暮らす我々の
生活を左右する重要なデータだ。
現在は5か所の水位観測所のデータの平均を
琵琶湖の水位としているそうだが、
元はと言えば明治にできたこの観測所の
測定データを用いていたとのこと。
ちなみにこの観測所の水位0メートルは、
大阪城の天守閣と同じ高さだそうだ。
おお~これは淀川の流れが
どんな位置エネルギーで流れているのか
よくわかる比較じゃないか。
さてこのあたりでぼちぼちお昼前になった。
では、料亭で近江牛のすき焼きを
と思ったが、予算オーバー。
こんなのぼり旗につられて、
中洲にあるレストランへフラフラと向かったのでありました。
腹減ったあ~、と続く。