ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

カタツムリは偉大だ

2015年07月01日 21時11分02秒 | お絵かき

今日からもう7月です。
でもこのブログはまだまだ
6月中の出来事を書きます。

読んでいて時間の流れが
変だと思っても無視してください。
そんなに厳密に読まんでくださいな。

で、とある6月のある一日の出来事です。

朝、布団の中で目を覚ましたときに、
雨の音が聞こえた。そんなときは

「よーし、今日は歩きにも行けないし、
原稿仕事もしないで絵を描くぞ~」
と、そっち方面に気合が入る。

朝食を終えてから、
安野光雅も裸足で逃げて行くような、
横山大観が目を丸くするような傑作を
描いてやるもんね。
とまあかなり妄想を鼓舞してとりかかる。

本当は決してそんな絵が描けるとは思っていないが、
描いてみないとわからないというところもあるからね。
まあ、そんな勢いで描こうということだ。

まずは、食後のコーヒーを飲みながら、
画題になるかもしれないと
普段撮りためた写真を眺めつつ
本日のテーマを考える。

梅雨時だしなあ。
秋の草花はないだろうし。

とパラパラとパソコン画面で
写真をめくっていたら、
先日当麻寺に行ったときに、
超狭い山道を車で登りながら、
車をこするかもしれないという
切羽詰まった状況の中で
窓を開けて撮影した写真があった。

そこに写っていたのが「カタツムリ」。

おお~、旬じゃないか。
可愛いじゃないか。

では今日はカタツムリを描くことにしよう。

でもカタツムリだけじゃ絵にならないので、
そいつをアジサイの葉っぱに
這わせてみることにしよう。

う~ん、ますます旬じゃないか。

作業は鉛筆での下絵描きから始まる。

アジサイは庭にあるのを、
蚊に襲われながらチャチャッとスケッチしてきた。

そしてその上に写真のカタツムリを這わせるのだ。

構図はほぼ決まったので
下絵を清書し、色つけの作業に入る。

まずは色の弱い部分にあわせてベタ塗をし、
徐々に強めの色を塗っていく。

このあたりは、文章造りにも似ているところかな。

水彩画は乾かないとにじむので、
にじんではいけない部分は
乾くまで待たないといけないんだよね。

そのにじみもまた利用できればいいのじゃが、
まだそこまでの腕はないからなあ。



難しかったのが、
アジサイの葉っぱの質感と
カタツムリのヌメヌメ感。

最後にカタツムリの触角の先に、
ちいさな点を書き入れて絵は完成。
こんな感じになった。



結局朝起きた時の気合もどこへやら。

安野光雅が鼻で笑い、
横山大観がトイレのウンコ紙に使うような
ちゃちな作品にしかならなかったが、
まあ、doiron的にはこんなもんだろう
という感じにはなった。

でもこれで完成ではない。

この絵に言葉を入れなくてはいけない。

これがまたひとつの喜び
産みの苦しみなんだよね。

出来上がった絵をしげしげ眺めながら、
絵が語りかけてくる言葉を待つ。

カタツムリですから、ゆっくり、のんびり、
着実に、とか
雨降りの日に喜んで絵を描いている
自分に重ねてみたりとかしながら考えていく。

そして煮詰まると、
傘をさしてぶらっと近所の公園に散歩に出かけるのだ。

その時にも散歩の途中の神社の森で
カタツムリを見かけた。
それを見ながら
「あ~あ、もっとカタツムリの身体を
くねらせて描けばよかったかなあ」
とか思ってしまった。

次回の課題じゃな。

そして、なかなか言葉が浮かばないまま
散歩を終えて、
帰り道にもう一度さっきのカタツムリを
探してみたら、えらく離れたところまで移動していた。

むむむ、これじゃな

これを言葉で表現しよう。

そして帰って書いたのがこれ。



そうやな。
鼻で笑われようが、
お尻を拭かれようが、
少しずつでも前に進めば
いいんだよってか。

コガネムシは金持ちだが

カタツムリは偉大だ!