23日に執り行われる
地蔵盆に備えて
今日は村はずれの地蔵の掃除をした。
わが村の地蔵は
人が二人くらいは入れる立派な
お堂に守られている。
そのお堂の中には
5体の地蔵とひとつの
石塔が鎮座ましましている。
一番大きな地蔵さんは
高さは約1m。
あと、3体は60cm。
残る1体は一番大きな地蔵さんの
ろうそく立てにすっぽり収まるくらいの
超小型地蔵だ。
石塔は高さが20cmくらいで
キューブとボールを組み合わせた
2段重ねになっている。
地蔵はすべてそうなのだが
かつて道端に野ざらしでいたせいもあり
表情は読み取れない。
それどころか、1体は
顔の部分が痕跡だけの地蔵もいる。
そんな風に傷みは激しく
中には、表面の薄い石が
剥離しかけているのさえある。
頭屋とその見習い(doiron)が
お堂に中に入って
やわらかい刷毛で
ホコリを落としていく。
つまり、御身ぬぐいを
するわけだ。
立派なお堂とはいえ
大人が二名入ると
そこは蒸し風呂と化す。
全身に汗が噴出し
あごからも滴り落ちる。
doironの場合
脱水は厳禁なので
ペットボトルを腰に挿しながら
慎重に作業を進めていく。
さらさらと御身ぬぐいをした後は
あらかじめ、お堂の上部から
叩き落としたほこりとともに
掃き集める。
そのあとは固く絞ったタオルで
丁寧に拭いていく。
自分の車でもこんなに丁寧に
洗うことはない。
いや、自分の身体でさえ
こんなに隅々まで
きれいにしているだろうか
と思えるほど、舐めるように
きれいにしていくのだ。
お堂内をきれいにした後は
外観の掃除である。
これも大変だ。
ほこりや汚れの多さは
内部の比ではない。
ほこりのたまりやすい細かいところは
いろいろあるが
そのひとつが、最も目に付く扉の格子だ。
その扉の格子は、全部で72。
これを一つ一つ磨いていく。
隅々まで徹底的に掃除をし、
すっかりきれいになったお堂。
季節がよければ中に住めるよ。
本番は、23日。
それに備えて、まだまだ
地蔵講の作業は続く・・・
先日、何かの展示会で配っていたボールペン。
何気に眺めていたら、
キャップの横の注意書きに、
「軸後部のラバーでこすると色が消えます」
と書いてあった。
さらに読み進むと、
どうやらそのインク、
60度以上になると色が消える特性があるため、
こすった摩擦熱で消えるらしい。
面白そうなので早速やってみた。
文字は「暑中」となってますが
「残暑」と読み替えてくださいね。
そしてこすった結果はこの通り。
なかなかよくできてますねえ。
んで、このボールペンを見ていて思い出したのが、
先日行く夏を惜しみながら空の夏雲を見ていた時に、
ふと目に留まった飛行機雲の不思議な形だ。
これ。
どうですか?よくみてください。
雲の一部がくっきりと途切れているでしょ。
まさかジェット機も節電?
そんなことはないでしょうねえ。
ただそれだけのお話。
日が暮れた頃に夜の散歩に出かけると、
虫の音はすっかり秋のそれだ。
コロコロ、コロコロ、ジー、ジー。
歩く道の両側で、
近づくと鳴きやみ、
遠ざかるとまた鳴き始める。
後ろだけ聞いていると、
まるで虫の音が後をついてくるみたい。
地蔵盆が近づくと、
ぼちぼちセミの音も、
クマゼミ→アブラゼミ→ツクツクボウシと推移していく。
それはにぎやかに夏を迎えて、
じっくりと遊び、もの悲しく去っていく
といった雰囲気の演出そのものだ。
草むらで鳴く虫の音は、
それに輪をかけて去っていく夏を惜しむようにもの悲しい。
大阪のような街の中でも、
探せばいくらかはそんな風に季節を彩る昆虫もいるはずなのだが、
近頃は捕虫網を持って遊んでいる子供たちを見ることがほとんどない。
先日、小学校の先生と話す機会が
あったので聞いてみたら、
最近は夏休みの自由研究で
昆虫採集をしてくる子供はほぼ皆無だと言ってた。
その理由は、
ただでさえ少なく希少になってきた昆虫を採ることに、
罪悪感を感じさせるという時代の風潮もあるし、
昔は町の文房具屋さんなど
どこでも売られていた昆虫採集キットなんかも、
今はほとんど売られていないということもある。
そして何より、子供が草むらや原っぱで
遊ぶことそのものが少なくなったというのが
最も大きな原因だろうとその先生は言う。
そして、そんな昆虫採集も、
せいぜいあったところで、
“採る”のではなく“撮る”の方で
集めてくるぐらいらしい。
いわゆる、昆虫撮影記。
今は子供でも携帯を持って、
どこでも撮影できる状態であったり、
夏休みの宿題に必要だからと
親にねだれば、
簡単なデジタルカメラくらい
ポンと買ってくれそうな時代だもんね。
被写体は昆虫に限らず、
花でもいい、景色でもいい、
雲でもいい、友達でもいいじゃないですか。
夏の思い出を、デジタルで残すなんて、
今風でなかなかいい宿題ではないかねえ。
夏の自由課題の宿題で悩んでいるお子さんに、
夏のデジタル絵日記なんて
ススメてみても面白いんじゃないかなどと、
虫の音を聞きながらの散歩の途中で
あれこれ考えていたdoironなのであった。
毎朝出勤時にコンビニに立ち寄る。
缶コーヒーをぐいっとひっかけて、
さあ今日も一日頑張ろうと
勢いをつけているようなものだ。
そのコンビニも毎日寄っていると、
それなりに社会の側面が見えてくることがある。
たとえば、ここんとこコンビニの駐車場が
とってもすいているのだ。
ひどいときには、土木作業に出かける人たちの車で
駐車区画が埋まってしまっていて、
仕方なく片隅の邪魔にならないところに
駐車しなければならない時もあるのに、
15日の朝はなんと
doironのエクストレイルが駐車場に1台だけ
という有様でした。
そうです、世間はお盆休みなんですねえ。
どおりで道路もがらすきなので、
おかげでゆっくりコンビニタイムを過ごすことができました。
それが16日、17日、18日と日にちが過ぎていくにつれ、
徐々に駐車している台数が増えてきました。
でも、土木作業の車はまだ本格的ではなく、
その分がまだあいているような様子。
お盆の休みから、
徐々に世間も元の姿に戻りつつあることが、
コンビニの駐車場から窺えます。
そんな駐車場から見えることがほかにもあります。
最近はコンビニに車を駐車させて、
その中でちょっとしたのんびりタイムを
過ごしている人が多いようです。
先日もコンビニに入ったら、
駐車場が結構満杯だったのに、
店の中はがらがら。
よく見たら、駐車場のどの車にも人が乗ってました。
doironは車から降りて、
世間を眺めながら缶コーヒーをすするのですが、
その人たちは新聞を読んだり、
たばこを吸ったり、携帯を眺めていたり、
またあるいはナビのテレビを見て笑っていたりと、
様々な形でくつろいでいました。
ずっと以前にこのブログで紹介したことのある、
家財道具を満載して駐車場で
ナビのテレビを見てはる老夫婦もまだ健在です。
個室の自分空間として、
運転席が思いのほか落ち着くんでしょうねえ。
よもや、昨今の住宅事情や家庭内環境を
反映しているとまでは言えないかもしれませんが、
くつろげる場所が少なくなっているというのは事実なんでしょう。
「おでん始めました」の貼り紙が、
17日から行きつけのコンビニに貼り出されました。
アメミヤ君のようにこの貼紙で
1曲作れるほどの創作力はありませんが、
そんな鈍感なdoironでも、
いよいよ夏の終わりを告げる一枚だなあ
と感じる貼紙でした。
店内に入ると、
おでんのおいしそうなにおいが漂い、
スイーツのコーナーには
いがぐりのディスプレイとともに
マロンケーキなどが並び始める。
いやがうえにも季節は秋に向かっていることを実感させてくれます。
社会の動き、季節の流れを感じさせるコンビニのひととき。
駐車場ですする朝のコーヒーが、
ホットになるころには、
空にいわし雲が漂い始めるんやろなあ。
福島の原発事故以来、
点検を終えた各地の原発が操業を再開できないでいる。
そのため、
猛暑時のエアコンフル稼働などにより、
需要が供給を上回る恐れがあるため、
電気会社各社が、気温等の予測をもとに、
“天気予報”ならぬ“電気予報”を始めている。
これまで電力不足に陥る危険性は、
東電の方が高かったが、
堺市にある火力発電所が、
タービン修理のために停止するのを受けて
関電管内でも電力不足が現実のものとなる恐れがあるらしい。
これまで出されていなかった、
電気予報のしるしである
「厳しい」(電力使用95~97%)
がとうとう先日発令されたとのことである。
この電気予報なのだが、
そもそも電力不足に陥ると、
電気は一斉に消えるのだろうか。
それとも発電所から遠い順に消えていくのだろうか?
その辺がよくわからないんだよな。
ま、そんなことにならないための
電気予報なんだろうけどね。
しかしそれにしても、
”電気予報”とはまたうまく名づけたものである。
まるで、ずっと以前からあったような
違和感のない名前である。
そこでdoironの頭はまた少しチクチクと騒いだ。
では、こんなのはどうだろうか。
今日は、休みの前日でもあるし、
気温は爽やかで絶好の行楽が期待でき、
しかも体調万全の時に
「ヤッホー」
となり、
今日からいや~な仕事が待っている、
しかも二日酔いで頭痛と胸やけである時には
「げんなり」
となる
「元気予報」
また、ウォシュレットとの格闘の日々も
まだまだ続いており、
だいたい調子は戻ってきたものの、
時折反旗を翻して、
シャワーが急に「強」に切り替わったり、
止まらなかったりする。
そんな便器の状況を今日の調子に合わせて言葉で表し、
「普通」
だったり
「ウンと厳しい」だったりする
「便器予報」
なんてのもいいかもね。
では、ベンチを修理して、
色を塗りなおしたりしたときに出される予報は?
もうお分かりですねえ、
「ベンチ予想」ではありませんよ。
そう、塗料が乾いて座れるようになるまでの時間を予想する
「ペンキ予報」
が正解で~す。
あ~あ、こんなしょうもないブログを書いてしまった。
パソコンで読んでいるあなた。
節電のためにも今すぐシャットダウンしましょうね。
その病気はドイツ語では「死体の棘」ともいわれ、
人の足元からじわじわと人体に侵入し、
ひどくなるとやがて骨にまで達するという。
別名は、その見た目から
「鶏の目」
あるいは
「かささぎの目」
ともいわれている。
恐ろしいですねえ。
そんな病気があるんですねえ。
日本語では
「魚の目」
といいます。
なあんや、と侮ることなかれ。
これが細菌感染なんかすると、
ひどいことになるんですよ。
doironは中学1年の時に、
大きな魚の目が3つもできてしまいました。
昔は
「そんなん風呂上りにほじくってたら治る」
といわれ、実際毎晩そうしていましたら、
ある日1個がポロンととれるように治ってしまいました。
そして立て続けに残り二個も治癒。
その時は、
僕は病に打ち勝ったんだと
感動すら覚えたほどでした。
あれから40年の時を経て、
今年またその病に侵されてしまいました。
最初は、
あれ?水虫かなと思って、
せっせと薬を塗っていたのですが、
日に日に固くなり始め、
これはどうも水虫ではなく、
40年前にやっつけたはずの
「魚の目」ではないかと
気づいたころにはしっかりと角質化しておりました。
今思えば、新手の水虫かなと思い始めた頃が、
魚の目もまだ子供のころで、
その頃だったら治療ももっと簡単だったかもしれません。
今は大きさは直径8mm。
直接体重がかからない、
アーチの途中の部分にあるので、
あまり普段の痛みもなく気が付かなかったんでしょう。
いまも日常生活に痛みはないのですが、
抑えるとズーンと痛みが走る状態です。
原因はなんだろうと考えてみた。
近頃は走る量もぐんと減ったので、
アーチ部分がしなるような機会が少なく、
柔軟性がなくなってきたせいなんだろうか。
でもよく考えたら、足に3つも魚の目があった
中学校の時はハンドボールをばんばんやってた頃で、
運動量の低下がこの病を招くとは思い難い。
ネットを見てみると、
いろいろ書かれてあるが、
どうやら靴の形が大きく影響しているようである。
靴を替えたら嘘のように治ったという報告も多い。
女性のハイヒールなんかで
そんな傾向が強いようだ。
doironの場合も最近履いている
10cm底上げのシークレットブーツが影響しているのか?
って履いてない、履いてない。
携帯の歩数計アプリで確認すると、
ビジネスシューズで一日に歩いている距離が、
この半年間の平均で約5km強。
これはこれまでも変わっていないが、
ランニングの距離が約三分の一に減っているから、
一日のビジネスシューズとランニングシューズを履いて
動いている時間の比率がかなり変わってきている
というのはあるだろう。
何らかの形でシューズの変更を考えてみよう
と思っている今日この頃だ。
で、最後に紹介しよう。
これが私の魚の目の患部拡大衝撃の写真だ。
どうやら瞳の真ん中の白い部分が、シンのようです。
1945年8月15日正午。
NHKラジオから、
終戦を告げる玉音放送が流れた。
「・・堪へ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ・・」の玉音を
doironの親父は上海で聞いたという。
それにしても、この玉音放送の歴史に触れて、
いつも思うのは
当時の情報局によるものとされている
「終戦詔書を天皇の肉声で放送する」
という着想が、今にして思えばすごい発想だったなあということである。
そのお姿さえ見たことがない天皇陛下のためにと
国民が命さえ投げ出すほどの、
偶像化された現世の象徴であったわけであるが、
その肉声を電波に乗せるという
大胆な発想がかの時代にあったことには
ただただ驚くばかりなのである。
今の世なら、テレビもあるし、
インターネットで全世界に発信という手段もあろうが、
66年前に雑音だらけのラジオのスピーカーから流された玉音放送は、
ある意味、情報の流れを大きく変えることになったのではないか。
終戦を告げると同時に、
情報で今の世を照らし出す報道の、
まさに夜明けの暁光ともいうべき放送だったと
doironは思っている。
以後、放送は戦後の人々を励まし続け、
日本は復興を遂げた。
そして今は、地球の裏側で起こっている出来事でさえ、
リアルタイムで映像で見ることができるという時代になった。
たった66年でこんなに変わるのである。
戦い、支配、差別などの歴史を繰り返していた人類は、
一体これまでの数千年の間、
何をしてたんだと思いたくなるよなあ。
NHKから流された昭和天皇の玉音レコードは、
現在NHK放送博物館に
窒素で封入されて保存されているという。
そしてそれは、
劣化しやすいというレコードの材質から考えれば、
もう音を復元することは難しい状態だという。
それでもいいのだ。
doironは実際に体験したわけではないが、
人類にとって繰り返したくない歴史とともに、
永遠に封入しておいてほしいと願うばかりである。
今日は終戦記念日だ。
今年のゴーヤ。
今は、毎日1個ずつくらい収穫している。
ゴーヤのツルも先日なんか
横においてあった自転車にまで
ツルを巻きつけ始めていた。
見た目もずいぶん立派なカーテンとなり
今やゴーヤ真っ盛りって感じだ。
そんな、旬のゴーヤを食していると
ゴーヤの生命力をいただいているような
気になってくるよなあ。
今日は料理当番だったので
朝穫りの一本を使って
カレーとサラダを作ることにした。
原料となったのが、これ。
苦味の元となるので
しっかり種の部分をスプーンで
こそぎとったよん。
ひとつはうすーく切ってサラダ用に
残りの3つをカレーに入れることにした。
カレーは得意なレパートリーだ。
まずはたまねぎ、牛肉と共に
塩コショウをしながら炒める。
そうして出来上がったものに
別に茹でておいた小ぶりの
ジャガイモを加えて
コトコトと弱火で時間をかけて煮る。
そこにカレールウを入れてカレーが完成だ。
味は好みに応じて
辛い物好きならガラムマサラを加えてね。
平行して、パスタを茹で
水に晒した薄切りゴーヤと
たまねぎ、そして特保の
脂肪がつきにくいソーセージも加えて
マヨネーズであえると出来上がり。
いろいろ旬の野菜や
特保にもこだわった料理が
食卓に並んだところで
ピッタシ!夕食タイムだ。
身体にも良いけど
doiron渾身のこの料理、
美容にも良いんですよ。
だって美味しくて
ほっぺたが落ちて
小顔になれるんやで~
今日はお盆の初日、
先祖供養のため
早朝墓参りでご先祖さんを
お迎えする日である。
doiron家の墓の中に
生前の姿を知っている先祖はいないが
普段からあまりお墓にもいけず
先祖不孝をしているのでね
こんなときには欠かさず行かねばね。
将来はそういう気持ちで子孫達は
来てくれるかな。
帰宅後にグーを連れて散歩に出た。
しんどそうに歩く様子は
どうやら暑くてばてているようでした。
今日、予約の入っている散髪では
毛を短くカットしてもらわねばな~
とグーと相談するも
ダラーんと舌をたらして
ハアハア言うだけのグーと帰宅した。
こちらも冷たい水をグイっと飲み干した。
暑い一日の始まりである。
今日はルネRCの合宿なんだが
お盆で両親も家におり
遠くに行くことは無理だ。
いろいろ他にも、家の用事をこなすことにする。
まず、先祖供養のため出かけたスーパーで
北海道物産展があり、
ここで面白いものを見つけたよ。
これ
やっぱりあったんですねえ。
セイゾーくんちのお土産に
ひとつ買いました。
物産展では他にも
まずいものグランプリで
ナンバーワンに輝いたこれ。
や
など、面白いものを見かけたよ。
これで取材魂に火がついたdoiron。
いくつかの商品を無断撮影しました。
これは、パッキングした人の意図を
はっきりと感じるお魚ですね。
これはうまそう。ネーミングもグーですね。
もちろん先祖供養のためにご購入です。
午後には、先祖供養をかねた
グーちゃんの散髪のため
お迎えの車がきます。
いいよなあ~
若いお姉ちゃんに送り迎えしてもらって
散髪してもらって
また送ってきてもらえる。
う~ん、doironの散髪でも
こんなシステムはないかなあ。
ま、doironよりも高い
散髪代を払っているから
しかたないか。
先祖供養のため
カインズカフェでちょっとのんびりした後
家に帰って、今度は正真正銘
先祖供養のためのお寺さんのお迎えだ。
今日の仏壇には、もちろん
毎日1個ずつ位のペースで
収穫されるゴーヤも供えてある。
やがて村の人が、
お寺さんがもうすぐ回ってくるから
線香に火をつけといてと
ふれて回ってくる。
そういえば、今日は朝から
あちこちでバイクや
軽自動車に乗った坊主を見かけたなあ。
12月が師走なら、8月は坊走やな。
「ぼうそう」?「ぼわす」?
ま、読み方は各自でってことで。
夕方は8キロほどランをして先祖供養。
そして夜は
ミセスdoironの誕生日祝と
先祖供養を兼ねて赤飯をいただいた。
う~ん。今日はいっぱい先祖供養をした。
要は、気持ちの持ちようですわな。
車の点検の時期が来ていた。
3月末に納車してから4か月強。
エックストレイル的な生活にもすっかり慣れた。
グーちゃんも帰宅時のエンジン音で
親父の帰宅がわかるようになった。
(以前は、前の車と違うエンジン音に
警戒してワンワンいってたからね)
そして、doiron自身もスーパーの駐車場で、
アイシスの紺色を探すこともなく
自然に今の車を探しているしね。
購入時には、無料点検が二回ついているようで、
一回目の新車点検時には
交換する必要もなかったエンジンオイルも、
さすがに走行距離5000kmを超えると交換となった。
そんな点検時には、
店にこちらから出向くのではなく、
職場の駐車場に引き取りに来ていただき、
夕方帰るまでに点検を終えて
駐車場にもどしておいてくれる。
ま、この辺のサービスは
今のご時世なら常識なんだろうけど、
ありがたいねえ。
点検と整備に加えて、
簡単な洗車もしていただいた上で、
オイル交換も終えて帰ってきた。
ま、さしずめ結婚式でいう“お色直し”ならぬ
“オイル直し”じゃな。
仕事を終えて駐車場に行き、
車に乗ってエンジンをかけたら、
あれ?エンジンがかかってないんちゃうか
というほどエンジン音が静かになっていた。
もしかして、この車に
アイドリングストップ機能を付けてくれたのじゃないか
と思うほどであった。
回転数の上がっているタコメーターを見て、
ようやく間違いなく動いているのがわかるほどだ。
点検とオイル交換で随分と変わるもんやね。
人間にもそんなことができたらいいのにな。
血液交換をしたら、
体の動きがとてもスムーズになったり、
目玉交換で老眼が改善したり、
心臓のオーバーホールでパワーアップ、
頭皮交換で・・・、
ううっ妄想はやめよう。
とにかく、一段と快調になった車を駆って帰宅。
あまりに変化があったので、
これまではなんだったんだ
と若干心配になるくらいだ。
どれくらい変わったかというと、
帰宅時にまたまたグーちゃんが
別の訪問車じゃないかと疑って、
ワン?と戸惑いながら遠慮がちに鳴いていたくらいなのだ。
かくして点検は終わった。
これからもよろしくたのむぜ。
エックストレイル君