釈迦が入滅後56億7千万年後に
弥勒菩薩が出現するまでの間、
人々を救済するという地蔵菩薩。
なにもそんな難しい役割を
求めなくても
doironがずっと小さい
ガキンチョだったことから
村はずれに立っていた地蔵さん。
時にはかくれんぼのときに
潜む場所であったり、
泥団子を供えたりした
そんな地蔵さんだ。
そんな子供たちの
罰当たりないたずらも
地蔵さんはいつも平気な顔で
見守ってくれていた。
今はこんな風に立派なお堂の中に
先日書いたように
5体の地蔵と1基の石柱が
鎮座している。
地蔵盆となると
夕方の僧による念仏のある日にあわせて
村人たちの提灯で飾られる。
さらに、そんな風習にあわせて
村の人々が集うために
大勢の人が供物を並べ
拝所をつくりつつ
ご馳走も食べながら
普段にはできない交流を
一日楽しむという慣わしになっている。
昼間にみんなでわいわい言いながら
ご馳走を食べながら
いただいたビールのおかげで
本番の念仏時には
みんなウトウトしてしまいましたじゃ。
念仏も終わり
供物を分けてお下がりを配った後
一気にテントも片付けて
地蔵さんの周りには再び
静かな時間が戻ってくる。
気の遠くなるような時間をまとって
今までも、そしてこれからも
今日の地蔵盆に関わった
すべての人が
いなくなっても
この村のはずれで
あるのかないのかわからないような
空気のような存在感の中に
ひっそりと佇み続けるのだろう。