さあて、淀川歩きも
いよいよ結願の日を迎えます。
歩き始めたのが、昨年の6月18日。
合間合間に歩いて一年ちょっとで
琵琶湖から大阪湾まで
完歩することになります。
まあ、まあその間自分の命の
やばかったこともありました。
愛犬は亡くなり、その後義母さんも
亡くなりと人生は
ころころと変わっていきましたが、
まあなんとか淀川完歩を
結願することになったのは、
周りの皆さんに支えられたおかげと、
自分の好奇心のおかげと喜んでおります。
まだ河口近くでは
右岸を歩いていませんし、
河川合流した木津川なんかも
歩いては見たいのですが、
ここはまあとりあえずは
一つの結願として
素直に喜んでみたいと思います。
では、前回淀川水系では
最後の橋である
「伝法大橋」を迎えたところまで
歩きましたので、
今回はその続きとなります。
まだまだ暑い日が続いています。
この日も大阪の最高気温は
35℃を超えそうです。
なので、今回は途中、
日陰もコンビニもなさそうなので、
たっぷりの水に加えて
塩分補給も必要だなと思い、
塩飴も持つなど、
しっかりと準備していきました。
JRで西九条に行き、
そこから阪神電鉄なんば線で
伝法に向かいます。
朝早かったので、
このあたりには外国人の
宿泊者が多くいます。
たぶんUSJに
向かっていくんでしょうねえ。
doironはそのまま
がらすきの阪神電鉄で二駅北上します。
この日は土曜日ということもあって、
通勤客もほとんどいません。
伝法の駅に降り立ち、
そこからナビをセットしました。
前回、伝法で終わったことを
知った友達から
こんなアドバイスをいただきました。
「伝法は鴻池組の発祥地で、
節分お寿司まるかぶりの発祥地なんですよ」。
そうですねえ、鴻池組のことは、
こんなポスターで分かりました。
駅から少し川と反対向きに
進んでいくと本社の歴史的建物が
あるそうですが、
ネットより
ちょっと今回はパスしました。
また節分のお寿司の
丸かじりも諸説あるそうです。
この伝法が発症の地というのは、
当時このあたりが
「申村」と言われているころに、
男女が仲良く集まって
お寿司に丸ごとかぶりついてたそうです。
年代でいえば1800年ころかな。
ほかにも、ちょっと有名な
商売人や昔のえらいさんなんかが、
「あれはわしが始めたものや」
という説を打ち上げたりしています。
ちょっと、仲のいい仲間が
集まればそういう食べ方を
する人たちが結構いたんだろう
というところから、
どうも期限がくちゃくちゃに
なっているようです。
さて、そんな余談を胸に
伝法の駅から歩き始めました。
まず最初に向かうのは
「伝法大橋」です。
その歩道を歩いていると、
なんか奇妙な立札が
たてられています。
読んでみると・・・
おお~、な、なんとこの日が
淀川花火のまさにその日でした。
少し淀川に沿って戻ったあたりで
打ち上げられるんですねえ。
場所取りの時間は正午から、
とか。
うひゃ~こんな暑い中
正午から場所取りをしているような
アベックなどがたむろしてるんですかねえ。
いやあそれだけで
暑苦しくなりそうです。
そんな「伝法大橋」のすぐ横に
かけられた橋が「新伝法大橋」です。
淀川も大阪府内に入ると
次々と人が歩いてわたる橋も
多く架けられていますが、
この伝法の橋が
淀川の一番海に近い生活橋なのです。
実はこの橋も
堤防の低いところにかかっていますので、
淀川が水であふれたときには、
こんな長くて重い鉄のゲートを
引っ張り出して
橋全体を通行止めにするそうです。
この橋の一つ山側に架かっていた
淀川大橋と防災構造的に
そっくりなんですね。
写真をぱちりと収めておきました。
つづく。