ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

淀川完歩41 ついに結願

2016年08月15日 21時01分18秒 | ウォーキング

河川敷を暑さに耐えて進んでいきます。

いやあ、もう河川敷内の
整備もあまり進んでいません。
河口に近いので
それに備えての、
例えば防災用パンザマストや
水防用具庫なんかが
たてられています。



河川の関連施設といえば、
道に大きく書かれた
距離の表示くらいですかねえ。

ここではついに、
残り1キロを迎えています。



周りを見ると、
おお遠くにUSJの施設も
見え隠れしています。



で、その時です。

河川敷の左下に、
何やら大きな石が立っています。



これは見に行ってみましょう。

石には「常吉庄左エ門」の
名前が刻まれています。



帰ってから調べてみますと、
江戸時代にこのあたりの
最後の新田開発をした人
なんだそうです。

この辺りは対象の頃まで
美しい松が生い茂っていて
「千本松」と言われていたそうですが、
そんな面影は今はありません。

そんな地の新田開発者の
没後50年を記念して
建てられた墓だそうです。

で、周りを見ますと
ほかにもいろんな石が
置かれています。

これは、常吉氏の墓建設ともに、
安政元年の津波による
犠牲者を祀っているそうです。



そうですねえ、
熊野古道といい
やはり海沿いのこの地域には
昔から「津波」は恐怖の
自然災害だったんですねえ。

で、その先です。

河川敷道路の上に、
ついにのこり距離0キロ
の表示が書かれています。

おお~ついに結願です。
感涙にむせぶdoironです。



これで病気ももう出ないですむでしょうか
国際認証の合格は得られるでしょうか
もっと楽しい毎日を過ごせるでしょうか
ほかにも、あれも、これも・・・

ここでは距離標も0.0kになっています。



う~んついにやりました。

歩き始めて初めての結願です。
これからまだ、
熊野古道の結願、
リボンの道の結願、
四国八十八か所の結願、
西国三十三か所の結願
と続いていく予定ですが、
やはり一番最初の結願です。

いやあありがたいです。

え?でも道はまだありますけどねえ。
まだ結願でないのでは、
という疑問もわいてきます。

なのになぜここが0.0なんだろう
と考えてみますと、

わかりました。

ちょうど対岸の右岸が
この位置で端っこを迎えているのです。



あそこに「河口まで0.0k」の
石標があるのでしょうねえ。

なので、ここが淀川の河口
ということになるんですね。

南郷の先で白波を上げていた瀬田川。
宇治をながれていた宇治川を
こえてきました。

もし誰かに
「淀川に行ったことがありますか?」
と聞かれたら
「はい。全部歩きました」
と答えられるんですねえ。

よくぞ命長らえて
歩くことができたものです。

いやあ、ほんとにうれしいです。

では、この先をもう少し歩いて
落ち着いたところで
お祝いをしましょう。

常吉1丁目のバス停で、
西九条に戻るバスの時刻を確認し、



阪神高速湾岸線方向に下っていきますと、



道の前方に何か建物が見えます。



「灯篭かな」と思って
近づいてみますと、
「風向風速計」でした。

淀川の河口の観測所なんですねえ。



でもまあ、ここで道は
一段行き止まり風です。

ではここでまずお祝いの
第一弾をやっておきましょう。

これ。



西九条で買ってきておりました。

カンパーイ。

河川と海の境界を告げる
こんな看板を見ながら、



このあとさらに道を南に進んでいくと、



こんな広い公園に出ます。



ここが大阪北港ヨットハーバーです。

そうですね陸地でいえば
まだこの先に舞洲もあるので、
もう少し先まであるのですが、
川はもう終わりです。

ヨットハーバーのこの公園の
大きな木の下で、
弁当広げてゆっくりとしました。



次は右岸もまた歩こうなどと、
海に浮かぶウインドサーフィン
なんかを眺めながらのんびりしました。



そうして確認してあった
バス停まで戻ってぎりぎり
バスに乗って西九条に行き、

猛烈な暑さの中帰宅した
doironなのでした。

楽しかった淀川
待ちに待った大阪湾

また対岸を歩いたりもしますが
とりあえずこれでおしまいで~す。