ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

流れ流れて、流れ橋2

2016年08月24日 21時18分59秒 | ウォーキング

まず最初は、京阪の
八幡市駅を目指していきます。



岩清水八幡宮のふもとにある
この駅はこの市観光の
やはり起点となります。
観光案内所もありますし
数々のオブジェも立っています。

おっ、ロータリーの横に
「東高野街道」の案内板が
ありますねえ。
見てみましょう。



あ、そうかあ、今日歩こう
とする道は松花堂庭園までは
ほぼ東高野街道なんですねえ。

ここから摂津、寝屋川、
八尾と通っていき
河内長野へと通じる道で、
四本あるといわれている
高野街道の中でも最も長い道です。

京の人も京道を下ってきて、
ここで別れて高野へと
向かったわけですね。

ではその道を下っていきましょう。

まずは、前回の石清水を
訪れたときに最後に寄った、
「走井餅」の店のそばにある
「石清水八幡宮一の鳥居」ですね。



前回はケーブルに乗って
八幡宮に行った後だったので、
この鳥居からは入らず



帰ったものでしたが、
今回は歩く道と平行に
少し寄ってみようと
鳥居の横を入っていきました
(何せ、喪中なもので)。

参道の横の池には
ハスの花や



ヒツジグサの花、



そしてちょっと珍しい
アサザの花が咲いています。



いやあ、この暑さの中
水草は涼しげに咲きますねえ。

ここには「高良社」があります。



石清水が日本の神様なら、
高良社は八幡の産土神としています。

またここには「京都の自然200選」
のタブノキがそびえています。



かなりの大木ですねえ。

さあ、では道を並行して続いている
高野街道に戻しましょう。

神社の外に出たところに
木の橋がかかっています。



これが「安居橋」です。



何と読むかわかりますか?

ちょっと変わった読み方で
「あんごばし」と読みます。

なぜそう読むかというと、
いろいろ説はあるようですが、
鎌倉時代から八幡で行われている
安居(あんご)神事からきている
という説が多いようです。



その橋の横に「やわた放生の景」と
書かれていますねえ。

これは何かと調べてみたら、
この川の名前からきているようでした。

この川はもともと「大谷川」
という名前なんですが、
この八幡駅近くの「全昌寺橋」から



「買屋橋」までの約200mの区間だけ
「放生川」と名前を変えます。

石清水八幡宮の神事
「放生会」にちなんでいるそうです。

橋の上から見ると、
それなりの整備がされているようですね。



でも一部だけ名前が変わる川
というのも珍しいですねえ。

橋からまた元に戻って
街道を進んでいきますと、
次の交差点には
「東高野街道」の案内板と
「八幡橋」という道標が立っていました。



右は奈良街道を指しているようですが、
この辺はまだ高野街道と
重なっているようですね。

一番下には「木津」「奈良」の地名が
書かれていました。

道はこの辺ではちょっと狭くなります。

ここに「山の井戸」というのがあります。
男山にたまった水ですかねえ。



そしてここにあったのが「相槌神社」です。



ちょっと変わった名前ですねえ。
調べてみたら、
京都三条粟田口に住む、
小鍛冶宗近という刀鍛冶が
天皇の勅命を受けて
守り刀を打とうとしたそうです。
しかしそんな刀を
一人では打てないので
刀鍛冶を手伝う者を探したところ、
ある若者と出会い
相方を頼んだところ、
その若者が鍛冶の手伝いをしてくれ、
見事な刀ができたという話が合ったそうです。

しかし後になってわかったところ、
その若者の正体は狐であったそうです。

なのでその刀は「小狐丸」
という名で呼ばれるように
なったというそうだ。

この鍛冶の手伝いをした狐を
祀っているのが京都三条にある
「相槌神社」である。

ここの鳥居の額を見ると、
「小鍛冶」「三條」と書かれてあるから、
ここの神社はその三条の
神社の関係社だろう。

ではなぜ「相槌」なのかというと、
これがトントン、トントン日野の二トン
ではなく、トンカン、トンカン
という鍛冶の音をあらわしている。
何か話をしていてなるほどと、
頭をトンカン下げる姿を
「相槌」というのは、
こういう話があって
できたのだそうだ。

なるほど。

トンカンと続く。