ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

あっちこっち郡山1

2016年08月07日 20時49分37秒 | ウォーキング

先日、大雨の中を下見と言いつつ
ちょろっと歩いてきた郡山に、
ちょっと天気の様子を見て
本格的に出かけてきた。

夏とはいえ、若干雲も多く
たまには日陰もあるかなあ
というような朝だったなあ。

義母さんの家の片付けもほぼ終えて、
ほっと一息つくような日でした。

事前の下見では、
この町の見どころは「郡山城」、
「金魚資料館」、「稗田環濠集落」、
そして様々な「名所旧跡」や
「城下町町内散歩」などがあるなあ
という感じでした。

で、地図をしっかり眺めた後
まずは「稗田環濠集落」に
行くことにしましょう。

前回止めたのと同じ駐車場に
車を止めて歩き始めます。



ここは一日止めて700円の金額で、
この辺では一番安いようです。

ほんというとこんなに
名所旧跡の多いところなら、
施設の無料駐車場なんかも
あるのでしょうが、
まあこれくらいの貢献は
仕方ないところですな。

駐車場がなかったりするような
場所だったりしたら、
そういうPを探すことにするけどね。

駅を抜けて、踏切を渡ると



道沿いの景色は一気に変わり、
なんと驚きつつど田舎道に入って行きます。



この稗田環濠集落なんですが、
どういう施設かというとこんな感じ。



環濠で囲まれた地方都市です。

このあたりに天武天皇の舎人である
「稗田阿礼」がいて、
彼の記憶力があの日本最古の歴史書
「古事記」へとなったわけです。

「上つ巻」、「中つ巻」、「下つ巻」
の全三部。

712年ころに書かれた
この書物の最初の原本はありませんが、
最も古いもので1372年ころに
写本された真福寺本古事記三帖(国宝)
などがあります。

当時、日本独自の書き言葉はなく、
もちろんブログもありまへん。

たぐいまれなる記憶力で
おはなしを進めていった
阿礼の話した言葉を
漢字・漢文で記載していったのですね。

稗田阿礼がまだ28歳のころのことで、
彼の記憶がこの書物を作った
といっても過言ではありません。

そんな地域である「稗田環濠集落」を
目指していきましょう。

田んぼの中のど田舎道を



南へと進んでいきます。



右が郡山市街地です。



JRが駆け抜けていきます。
そして左が奈良の南部。



山々はあの「山の辺の道」の
中でもあまり人がいかない
北側部分を作っています。

気候が良くなったら
ここもぜひ行かなくてはなりませんね。

道の横には田んぼ用の
大きな水路が走っています。

おやっ、前方で何やら生き物が
ごそごそしてますよ~。



ヒナ2匹を連れた「カルガモ」でした。



おお~こんなところにも
カルガモいるんだと思っちゃいけませんよ。

もともと奈良県橿原あたりの
「軽の池」あたりで夏場も見られた
カモということで
こういう名前がついている
という説もあるくらいですからね。
だからカルガモが親子で散歩してても
珍しいところではありません。

この道の先端で「蟹川橋」に到着です。



この蟹川はこの先で
佐保川に合流していく川です。

大和郡山城の周辺では
外堀を作っていたようですねえ。

そもそも市内を流れていた
「秋篠川」の流れを変えて、
佐保川に合流させかつての
旧河川を外堀として
利用していたそうです。

郡山をグルリンと一周する
ウォーキングコースを
この外堀沿いに作れるそうで、
こういう歩き方も再度してみたい
と思っております。

道はここから「稗田橋」を通って
佐保川を渡ります。



将来的に大和川となって
大阪湾にそそいでいく川ですね。



そしてさらに地蔵院川を
「太子橋」でわたり、



さらに東向いて進んでいきますと、
道の横にこんな大きな水の
一杯流れる水路が現れてきます。



これが「稗田環濠集落」を作っている
「環濠」ですね。

歴史はたいへん古く、
室町時代には現在のような
こういう形になったといわれていますが、
これが作られた詳しい形成過程は
実は不明だそうです。

続く。