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門司港レトロ

2021年04月16日 | NON
4月16日、九州遠征2日目は、高速利用で足をのばし、北九州『門司港レトロ』観光となりました。
明治から昭和にかけて国際貿易の拠点として発展し、横浜・神戸と並んで「日本三大港」のひとつにも数えられた門司港。当時建てられたレンガ造りの建物などが今なお残り、レトロな雰囲気が漂う一帯は『門司港レトロ』として、人気の観光スャbトになっています。まずは、関門トンネルが開通するまで、九州の鉄道の玄関口として、また、対岸の下関とを結ぶ関門連絡船の中継駅として、多くの人で賑わった「門司港駅」へ。現在の駅舎は、大正3(1914)年に門司駅として開業したネオ・ルネッサンス様式の駅舎を復原したもので、2019年3月にグランドオープンしたばかり。鉄道駅舎としては初めて、国の重要文化財に指定されています。門司港駅前には「バナナの叩き売り発祥の地」の碑。台の上にバナナを並べ、独特の口上で客を呼び寄せるバナナの叩き売りは門司港が発祥。"門司港バナナの叩き売り"として日本遺産に認定されています。門司港駅の目の前にある「旧門司港三井倶楽部」は、大正10(1921)年に三井物産の宿泊施設&社交倶楽部として建設されました。木造の骨組みにレンガや石などを埋めて造られたレトロな建築で、こちらも国の重要文化財に指定されています。「三井倶楽部」のとなりにあるのが「旧大阪商船」。大正6(1917)年に建てられた大阪商船門司支店を修復したもので、かつて灯台の役割を果たしていた八角形の塔と、オレンジ色のタイルの外観が目を引きます。ハーバーデッキには人影はなく、お土産屋さんが多く入る商業施設の「海峡プラザ」も寂しい限り。やはりコロナ禍なのだと実感してしまいます。対岸まで進むと、明治42(1909)年の門司税関発足を機に、明治45(1912)年に建てられた赤レンガ造りの「旧門司税関」。昭和初期まで税関庁舎として使われていました。ちなみに、門司に税関が置かれるきっかけを作ったのは、2015~2016年に放送されたNHK朝ドラ『あさが来た』のあさのモデル:広岡浅子氏。筑豊の石炭を輸出するには、当時は長崎港まで運ばねばならず、炭鉱に近い門司を輸出港にできればと、彼女が税関設置を申請したのだとか。のちに、日本最大の石炭積出港にまで発展しました。道を挟んで向かいは、「大連友好記念館」。大連との国際航路があったことから、友好都市を締結している大連市と北九州市。その締結15周年を記念して造られ、建物は、明治35(1902)年にロシア帝国が大連に造ったドイツ風の歴史的建造物を模したものとのこと。隣接の定番観光スャbト「門司港レトロ展望室」からの眺望を堪能したあとは、全長約108m、日本最大級の歩行者専用はね橋「ブルーウィングもじ」を渡り、『門司港レトロ』をひと回り。さらに、ノーフォーク広場へ車で移動し、関門橋をくぐり抜けて、「関門トンネル人道」まで行きました。実は『門司港レトロ』は2度目の訪問ですが、こちらはお初。本州側の山口県下関まで歩いて渡れる海底トンネルで、下関まで約780m、徒歩15分ほど。本州と九州、山口県と福岡県の境界線が引かれています。人生初となる海底トンネルを歩き、本州と九州の境界線をまたぐという大変貴重な体験ができ大満足。海底トンネルから出ると何やら不穏な空模様。一旦、福岡市内へ戻る判断をすることとなりました。続く。

門司港駅(国の重要文化財)


バナナの叩き売り発祥の地碑(門司港駅前)



旧門司三井倶楽部(国の重要文化財)





旧大阪商船



旧門司税関



大連友好記念館



はね橋(ブルーウィングもじ)





海峡プラザ


バナナマン(海峡プラザ前)



ハーバーデッキ & 高層マンション:レトロハイマート(31F 門司港レトロ展望室)



門司港レトロ展望室からの眺望











関門橋







関門トンネル人道













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