生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

「答え」を育む方法: 夢をむしばむ3要素: 過去の不安感

2013年03月16日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
折角、時間と努力を払い自己実現への道を見出し3Vの法則を活用しょうと考えたのに、それをむしばみ妨げる3要素があります。それは過去の成育史上の不安感、現在の不安感、将来の不安感の3つです。この解説に入ります。過去の不安感の実体は人により相当違いますが、私の場合は高校時代の劣等感です。あの折の感情的な不安感がその後、大学病院、永田町、霞が関、海外等での事件や困難な時にダブって嫌な感情、勇気をしぼませるもの、錯乱の折に、その高校時代の嫌な思い出と自信の無さが重なり、その場の明るさと爽やかさと元気に陰を落とすのです。大脳が一度体験した嫌な感情は内容は忘れていてもその嫌な感情だけは、しっかりと覚えているので、意識、無意識の内に自分を駄目にしていくのです。この悪循環の方程式を意識化すると、その砂地獄から脱却できますが、意識化に成功していないと、理由の無い形で人を駄目にしていきます。自分の成育史での挫折感や劣等感の事例を全部、あぶり出すと、その悪循環から離脱出来ます。ノーベル賞を取った学者との会話でもそんな話が出てきました。人間の大脳の記憶は内容は忘れても嫌な感情はしっかりと覚えていますので、その原因さえ意識化すれば、その傾向から離脱出来る原理も覚えておきましょう。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:71>

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「答え」を育む方法:シャガールの絵

2013年03月15日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
何故、シャガールが心理療法に愛用されるのか、不思議に思った頃があります。ゴッホ、セザンヌ、その他色々の絵を生き甲斐の心理学に使用出来ない事はないとは思いますが、諸先輩が心理療法に何故、シャガールを愛用していたか、その理由は明確です。光と陰があり、少年少女の心にも理解出来るということは単純な中にも美しい少年少女の心に響くものをシャガールがもっているのでしょう。カオスのどろどろした心の世界にシャガールが登場すると心の反応が単純に動き出すようです。アフリカで数万年前に旅立つホモサピエンスの感情は現代の複雑な感情に比べると「好き嫌い怖い怖くない」という原初感情が主だった感情だ、と習いました。この原初感情を歪めると神経症状が出ると言われています。こうしてシャガールの絵を見ながら私はヴィジョンを楽しむコツを覚えた記憶があります。ヴィジョンを育み夢を拡げ悔いの無い人生の創造と確立に日々を送りたいものです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:70>

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「答え」が見えた。しかし、ヴィジョンが楽しめない人

2013年03月14日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
私自身がそうでしたが、せっかっく手にしたヴィジョンを楽しめないのです。恩師は私に関係なく一般論として色々その原因を教えてくださいました。その一つに私は過去の或問題に固執していて、その固執障害をあぶり出すのに随分と時間がかかりました。それは劣等感です。劣等感が強いと自分の夢を楽しむどころか義務感としてギシギシしながら追求する求道者のような態度でした。顔をしかめ中々達成できない悔しさだけに意識がむかってしまいます。この劣等感があると、折角手にした夢が何か、間違いだったような気持ちになってきます。そして夢をあきらめたほうが賢明かのような気分になります。そうする内にまた別な答えを探そうとすると、あとはタコつぼのような循環に陥ります。ですから「命を楽しむ」「夢を楽しむ」思考を再教育してもらいました。「健全な楽しむ思想」の無い青年の悲劇でしたが、恩師のお陰で「考え方を変えると世界が変わる」世界観を再教育された結果、私は次第に自然体で、ビジョンをたのしめるような青年に変化していきました。病的な劣等感は人を駄目にしていきます。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:69>

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「答え」が見えた。さてどうするか?ヴィジョンを楽しむ人

2013年03月13日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
「生き甲斐の心理学」では理論をとても大事にします。人生は理論通りいかない事は百も承知ですが、理論を知って思い通りに行かない場合、失敗した場合、その回復、立ち直りは、知らないで挫折した場合より、回復の早さ、心の傷のありようは、そうとう違います。今日から暫く「答え」を見つけた後の理論がどうなっているのか、テキストを中心に勉強していきます。「答え」を心の中で育む方法を思索していきます。私の場合と他の人の場合、その「答え」の育み方は当然違いますが、恩師はどう教えて下さったか、20代前半の懐かしいシカゴ時代を思い出しながら思索していきます。私は当時「楽しむ」という思想をどちらかというと「悪いこと」と無意識に思っていたようです。この無意識に「楽しみ」を悪いこと、努力しない狡賢い思想、と何故、そう教育されていたのか、今から思うと非常に残念です。当時を思い出しても仕事を楽しむ、勉強を楽しむ、家庭を楽しむ、人間関係を楽しむ、何かを楽しめ、とは誰も言わない時代だったのかなあ?ヴィジョンを楽しめ、という概念を青年の私に真剣に教えてくださったのは恩師でした。あ、あ、先生に感謝を今更ながら伝えたいけれども、もうこの世におられません。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:68>

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何故、答えが見えないのか?人間は危険だ、と思うと問題が出る!

2013年03月12日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
周囲との人間関係、特に「私とあなた」の関係に於いて、相手を危険なものとして、意識、無意識に感じていると人間関係だけで疲れ果てていきます。意識はしていませんが仕事が終わり、のんびりとお風呂にでもつかっていると、嫌な人が突然、思い出されてきたりします。親子、夫婦、友人でも時と場合により、疲労の原因となります。子供の頃から、自分にとり、全員が安心という体験はなく、この人が、と思うくらい嫌な想いをさせられると、人間不信の知恵も身についてきます。良い事も沢山あり、人間賛美の心境にもなります。人生が長いほど、何となく無意識に人々を全面信頼する、という事に危険を感じるのが普通の人間です。しかし生身の人間は「愛の孤独感」を恐れますので、健康的な愛が身近に無いと、人は生き甲斐を感じないものです。段々と成熟すると「同一の相手であっても、その折々の雰囲気で信用したり、危険視したり、自由に識別出来る目」が出来てくると、心の自由を堪能しつつ、自信をもって生きていけるようになります。3月1日より今回まで、何故、自分の中の答えが見えないか、その理論を説明してきました。どんなに厳しい現実がこれから生起しましても、その答えは必ず自分の中に存在しています。生き甲斐の心理学を学ぶ信頼出来る同志と語り合いながら、その答えを模索して明るく元気に生き抜いていきましょう。同志は大事です。一人で答えを模索すると時々方向を見失いますんで信頼が置ける学友を創っていきましょう。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:67>

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何故、答えが見えないのか?自分の問題なのに!

2013年03月11日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
人生には次から次へと色々の問題が生起しますが、心を病んだいると、自分の問題なのに他人事のような顔をして生きている人もいます。厳しいけれども自分の問題の場合、正面から取り組むと苦悩は深くなりますが幸福感と生き甲斐は充実してきます。この心の仕組みを意識化しておくと、人生での難問と戦う勇気が出てきます。私も、その折々の健康状態により、取り組み方は違います。当然のことでしょう。心が疲れ果てているのに無理に挑戦していくと、ばたんと倒れます。この兼ね合いが人生、難しい。明確に言える事は自分の問題なのか、他人の問題なのか、一度冷静に区別してみましょう。その為には自分は何の為に生きているのか、この「自分の問題なのか他人の問題」なのかを識別する際の重要な指標となります。自分は何の為に生きているのかを意識しつつ、自分の問題なのか、他人の問題なのかを、自分の幸福の為に、思索するのです。不幸な人は他者を幸福にする事はまづ不可能です。暗い人を他者は信用しません。幸福な人を信用します。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:66>

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何故、答えが見えないのか?体験の解釈が人を精神病にする!

2013年03月10日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
思いこみが強い人、信念に病理がある人、環境に応じて考え方を変えられないので自殺したり周囲を平然として混乱させる人、倫理道徳から人を抹殺する人、色々意見が分かれますが、生き甲斐の心理学では「構成概念が固く、その概念があたかも真実かのように考えてしまう」事例をとても関心をもって研究していきます。研究の目的は、その人を精神病棟に入れない為です。精神病棟には入院する必要の無い人々も何故か、沢山おられます。入院の背景について大きな問題がありますので国連やアムネスティは時々、日本ばかりでなく世界の患者の人権の立場からのの厳しい調査をすることがあります。この複雑な背景は専門家にお任せしますが、私達の身辺にもし構成概念の固い人がいて、その為にストレス曲線から身体症状にまで苦しんでいる事例がありましたら、一度、その構成概念について思索し対処すると、案外簡単に解決しますので、その答えを体験の解釈を変えることで幸せな日々を送れるよう努力して欲しいものです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:65>

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「自己の伝達」を上手にしつつ生きていかないと答えが見つけにくい!

2013年03月09日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
人の社会は色々の成り立ちがありますが、その中の一つ「私とあなた」の関係性の中で自分を上手に伝えられない照れ屋さんが居ます。時間をかければ互いに理解は出来ますが、何となく忙しく、ばたばたした感じの現代生活では忍耐して待つ、しかも変な無口な相手を理解する為の時間をとつてくださる人はあまりいません。ですから口下手な青年は「発達障害」などと陰口をたかかれつつ生きていかねばなりません。わたしなどは多分、高校生徒時代は今でいう「発達障害的な青年」だったと思います。自己の伝達が実に下手でした。自分を伝える必要が人間社会では要求されますが、どの程度の「自己の伝達」が必要なのかは、その人の所属社会で違います。永田町の政治家秘書のなりたての青年と学校の新人教師、養護施設での新人、その他の文化地帯では自己の伝達方法は、それなりの経験を経て身につけていく以外、方法はありませんが、人生での答えを早く無駄なく得る為に「自己の伝達」の重要性を意識化しておきたいものです。必要性を意識化すると、その人なりの方法が案外、早く気付いていくものです。意識しないと答えは見えてきません。意識化すると答えが見えてくるようです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:64>

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何故、答えが見えないのか?本音と建前、どちらが見えなくするのだろう?

2013年03月08日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
「建前」だけで生きていると自然に自分が分からなくなります。「べき論者」は退屈で面白くありませんし、良書の本のほうが遥かに役立ちます。矛盾だらけだけれども他者肯定のタイプの人間は世の中を明るくし勇気を周囲に与えますが「べき論者」の他者否定のタイプは人々を暗くしていくようです。東日本災害地に行くと「べき論者」は居場所があまりないようです。現実の苦労を、どう処理していくか、人間の一番大事な姿を垣間見せてくれます。ソ連が解体し東シべりアの某地に行った時、少数民族の哀しい姿に触れました。東アジアの某地での地雷地区の悲劇でもアイルランドの闘争やアルゼンチンやチリでの政治による悲劇の現実にも私は何度、この世界に絶望したことでしょう。そんな中で、本音と建前の建前に生きたばかりに刑務所に入る人も見ましたが明るい悔いのない人生に誇りを感じて高い壁の中に入っていく人々も見ました。大げさなようですが、日々の生活での「心の不一致」が健康な内はいいのですが自分を病的に追い込む「本音と建前」の区別だけは経験的に意識化しておきましょう。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:63>

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何故、答えが見えないのか?感情の流れに支配されると?

2013年03月07日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
日々の激しい感情に出会った時、平然と冷静に対応出来る感情と、慌てる感情があります。湧きだす感情はどれもこれも真実であって、かつ、現実問題です。湧きだす感情を見て、自分には信じられない酷く汚いものの場合、見ないふりをするのが普通の人間です。朝から夜まで嫌な感情に振り回されて、その嫌な感情の大河の流れに支配されるのが普通の人間の毎日です。しかし赤ちゃん時代も終わり、幼稚園、小学生時代になると自分の思い通りにならない世間を知ってきて段々人間が練れてきます。大人になっても感情の大河に振り回されている大人を見ると、世間は遠慮して口には出しませんが、あれは大人になりきれていない愚かな人間だ、と内心そう思っています。しかし、勉強していく内に、その感情の大河を現実問題として平然と一旦、自分を受け入れ、その上で周囲の常識と比較しつつ感情を処理しだします。身体症状を出すことなく感情の大河を上手に処理するノウハウを人はその文化に合わせて生きていけるようになります。感情に流されっつぱなしですと、答えが見えにくくなるようです。ポンと湧きだす感情と朝から夜寝るまでの感情の大河を二つに分けて処理していけるようになると、自分に必要な答えが見えてくるそうです。暗い感情の傾向な人、楽天的で明るく生きようとする人、様々ですが、暗いと不平を言う習慣よりは、明るく生きようとする人の方が答えが見えてくるようです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:62>

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何故、答えが見えないのか?感情の意味に気付かない人々

2013年03月06日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
生育史の関係で理性優先、感情蔑視で育った人に多い事例ですが、自分が愛しているのか憎んでいるのかすら分からない人々が沢山います。明治生まれの職業軍人であった私の父親の話を色々と思いだすのですが、軍人の中にも怖いと素直に自分の恐怖心を感じられる作戦家は成功しているようですが怖いのに怖くないと思う人は部下を沢山殺していたようです。湧きだす感情を倫理道徳で否定してしまう人にも、この軍人のような事例を垣間見ます。どんな感情が湧き出しても、言葉に出す必要がないので、一旦、軽やかに受け止め、その意味を思索する習慣をつけると人生が楽しくなるし、知恵が湧きだすそうです。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:61>

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何故、答えが見えないか?幸福病の話

2013年03月05日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
人間関係も豊か(軽やかに明るく振る舞うので)、お金も十分、それでも私と二人きりになると人生に文句だらけの友人がいますが、その友達は何故か「感謝」をしりません。学生の頃から明るく振る舞いますが、何か、どーんとした正中線にかけています。本音は出さず、二人になると私に心を拓いてくれるのは嬉しいのですが、心から有難う、と言わない人です。どんなに幸福な条件を所持していても、感情で心底、有難う、と感謝出来ない人のことを「幸福病」と呼んでいますが、自己愛パースナリテイ障害患者でもなく、単なる考え方が生育史上、形成されていないのでしょう。何でも有難屋、でも困りますが、我がままに生きてこれた彼の生育史上の事はやはり「三つ子の魂百までも」ではありませんが、案外、難しいものです。せめて息を引き取る時には周囲の人々に有難う、といって死んで欲しい友人です。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:60>

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答えが何故見えないか?ストレス曲線のこと。

2013年03月04日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
理論ばかりで恐縮ですが理論を知らないで悔いを残すより、あるいは、同じ失敗でも大きな致命的な失敗は避けられますから、やはり理論は大事です。70億の人類には赤ちゃんから高齢者まで、あるいは地球各地の文化でも、その一人一人の自分の不安感を、どう処理するかの答えはアフリカの少年兵からニューヨークの富豪まで、その答えのありようは違います。しかし理論は同じです。例えばストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、鬱、錯乱)が蓄積していると、その人の心は自由ではありません。心が自由でないと知恵の泉(答え)はまず浮かばないでしょうし、浮かんできても、その答えは数日か数週間か数カ月で、変だなあと気付くでしょう。心が抑圧状態、感情の転移、合理化、反動形成などのねじれた状態の時は、どうも知恵が湧いてこないようです。湧きだす感情を抑圧しないで放出させつつ、心の自由を獲得するには、この原理(14の防衛機制を解放させる自分流の知恵)を修行する必要があります。ストレス曲線を抑圧しないで心を自由に出来るノウハウを身につけると蓋が取れて綺麗な泉が湧きだします。私は太極拳と信仰の力(愛である神様を信じています)が私のストレスを解放させる最大の手法です。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:59>

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「自分の中の答え」って何?

2013年03月03日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
厳しい人生をどう生き抜いたらいいのだろう、その答えは自分の中にある、と言われています。さてさて、この「答え」の意味はどう解釈したらいいのでしょう?今、抱えているストレスをどう処理したらいいのか、その答えも自分の中にありますし、この感謝をどう表現したらいいのか、自分は今、まともなのか変なのか、この経済危機をどう乗り越えたらいいのか、いつも我慢している上司と、どうつきあったらいいのか、さて生き甲斐の心理学は、どうこたえていくのでしょう?この問題について思索していきます。他人からの示唆も大きいですが、これがあなたの答えです、と他人からは言われたくありません。最終的に自分でこれが答えだ、と断言しないと人生に悔いをのこします。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:58>

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「必然と偶然」という言葉の解釈について

2013年03月02日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
或所で「必然と偶然」の話がでました。なるほどなあと感動しましたが色々の事例を思い出しています。中小企業の倒産により経営者が自殺、その家族を治療している時とか、大津波で流された遺族へ、この哀しい現実を「必然」とは言えません。言う人がいるとすると、その人は冷酷な人間と呼ばれるでしょう。哲学。神学、信仰の世界での言葉と解釈、そして現実の心理療法の世界での言葉と解釈は違いますが、世間はそんな事は区別しません。「必然と偶然」が人類誕生以来の「難問」なので、これからも思索の対象にしたいけれども、この言葉の使い方には十分注意が必要なようです。さて、どんな解釈を皆さまはなさいますか?うかつに相応しくない現場で使用し、人々から生涯、恨まれないように注意する必要もあります。出来れば心と生活に余裕がある時に、身辺の出来ごとには偶然は無く、全て必然だ、と解釈出来る日が来れば、その人はこの厳しい現実を悠然と生き抜く事が出来そうです。信仰の世界は理論の世界を乗り越えさせますが、これもあれも冷静な知性の後の物語かもしれません。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:57>

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