生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

何故、答えが見えないのか?人間は危険だ、と思うと問題が出る!

2013年03月12日 | 第13章 比較宗教学の視点からの心の旅
周囲との人間関係、特に「私とあなた」の関係に於いて、相手を危険なものとして、意識、無意識に感じていると人間関係だけで疲れ果てていきます。意識はしていませんが仕事が終わり、のんびりとお風呂にでもつかっていると、嫌な人が突然、思い出されてきたりします。親子、夫婦、友人でも時と場合により、疲労の原因となります。子供の頃から、自分にとり、全員が安心という体験はなく、この人が、と思うくらい嫌な想いをさせられると、人間不信の知恵も身についてきます。良い事も沢山あり、人間賛美の心境にもなります。人生が長いほど、何となく無意識に人々を全面信頼する、という事に危険を感じるのが普通の人間です。しかし生身の人間は「愛の孤独感」を恐れますので、健康的な愛が身近に無いと、人は生き甲斐を感じないものです。段々と成熟すると「同一の相手であっても、その折々の雰囲気で信用したり、危険視したり、自由に識別出来る目」が出来てくると、心の自由を堪能しつつ、自信をもって生きていけるようになります。3月1日より今回まで、何故、自分の中の答えが見えないか、その理論を説明してきました。どんなに厳しい現実がこれから生起しましても、その答えは必ず自分の中に存在しています。生き甲斐の心理学を学ぶ信頼出来る同志と語り合いながら、その答えを模索して明るく元気に生き抜いていきましょう。同志は大事です。一人で答えを模索すると時々方向を見失いますんで信頼が置ける学友を創っていきましょう。

:<比較宗教学の視点からの心の旅:67>

備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。

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