生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

健全な依存症、病的な依存症、どこが違うか?

2011年05月19日 | 第10章:どうして心を癒すか
人という字は、一本の棒が寄り添っているように、いつの時代も男女は仲良く寄り添って生きています。依存しあう事は美しいことですが、時々、病的な依存関係が問題になります。人は一人で生まれてきて一人で死んでいきます。生まれてくる時には母親の世話になり、死んでいく時も誰かに世話になりながら死んでいきます。その長い人生の流れで異性と健康に依存しあいながら生きていかないと人間の心は異常をきたします。修道者も健全な異性関係がないと心がゆがみますので、何が健全なのか意識化しておく必要があります。肉の関係になくても異性の愛、友情、暖かい心は成立するものですが、このバランスの関係成立のノウハウを知らないと病的な関係になつてしまいます。神父の道を選んだ男は肉を絶っていますが往生際の悪い神父は時々話題に登場してきます。爽やかに女性を大事にする神父が普通ですが、そのような爽やかな神父を見ていると周囲は非常に幸福になりますが、爽やかでない神父を見ていると周囲は不幸になります。お坊さんにはいつのころからか奥さんがいるので周囲も平気ですが、カトリツクの神父は独身なので、やはり世間は清らかな神父、というイメージがあるので問題を起こした神父は軽蔑されていきます。世間の男女は健全な依存をバランス良く保ちながら<自己愛パースナリテイ障害>にならぬように依存しあいながら生き抜いていきたいものです。この領域は難しいので数回に分けて思索します:<依存症:391-2>:

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